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歌集「遠ざかる情景」#2 解説(前編)

1碧深い 遠い海には 靄なびく 朽ち壊れたる 日々と似た色
我が日々は 朽ち壊れたり その眼には 碧く輝く 海見えし日々
朽ち壊れ 罅入りたる 我が日々と 目前に見える 藍深き海
藍深き 遠き海には 靄なびく 朽ち壊れたる 我が目に涙 
潮風と、涙の霞む 靄なびきたる 海の藍色

楽しく、色鮮やかだった、あの“日々“も、大人になってくるたびに朽ちていき、その色を失っていく。そして、ある日、何気なく見た海を見た時、それがどこか美しく見えたのは、そのせいだったのか……。
人生の中で、何度も体験する喪失。しかし、その結果得ることの出来た、悲しみの美しさへの視線。それをを歌ったと思う。
今年の大河ドラマ「青天を衝け」で、おなじみの藍。青と言う字ををあえて、藍と表現することで、その色に深みとくすみを出し、味を出すことができたと思う。

2帰り路 見知らぬ家の 窓からは 幸せを歌う 少女たちの声
幸せを 歌う少女 高い声 見知らぬ家の 窓の中から
子供らが 幸せ歌う 他所の家 窓の明かりを 見る我寂しき   
キンキンと 幸せ歌う 少女たち 窓の外には寂しき私
キンキンと 歌う幸せ 楽し気で その声を聴く 寂しき私

単純に、子ど時代の体験である。子供の頃、遅くまで遊んだ帰り道、よその家の窓には、明かりが灯り、家の中からは、その家の子であろう、女の子たちのはしゃぐ声がした。
その日は、肌寒い日だし、女の子のいない、自分の家はやはり殺伐としたものがある。だから、よその家の、それも女の子のはしゃぐ楽しそうな声を見て、どこか、寂しくなった。
子供故に、“寂しさ”には敏感であり、肌寒さも手伝い、暗澹とした気持ちになる、誰もが体験する思い出を歌に表現できたと思う。

彷徨うて 夜に隠れれば 泣き濡れし 昨日、今日、明日、泊まる宿無し
泊まる宿 なく彷徨いて 立ち止まり 泣き濡れし私 宿は何処か
夜に隠れ 涙滲まし 彷徨える 昨日、今日、明日宿なき私
彷徨いて 昨日、今日、明日、宿もなし 闇に隠れて 泣き濡れるのみ
昨日、今日、明日も彷徨う 我が因果 闇が包めば 涙滲みたり

帰る場所がなく、安らぐ時のない絶望。それを歌った歌だ。
帰る場所のない者は、身を休めるため、夜の闇の中に隠れるしかない。そこにいれば、表に出ているより安全だろうし、闇の中故、誰も見る者はいないだろうから、独り泣き濡れることはできる。だとしても、それは闇の中であって、泊まるべき宿ではないのだ。
あてもなく、彷徨い歩くしかない人の心を読んだ。

イヤホンを つけて読み耽る 「朔太郎」 向こうの席の文学少女
「朔太郎」 読み耽る娘 イヤホンの ボリューム上げて 頁繰るなり
イヤホンを つけた娘が 細指で 頁繰る本は 「朔太郎」なり
「朔太郎」読み イヤホンで 音楽を 聴く青白き指の小娘  
生意気や 「朔太郎」読み イヤホンで 何を聞きよるか 向かいの少女

母親が言っていたが、中学でもう、志賀直哉などの近代文学を読み込んでいる奴がいる。そんな、話を聞いて詠んだ句だ。
「へぇ、こんな年で……」。大人たちは、そう思いながらも、どこかで、やっかんでいる。
しかし、やはり14歳の少女であり、社会的に見れば子供である。そんな少女の幼さゆえの可愛らしさや、それ故、感じさせるある種のエキセントリックさを謳った。
また、電車のなかでの風景であるゆえに、ある種のさわやかさを出した。


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