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この note についてと思い出話と自己紹介

note の方向性

この note では、JRA の平地重賞の過去 5 年の傾向と、その傾向から思う各馬への勝手な印象を記していく予定です(2 歳戦は分かりづらいので G1 のみにします)。もしかしたら重賞以外の平地競走の予想も書くかもしれません。障害競走は予想したことがありませんので、分かりかねます。
まだガッチリとプランが決まっているわけでなく、部屋の掃除をしてるときに思いついただけなので、そのうちやめるかもしれません。もしうまくいけば、有料化もしたいなとこっそり思ってます。
競馬の予想を始めたのがヒシアマゾンのエリザベス女王杯だったので、note を始めるにもちょうどいいかなと思いました。ヒシアマゾンはアイコンにも使っています。
(最初に投稿した記事は、他の記事からリンクを貼るので、体裁を整えるため、一部を本記事に移しました)

思い出話

競馬にハマったきっかけ

父親が競馬を好んでいたけど、母親に馬券購入を止められていたので、テレビ観戦をするというのが日曜の光景でした。ぼくはさほど興味をそそられることもなく毎週が過ぎていったんですが、ナリタブライアンの菊花賞でのウィニングランで大きな南井コールがあって、初めて「おおお、競馬って凄いな」と思いました。最近何かで見たんですが、競馬は誰が勝とうが最後はその勝者をみんなで褒め称える稀有なスポーツと書かれてて、確かにそうだなと思いました。

さて、その競馬凄いなの話を幼馴染みに話すと、「せやで、凄いねんで」と詳しく話をされ、さらに興味が強まり、競馬新聞の見方なども伝授されました。今でも彼とは週末になると予想を提示しあっています。ちなみにぼくの嗜好を熟知している彼は後年、ぼくをアメフトにハメることにも成功しましたが、もう今では BS で中継をしてくれなくなったので(スーパーボウルでさえ!)、悲しんでいる途中です。

さて、その競馬に興味を持った 1994 年は、ワイド馬券すら無かった時代で、高配当と言えば馬連が最高のツールでした。あの時の感覚がベースになり過ぎているので、今でも馬連で考えています。

エリザベス女王杯での叩き合いの翌週、マイルチャンピオンシップで初めて競馬場へ出かけました。物凄いのめり具合です。当時はおっさんだらけで、女の人と言えば、馬券窓口とかお掃除とかレストランにしかいなかった時代です。幼馴染みとは昼によくカツ丼を「江戸川」ってレストランで食べていましたが、まぁカツことはあまり無かったです。

桜花賞 1995

前述のマイルチャンピオンシップ当時は奈良に住んでいたので、近場と言える京都競馬場でしたが、この年は阪神競馬場へも行きました。まぁ遠いです。

電光掲示板を撮るのが何故か好きだった

この日の思い出と言えば、桜花賞を勝ったのがワンダーパヒュームで、人気薄(今調べると 21.3 倍の 7 番人気でした)でした。サンデーサイレンスの初年度産駒であるダンスパートナーが 3 番人気で 2 着、同産駒であるプライムステージが 2 番人気で 3 着で、1 番人気はトライアルの 4 歳牝馬特別を圧勝したライデンリーダーでした。名前がみんな懐かしい。
で、競馬場を後にするときには雨が降っていたんですが、傘を引きずりながら「強い…強い…」と倒れそうな感じで歩くおじさんがいたことを強烈に思い出します。彼が、誰にどれだけ託したのかは分かりません。

宝塚記念 1995

探した中で一番綺麗に撮れてた

この日はほとんど覚えてないです。次の写真を見れば、お分かりになるかと思います。

ぼくは君を忘れない

この日から、「当たらなくてもいい、無事にみんな帰ってきてほしい」と願うようになりました。

高松宮杯 1995

中京競馬場にも行きました。それは、ヒシアマゾンが来るからです。奈良から近鉄に乗ってまぁ遠かったです。当時は Google Maps も無かった時代ですが、きっと駅から大勢のおっさんについて行けば着けるはずと調べもせずに行きました。こういう予想は的中するんです。当時は名称も高松宮記念ではなく、G1 でもなく、距離も 2000m でしたが、夏の風物レースでした。1200m の高松宮記念 G1 になって、ナリタブライアンが謎の参戦をしたのは、この翌年です。

ヒシアマゾンの勇姿

残念ながらヒシアマゾンは勝てなかったのですが、中京競馬場を堪能できました。あ、その日はめっちゃ暑くて、パドックにずっといたんですが、日焼けが酷かったです。
あと、今の時代に若手騎手を賑やかにしている角田兄弟ですが、彼の父親である角田晃一師の写真がありました。たぶん、大好きなフジキセキやノースフライトの主戦騎手ということで撮ったんだと思います。この写真を発掘したとき「そっくりやん!」って声が出てしまいました。この高松宮杯の日の 9R、三河特別でドリームウイングに騎乗する姿です。

そっくり

朝日チャレンジカップ 1995

この日も特に何も覚えてなく、写真を見て「行ってたんだ」程度でしたが、JRA 短期免許交付制度適用第一号外国人騎手であるリサ・クロップを撮っていました。

短期免許の先駆け

自己紹介

思い出話はこのくらいにして、自身の話ですが、過去は仕事で東京へ行き、ドイツにも赴任し(めちゃくちゃ楽しかった)、現在は京都に住んでフリーのウェブプログラマを職としています。ウェブサイトや業務管理システムの構築を主に行なっており、一度だけ SNS の構築も行いました。
プログラム+競馬としては、独自の予想プログラムの構築・アップデートを繰り返しており、その中でこの note で言う「平均着差論」が出てきました。もしかしたら、そのロジックについて話すことがあるかもしれません。

公開する文章ということで推敲を重ねて誤字脱字の排除や、読みやすいように努めますので、どうぞよろしくお願いします。

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