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電気の消し方

 校正作業も最終段階に入り、美々さんが「お昼に行こう」と立ち上がる。スタッフ3人連れ立って事務所を出るが、部屋の電気は付けられたまま。太陽が眩しい昼間でも廊下に面した窓から漏れる光が明るい。消しに戻りましょうかとドアの前にいる美々さんに言うと、「いーのいーの」と遮るように鍵をかけ、たったと先に階段を降りていく。

 さっきまで、〈自分を大切にるすことがまわりを大切にすることにつながる〉といった趣旨の原稿に向き合っていた。美々さんの書いたものだ。「ホリスティック」という言葉も初めて知った。言い切り調のポップな言葉を連ねて愛やエコを語るのは美々さんの得意とするところだ。そんな呪文の語尾には、読み手を押し倒して「イエス」と誘導する感嘆符(!)が付けられている。

「感情の毒出しをしよう!」(でも電気は消さない)。

「むしろキライな人に感謝して!」(でも電気は消さない)。

「フェアトレードのふんわりニット!」(でも電気は消さない)。

「楽しいをみんなで肯定したら地球は即楽園!」(でも電気は消さない)。

「わくわくするあたらしい自分になる!」(でも電気は消さない)。

 少し歩いたところで振り返る。2階にある事務所の窓にかかるブラインドの隙間から、シーリングライトの光がちらちらとこちらに合図を送ってくる。そうか、と思い、私は光がのぞくブラインドの隙間からすーっと入り込み、事務所の机に舞い戻る。

 机に広げられた美々さんの原稿を眺め、人差し指で「わくわくするあたらしい自分になる!」の感嘆符(!)の下の丸点をポチッと押す。すると、部屋の電気も数々の呪文もぱっと消えて、やっと胸をなでおろすことができる。

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