矢立ての水
久方ぶりの宿である。
奥の布団からは子供の寝息が聞こえていた。
行灯の明かりの元、男が紙と矢立てを文机に置く。
「おっと…」
墨壺が乾いてかちかちだ。
水を貰いに階下に降りたいが、寝入り端の子供を起こしそうで迷う。
懐から白茶けた布包みを出し、中の黒い石を筆の尻でつついた。
「水をくれ」
暫く待つと、石の上に水の玉が湧いた。
「ありがとうよ」
男は筆先を水に浸して墨を溶いた。
と、そよそよと真っ黒い小さな腕が石から無数に湧き出し、男の腕に絡みつく。
「慌てるねい、行儀よく待ってろ… こら、坊主の方に行くな、子供からとったら死んじまうだろうが…」
行燈の元でひそひそと独言が続く。
室内にあった寝息は、いつの間にか消えていた。
@Tw300ss 第64回 お題「書く」 ジャンル「オリジナル」
Twitter300字ss企画内にて個人的に連作チャレンジ中、今回4作目です。
よろしければ前作も覗いてみて下さい(´-`)
【前のお話:手に職】
https://note.com/1_ten_5/n/n1d6d53411415