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読書ノート 「贈与論 他二編」 マルセル・モース 森山工訳


 「取るのと同じように与えなさい、そうすれば万事うまく運ぶでしょう
   (マオリの諺)


 「(ポトラッチをおこなう社会においては)首長と配下のあいだに、そして配下とさらにその取り巻きのあいだに、こうした贈与によってヒエラルキーが確立されるからである。与えるということ、それは自らの優位を表明することである。それは、より大きくあることであり、より高くあることであり、主人(マギステル)であることである。これに対して、受け取っても受け取った以上のものを返さないということは、従属的な立場に身を置くことである。それは、相手の子分、従僕になることであり、より小さくなることであり、より低い地位に身を落とすことなのである」


 「私たちの社会においてさえ、富というのはもっぱら他人を動かすための手段であるというのが、確かなことではないだろうか」


 利益という言葉はそれ自体が新しく、会計の専門用語を起源としている。それがラテン語の「インタレスト」(「あいだにある、出席する、関与している」の直説法現在三人称単数形)であって、会計簿で徴収する地代に対応する位置に書き込まれていたものである。


 古代の倫理意識がもっとも享楽主義的(エピキュリアン)であった時代には、人々が追い求めたのは善と快楽であって、物質的な功利性ではなかった。合理主義と営利主義が勝利を収めてはじめて、利潤という観念や個人という観念が通用するようになり、また生活原理の高みにまで達するようになったのである。


 すなわち、自分が交換に出しているものはたんなる生産物、たんなる労働時間以上のものであるのだと。自分の時間や自分の生を与えているのだと。


 大衆というのは指導者たちよりも的確に、大衆自身の利益や社会共通の利益について感知しているものなのだ。


 (ポトラッチなどの贈与現象は)すべて、法的現象であると同時に経済的現象であり、宗教的現象であり、さらにはまた審美的要素をもつ現象であり、社会形態に関わる現象であり、などなどである。…それは「全体」的社会現象である。



 ギフト=贈り物=毒(『ギフト、ギフト』)


 クラン:特定の始祖から男系もしくは女系による単系の共通出自をたどると認知している人々の集団


 古代ゲルマン人・スカンジナビア人の「贈り物」の言葉の発達(特にドイツ語にて)

 ガーペ(贈り物)
 ミットギフト(持参金、婚資)
 モルゲンガーペ(朝の贈り物。かつてのドイツの慣習で、結婚の翌朝、新郎が新婦に与えた)
 リーベスガーペ(愛の贈り物、喜捨、施し物)
 アプガーペ(引き渡し、交付、譲渡)
 トロツガーペ(反抗してなされる贈与)


 贈り物としての飲み物は、つねに呪力をもつ。


 『贈与論 ── アルカイックな社会における交換の形態と理由』


 アメリカ北西部のふたつの部族、トリンキットとハイダにおける全体給付のある形態、それを「ポトラッチ」と呼ぶことにする。

 

 タオンガ(贈り物・呪文カラキア)は、その森のハウ(霊)、その土地のハウによって命を吹き込まれている。

  

 他人に何かをお返しする場合、じつはその相手の本質であり実体であるものの一部を返さなくてはならない。


 「結局のところ、与えられたこの物には活性があるのだ。この物には命が吹き込まれており、しばしば個別の個性を有していて、エルツが「出身地」と呼んだところに戻ろうとするのだし、あるいはまた、その出身地となったクランや土地のために、自らに代わる別の物をつくりだそうとするのである」


 『マハーバーラタ』とは、ある巨大なポトラッチにまつわるお話にほかならない。たとえば、カウラヴァ家の兄弟とパーンダヴァ家の兄弟の間のサイコロ勝負。あるいはまた、パーンダヴァ兄弟の姉妹であり、兄弟共通の妻となるドラウパディーの婿選びと、婿候補として名乗り出た男たちの競技。


 流動して動く「ヴァイグア」(一種の貨幣・硬貨)を所有していれば、「所有しているというただそれだけで、人は陽気になり、力づけられ、心和むものなのである」


 ポトラッチの祭壇で贈り物を受け取る人々は、それを貸し付けられたものとして受け取る。


 ただちにその場でお返しなどするものではない。およそ反対給付をなすためには、「時間」が必要なのだ。


 贈与は必然的に信用という観念をともなうのだ。

 

 名誉という観念

 

 幾つかの場合においては、与えること、お返しすることはもはやどうでもよく、破壊することが大事となる。お返しがもらえるのを期待していると思われたくないがためである。


 「わたしたちはここで、あなたたちのために踊っていますが、ほんとうは私たちではないのです。ここで踊っているのは、ずっとまえに亡くなったオジたちなのです」


 3つの義務─与えること、受け取ること、お返しすること

 与える義務はポトラッチの本質である。


 財の分配であるポトラッチは、「認知=識別=承認」という根源的な現象なのだ。


 「何が善で何が幸福かをはるか遠くまで探しに行く必要はない。平和として定立されたものがある。労働として適切に秩序づけられたものがある。富として蓄積され、次いで再分配されたものがある。互いに尊重し合い、互いに寛容になり合うこととして教育が教えるものがある。善も幸福も、そこにあるのだ」


 礼節 市民意識

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