だしっぱ5

不幸は限りない。貧乏、住所不定、無職、合わせ技「住所不定無職」、難病、いじめられっ子、ひきこもり、老々介護、アフリカの飢えた子どもたち、学校に行きたくても行けないアフリカの子どもたち、ワクチンが行き届かないアフリカの子どもたち、「不幸」のイメージでざっくりくくられるアフリカの子どもたち。まあとにかく、不幸は掘り下げるとキリがない。

だからこそ、目の前にはいない「世の中の不幸な人たち」を持ち出す論法は気をつけて使わないといけない。例えば好き嫌いをする子に「アフリカでは飢えた子どもたちが…」とするのはまずい。遠すぎる。でかすぎる。言ってる本人からして脳内で「アフリカ」を具体的に描けてるとは思えない。不幸の底なし沼、そんな深いところにいきなり手ぇ突っ込んでも持て余すのは目に見えてる。結果、我が子の反応は鈍い。

いやあ、その点これはやっぱ鋭いな、と、今日久しぶりに続報(第2回公判)に触れて改めて思った。

世の中には、おちんちんちょん切られちゃった人もいる。

ズバッとえぐってくる。しかも都内だからな、これ。おちんちんちょん切られちゃった人が都内に。アフリカじゃやっぱダメだ。「そういう風習があるのかしら」ってなもんだ。「不倫相手の旦那におちんちんちょん切られちゃった弁護士(東京都在住)」はすごい速度で駆け抜ける。有無を言わさぬ。際限のない不幸合戦の展開を許さない。「首を切られた人だって」「四肢を切断された人だって」たしかにいるし、本当に気の毒だが、おちんちんのちょん切られは「比較」という概念そのものを振り切って天に昇り、星になる。何を言ってるのかわからなくなってきたが、まあいいや。おちんちんちょん切られちゃった人だっているんだから。都内に。

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