まだやってるぞミイラ展

「ミイラを見る」ということは、もちろん「人の死体を見る」ということでもある。考えてみれば、みんなで集まって堂々と死体を見学するっていうのも、それはそれで貴重な機会だ。そう思ったのもあって上野に行った。

もちろん、ミイラは宗教的かつ科学的に貴重な資料でもある。だからこそ、こうして国立科学博物館で、TBSの協賛付きで「特別展『ミイラ』」なんつって出来るわけで、平日にも関わらず人も結構来る。客層もカップルから親子連れまで。ミイラの生産数1億体超えとも言われる一大産地エジプトをはじめ、世界各地で何百年か何千年か前に亡くなった人たちの遺体を、みんなで淡々と見学する。どうやって加工して、どうやって装飾したか、その違いを楽しみつつも、「髪の毛って思った以上に残るんだなあ」なんて生々しいことに感心したりする。

この人達全員に人生があったと思うとクラクラするが、カラッカラに乾いて未来人の見せ物になってるかと思うと、不謹慎ながらコメディ的な味わいも感じないではない。副葬品として作られた鳥のミイラあたりからは、ミイラの干物としての側面も若干立ち上がってくる。魚のミイラもあるらしいけど、展示がなくて幸いだったと思う。それはあまりに干物だ。

さて、世界中からミイラ大集合となれば、もちろん我らが日本代表が気になるところだが、残念ながら日本はアホみたいに湿気が多い上に、特にミイラを作る文化もなかったらしい。天皇の玄孫のミイラとかもない。しかし、いや、だからこそ、日本の数少ないミイラたちはとても面白いことになってた。

埋葬された環境がたまたまドンピシャで、完全なアクシデントとして屍蝋化、二人仲良く並べて展示されてしまった兄弟ミイラ。今回のために福島から特別に運ばれた、お堂にこもって、飲食を断って、ひたすら座り続けたお坊さんのミイラ、ならぬ即身仏。

挙句の果ては、自分が死んだ後に機会があったら死体を掘り起こしてみろ、と遺言を残していた江戸時代の本草学者。後に区画整理で墓地を移すために掘り起こしたら、見事なミイラになって出現し、CTスキャンしてみたら体内に大量の柿の種が見つかった。柿の種による防腐効果を自分の体で試したらしい。

ミイラ文化がないからこそ、シンプルに事故、信仰、好奇心の三本柱に絞られた日本産ミイラたちは異彩を放っていたと思う。特に本草学者は、ここ10年くらいで会った中で一番面白い人だった。とっくに死んでるけど。実験の成功を誇るかのように200年後の博物館で堂々と座るその姿は、なんだかもう底抜けに爽快だった。ただなにせ死体なもんで、流石に首から力が抜けて顔はうつむいている。思わずしゃがみこんで、まじまじと顔を覗き込んでしまった。

画像1

※ガチャガチャ回して当たったネコのミイラ(海洋堂製)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?