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つぶやき2024.2.6-5.19(mastodon篇)

おまっとさんでした。愛川欽也です。(嘘)

ツイッターのアカウントを停止されて、腹が立ったので、そこでキッパリツイッターは辞めました。その後はスレッズやmastodonでつぶやいておりますので、今回はそちらから編集してお届けします。

ツイッターは、半ば切れ気味のキャラ設定(まあ、人格の一部ではあるが)でやっていたが(ストレスも半端ないので、王様の耳はロバ状態)、マストドンは最も素に近い。
スレッズはあまり人間性を出さずにコンテンツとして投稿してる感が強いし、インスタはワシの中の比較的二枚目部分を出している。やったら二枚目もできるので。
まあ、人間というのは、多面体なんである。

わたしがなぜツイッターで説教じみたことを言うのか、3つポイントをあげると、
1. ほんまにリアで説教したら嫌われる(相手のメンツが立たなくなるので)。
2. ゴキブリと同じで1匹いたら100匹は隠れているので効率が良い(見えないとこにも届く)。
3. めんどくさい。
別に幾つでもあげられるのだが、プレゼンはポイントを3つあげるとそれらしくなる。と昔上司に教わったので3つにしました。

ツイッターは、言わば、ビートニクであった。
よく言えば、ビート詩人。悪く言えば、思いつきで、頭の中のたれ流しである。
たれ流しが過ぎるので、noteで読み物レベルにまとめ直していたのである。まじめか。自分でも雑なのかマメなのかわからない。わしの性格の最大の特徴は、相反する二つの特性が半分ずつくらい混じりあっているとこである。器用であり不器用。人より要領はいいが人より生きづらい。


編集的なことが好きだし、得意というかオリジナリティはある気がしている。金をくれ。

化物語のコミック無料分読んだ。面白いな。

nhkホスト被害やってる。
そもそもホストやってるやつにまともな人間1人もいないって。

TikTokのインプレッション数、ほんまいい加減やな。(インスタもSNS全部だが。)
そんなこんなの世界なので、SNSで承認欲求を満たそうなど馬鹿馬鹿しい。何しろ承認はあちらの都合なのだから。
ただの暇つぶしと思えば、そこそこは遊べる。

わしのTikTok、わし的にはすごいことになってるのだが。

TikTokでもインスタでもMixCloudでも、わしの作るもん中毒性高すぎる。

SNSは、自らの仕事を宣伝するために使われることも多いが、私の仕事は薬事的な仕事だし、会社の広告をする義理はないので、完全にプライベート仕様である。しかし、広告との相性はあるので、推し活と広告という行為をコンセプトとして楽しむみたいなところから、良いと思ったあれやこれやを紹介している。誰に頼まれたわけでもないのでセレクトは純粋な好みだし、承認欲求も低いので、単に広告的なことを趣味というか娯楽としてやっているだけである。

人間どもにかなり恩恵を与えてる方だと思うが、何も返ってこない。
コスパが悪いにもほどがある。

才能が金にならない選手権を開いたらかなりいいとこまでいくと思う。

ツイッターなどを見ていると、自己肯定感がない若者が多いような風潮に見えてくるが、TikTokなどを見ていると自分大好き人間だらけな気がしてくる。

統計学には色々と嘘がある。というか、いいように改竄できるものもあるようだが。自然確率に対する実測の乖離には、何か原因があると考えて良いと直感している。
良いことも悪いことも自然確率以上に起こったら、それは誰かがイカサマをしている。
勝つべくして勝つや、負けるべくして負けるは、自然確率の範疇である。

世の中には、綺麗な言葉でおびきよせる詐欺師が掃いて捨てるほどいるので。
て言うと、陰謀説とか、騙されやすい人は逆行くし、ここまで言っても逆行くからどうしようもないよね。

人はなぜレゴを踏むのか。
そこにレゴがあるからである。

別におもしろい人にならなくても、良い人なら人は好意を持つので、おもしろい人にならなきゃなんてプレッシャーは感じなくてよい。
良い人というだけで、おもしろい振る舞いなどしなくとも、わかる人は勝手にあなたにおもしろさを見出してくれる。

こうしなきゃって変に力が入っている人は、自意識が過剰なのである。

この世界は、勝手に俺を敵に回して、アッチで勝手にコケるとこがある。

自民党もカルト、ジャニーズもカルト、吉本もカルト、北朝鮮もカルト、ロシアもカルト、イスラエルもカルト、、、カルトあげたら枚挙にいとまがない。
普通に生きてるだけで偉いぞ、お前ら。

スレッズで、社会が壊れていく時は、いいものから壊れていくんだな。という投稿をみた。
ちゃんとした目で観察してるな。と思う。
抵抗だけど、世の中のいいものの総数を増やす努力をしている。

今の世界の問題の深刻さは、異常と思ってる人の割合の方が完全に多いのに、ちっとも現状が変わらないところ。
わし個人が抱えてる問題も、同じ深刻さがある。

言われていることだが。
日本人のもっとも得意としてきたことは、改善だと思う。
馬鹿に付き合って改悪しとる場合ではない。作り込む上での改善を検討する前に、完成させて事態が良くなるのか悪くなるのか、ちょっと考えてほしい。
本質の悪いものの完成度を高めても改悪にしかならんのだ。

ロシアのウクライナ侵攻も、ネタニヤフの虐殺も、自民党の政策も、アメリカの選挙も、ずっと馬鹿じゃねえのかと言っている。

上川陽子外相もやっぱりおかしな人だったみたいだね。やっぱり勝共連合系?ある意味スッキリした。心置きなく全滅。

世論調査、政党の支持に対する質問のアンケートに、支持しちゃいけない政党だから。っての追加してほしいね。

子曰く。
なんで、そうなるの⁉︎

地球の顧客満足度、マイナス50点。

良いのは、音楽や食べ物だけ。

ほんまこの世界のメインストリームわしの価値観にも趣味にも道徳にもセンスにも合わない。
ほんと勘弁してくさい。
助けて〜〜!(平常心。うんざりしてるだけ。)

この世界作ったやつがいるなら、ほんまどつきたい。

死ぬ時に、ああしときゃ良かったって後悔する人の話(実際は知らない)昔から聞くけど、そんときゃそうしかできなかったんだから、往生際が悪いよね。

説明責任を果たすだの果たさないだのとテレビで言っているが、そもそも果たすべき責任の中で、説明責任は最も軽い部類のものである。

それにしても岸田総理の言葉はヘリウムより軽い。

助手「博士。あれは何ですか?」

博士「あれは、ヒト型のダニです。」

日銀総裁「インフレ状態にある。」

俺「今頃言ってんのか。」

自民党がなぜこれだけ襟を正すことに前向きでないかというと、悪人だからというより、染み込んだ贅沢や特権的なことを手放すのが苦しいからであろう。
貧乏人が貧乏するのは昨日の延長であるから意外とこたえないが、小金持ってた人が貧乏するときつい。みたいな。

自民党は実際害ばかりと思っているのだが、似たりよったりの亜種とか、性格がヤクザとか、ことごとくセンスがないとか、柔軟性がないとか、はたまた問題外とか、言い出したらロクな政党がないのは事実である。
何十年もの間、わたしは消去法で選挙の投票をしている。残念ながら、この人に託したいと思って投票したことはない。

日本国憲法が作られた時には、白洲次郎さんとか頑張ってくれてたみたいだけど、長きにわたる自民党体制で、完全にアメリカに隷属したよね。
右翼系の人が自民党を支持することが多かったこと、ロジカルに考えると、理屈が通らないよねえ。
見てたところが思想じゃなかったのか、或いは、陰謀説論者みたいに脳内を拗らせてありえんことばかりを妄信してたのか。

何回も言っているが、この世界はミクロに起こることと、マクロに起こることが、非常に似通る特性がある。

今日、たまたま私が口にした言葉だが、人のめんどくさい。は、金になる。
昔は、必要は発明の母と言ったが、もう人類の文明も発展してからそこそこ経つ。必要なものはほぼ発明済で、何ならコストダウン済で、曲がりなりにも働いていたら本当に必要なものはあらかた身の回りにあるだろう。となると、次に何を欲しいのかというと、もちろん欲しいものだろうが、価値観の多様化した現代では大手商売でなければ(でさえ?)、ある個人に対してさえ欲しいものを品揃えするのは簡単なことではないだろう。それでは人は他に何にお金を使うのだろうか?自分がめんどくさいと思っていることである。今ならタイパという言葉もあり、このめんどくさいことが簡単にできたら有意義に時間が使えるのに。ということに金を使うだろう。ただでさえ忙しい毎日だ。するってえと、自分の仕事周りでそのニーズに応える商品はないだろうか。或いは、人はめんどくさがるけど、自分はめんどくさいと感じないことが自分を生かす商売(業務)にならないだろうか?
というように、私の思考法の一端を垣間見せてみたのだが、わたしはこういった思考プロセスでアイデアやアウトプットを出しているのである。
しかし、これだけ各家庭の経済事情が厳しくなってくると、お金の使い所は必要なもの(必需品)に回帰していくのかもしれない。この国では。
するってえと、実があって、無駄を省いたものが、より喜ばれるだろう。とかね。
自分が絶対に欲しいものを考えるのが本来基本やと思う。マーケティングより先に。
アンメットニーズというものも人ごとだと思うからピンとこないわけで。
まず対象とする人の生活を知る。自分がもしその人の暮らしをすることになったとしたらどうだろう?何が欲しいと思うだろう?ってことから考えた方が核心をつくと思うの。もちろん当事者に聞くのもいいんだろうけど。人って案外自分のことが1番わかってなかったりするからね。現実にその立場にいる人って、現状から考えちゃうから、発想の飛躍ができなかったりね。
なお、先の思考プロセス中には、私だったら横道まで考えるようなことをはしょっているので、いやいや、ここはこうだろう。と脱線していくと、違うアイデアも生まれるだろう。
もちろん人の知恵を集めた方がよりよいアイデアになるが、1人ブレストや、今ならchatGPTと対話しても、アイデアなんてものは生まれるものである。
アイデアがない。などというのは、そもそも考えようとしてないか、思考の展開法を知らないだけなのである。
しかしわしも無料でよくしゃべるよね。

ハイリスク・ハイリターンというが、この場合取るべきハイリスクとは、例えば未知のことを指す。未知のことは前提条件がわからない中を進むことであるから、リスクは想定するとしても完全には予測しえない。しかし、未知であるならば競合がいないため成功すれば利益を寡占しやすい。(もちろん、他人が真似しにくいなど産業障壁的なことがなければすぐレッドオーシャンである。)
既に負けることがわかっているハイリスクを取るのは馬鹿である。ノーリターンの上にノータリンである。
もう未知のことは少なく組み合わせが新しいということしか領域がなくなってきているのは事実だろう。誰か試した痕跡がないか調べるのはリスク分析に役立つし、その時の失敗が本質的なものなのか単にその時代(技術水準)ではできなかったことなのかでも打ち手は変わるだろうから、先行調査とは大事なのである。調べるだけでリスクとリターンの予測確度が上がるのである。まずやってみようも悪ではないが、生産性というか成功確率的に非効率ではある。未知のことは記録されていない予想外の結果が出ることもあり、それが意図しない発見につながることもあるからやるなとは言わない。

しかし、昨今の地球人を見ていると、メトロン星人の侵略を受けているとしか思えない。

なめるなよ。という人間も何かしらなめている。

トランプが大統領になったのは何故ですか?

声がでかかったからです。
何しろ9割の人間は声のでかい人間に平伏するトホホな星なので。

人間わかることしかわからないので、どんな優れた考えでも、相手がわからなかったら、その人に対して言っても、何の効力もない。

もし空を飛べる人間がいたとして、少なくとも少し前まで(今も?)の人間は、その空を飛べる人間が自分を神だと言いだしたら、神なのだと信じてしまうところがあった。空を飛べる人間だから、それ。と僕なんかは思う。
超常現象が起こせるものがいたとして、それは超常現象を起こせるもの以上でも以下でもない。

何か見て言ってるんですけど。
人間、賛美が過剰な時は要注意ですよ。
過剰な賛美は嫉妬の裏返しですからね。
何かあったらすぐにコインを裏返そうと思って褒めてます。
ほんとに嫌らしいですよ。人間て。
何でも過ぎたらtoo muchです。

反応が自然か自然じゃないか。
この直感が働くと、人生大損はこきにくいです。

しかし、最近の日本のニュースを見ても、謝罪と言って本人に謝ってないケースばかり目立つね。本人に謝らず世間に謝って謝ったことになるのかという話。世間体を気にしているだけで、謝罪の気持ちなどないのだろう。

基本、言い訳をするのは、できないからじゃなく、したくないからだと思っている。

変形したあまのじゃくみたいなところがあるので、勝手に他人がこう期待しているだろうなというのを察すると、ことごとく予測を裏切りたくなる。

中国だったか日本だったか他の国だったかどの時代だったか忘れたが、リーダーに凡人を起用して功を奏したというエピソードがある。
まあ、切れ者がフルスピードで仕事をしたら、エリートしかついてこれない。それでは、全体として弊害があるという話である。一理ある。
僕は物事をこれくらいのアバウトさで記憶している。

豊臣秀吉「負けると思えば負ける。勝つと思えば勝つものなり。」

美空ひばり「勝つと思うな思えば負けよ。」

通行人A「どっちやねん。」

わし、スペックが高すぎるのだろうか。
宇宙規格(企画)?

結局、物事に趣(おもむき)を感じられるかどうかの大半は、視点の問題なのである。

この世界でそこそこ上手に生きたかったら、もっとも重要なのは観察である。

怖がってもいないのに怖いという人には悪意がある。

仕方なくないことはどげんかせんとあかんが、仕方ないことはほんと手放した方がいい。
とくに人に由来する問題は。話が通じる人には通じるが、通じない人には通じないものなので。家族でもなければ、他人の課題を抱え込む必要なし。

主語はとても大切である。
主語の違う他人の話など人生に全く関係ない。

今のAIとかの技術なら、セックス・ピストルズがブルーハーツの人にやさしくを演奏している音源なんかも作れるのだろうか?
作らなくてよいが。
例えば、美空ひばりを初音ミクみたいにすることも、技術的にはできるようになるのだろう。やらなくてよいが。

例えば、何を言うかも何を言わないかも両方大事である。
これよりこれの方が大事という論調が、目をひきやすいためかよく見られるが、どちらか一方では片手落ちで、両方大事なことの方がほとんどである。
まあ、記事にはなりにくいのかもしれないが、そんなもんである。

昔より、良い音楽が確実にわかるようにはなっているが、正直、感動というものは薄らいでいる。
悲しいけれど、これが老化というやつなのね。
花火も、桜も、やっぱり良いな。とは思うのだけれど、昔のようなドキドキはない。
君は、ゴロワーズを吸ったことがあるかい?

人生には大切なことがあるが、だいたいの雰囲気でやっている。

たった今、奥さんに、何でもしっぱなっしなんだから。とぼやかれたが、そう言えば、子供の頃、母親に、ぱなしの権兵衛。と命名されたのを思い出した。
その他にも、三年寝太郎などと名付けられた。

ひょんなことで、奥さんとのミスコミュニケーションが発覚した。
悪くない。というのを、奥さんは、良い。と捉えていたと。
私の場合、文字通り、悪くはない。つまり、我慢できる。という意味で使う。良いなら良いと言う。
どちらかが不正解という話ではない。
この様に、同じ言葉でも、人によって定義やニュアンスが違うから、誤解を生む。文字通りと思っていると、かえって間違える。
言葉は難しい。


どぶろく、うめぇ。

私が嫌いっていう人間は、信用できない。と、ニアリーイコールなんすけど。
言っちゃうと、良い組織って、信用できる人がどれくらいいるか(質、量、割合含め)ってことじゃないか。と、思ったりもするわけです。はい。

内部告発の経験者17%が「後悔」

外部に告発すべきだろう。

過去のことを言ってもどうにもならないのだが、10年以上前から製品へのコストの価格転嫁がうまくいっていたら、今とは状況が違った気がする。
まあ、経済は「気」の問題によるところが大きいので、一億総デフレマインドでは、難しかったかもしれないが。
成功するには、働く人の給与が上がることが不可欠で、それは今も変わらないが、そこんとこ完全にすっぽかされてきたしね。

今の生活はともかく、将来のお金がほんとにない。

夢とチボーはありますか?

そこになければないですね。

大谷翔平めでたい。(結婚)
明るい話の8割が大谷翔平発である我が国。

人の報告書にアカンという業務をたまたましているのだが、わしなど会社に入って何千回も文書を突き返されているので、少しは君らも頑張ってくれという感情にはなる。
会社の上の方でも、論理的思考や文章力がトホホな人はいる。他のことで才能が買われたのだろうが、その辺のスキルが上達する前に偉くなっちゃって、指摘をされないもんだから、ずっと下手なままという。
そこへいくと私なんて、万年偉くない人だから、今でも落ち度があれば指摘を受ける。で、改善するので、スキルが留まることを知らない。ミスチル?

ハルカス美術館の円空展に行ってきました。
良かったです。

見聞きしたいコンテンツだらけなのだが、お金も時間もおいつかない。悔しい。

朱に交われば修羅シュシュシュ(二回目)

体感。酷い人間の方が豊かな暮らしをしている。

それにしても人類は頭悪い人が多すぎる。
ありえない話ばかり信じて、真実にはそっぽを向く。
なんて話をすると、事実でもない話に真実を見出そうとする。
嘘を信じて本当のことがわからないというと、余計に虚言にハマる。
脳の発達が裏目にしかでていない。

絶対◯◯だ。と強く確信している時ほど、自分の脳を疑うくらいで丁度いい。もし、本当にそれが正しかったとしても、そんな時ほど細かなことに気が回らなくなっているもので。ミスをおかしやすい。

原則、アカンことは、アカンかった事例一つでアウトやと思う。

この世界の問題のほとんどは程度の問題なのである(100回目)。

前にも書いたことがあるけれど、私は時々自分の中に他者の存在を感じることがある。
わかりやすいのは、自分の感情ではないのに、涙が出そうになることがある。
死者の魂が遊びにきたのかな?なんてことを空想したりもする。オカルトとも怖いとも嫌だとも思っていない。むしろそんな時は自らも浄化されたような感覚すらある。霊感が強いわけでもないが(前に書いたが、霊的なものは1,2度見たことがあるだけだ)、ただ、自分とは違う感情を感じるので、そう感じるという事実のみを素直に受け止めているだけだ。
この世界は当たり前のことしか起こらないと思っているが、私たちは何が当たり前かをしらない。

勇者ライディーンの最終回を見た。
実は最終回の放映日、実家の新築のために家族でアパートを間借りしていて、最終回を見れなかったのだ。当時は、当然、ビデオすら無かったので。
今となってはどうでも良いことだが、なんだかモヤモヤがすっきりした気がする。

さわりだけ観たけど、四畳半神話大系おもしろいな。

そういえば、梅田のドンキんとこのアクアリウムからウツボがいなくなったようである。
ほんとに何もわかってないやつらばかりだ。

インスタントの沖縄そば、味気なかったので、豚足を買ってきて入れたら、満足度爆上がり。

古都華(いちご)うまい。
王林(りんご)うまい。
台湾のパイナップルうまい。

センスのない人がセンス良くなる方法には2つあって、一つはうまい人の型を真似るということと、もう一つは自分が本能的に気持ち良いと思うことを大事にすることである。

世の中を観察していると、太っているからモテないというのは違うように感じる。モテない上に太っているのだ。つまり、本人は太っているからモテないと思っているが、モテない理由のほとんどは他に理由がある。
こういうパターンのことはよくある。
自認識と他からの認識の違い。

過去に何十年も、研究、実験、データの解析ということをしてきたので、初歩的な改竄であれば、データを見ただけで、感覚的にわかってしまう。

現代人は飽きるのが早いように見えるが、そもそもはじめから興味がないのだと思う。
目新しいことに反射神経が反応してるだけ。

ここ10年あまりの労働組合というのは骨抜きで、労働者にとってではなく、会社にとって都合のいいように働く人間(つまり労働者の賃金を抑える存在)が抜擢されている。

スポーツマンシップほど信用できないものはないと思っているし、縦社会そのものが私の知性にそぐわない。
猿は山に帰れと言いたくもなる。

昇格の基準に性格の良さ悪さはないので、沼にハマると会社の人間関係はつらい。

わたしは鏡である。と言ったことがある。
わたしは
醜い心の持ち主に、ほら、お前の心の姿はこんなに醜いよと鏡をみせているだけである。
怒る人は、鏡に映った自分の醜い姿に腹を立てているのである。

物事を完全否定しているわけではない。
その物事の程度やバランスの酷さを完全否定しているのだ。

他人も儲けさせることを考えないと、長くは商売は続かない。

粗末なアウトプットは生活を粗悪にする。

これ以上デジタル化社会になったら、社会破滅すると思うわ。バグだらけなので。ブラックボックスで修復も無理では?

あちこちの企業で、内部にテロリストがいるんじゃないか?
ってくらい、色々あるよね、しかし。
システムトラブルとか、生産のトラブルだとか、品質問題とか。
チェック機能も働いてない感じで。
チェックできる技術者が辞めちゃってたり?

物事の常識というものは、単に我々が未熟であったり無知であるがゆえの暫定解であることもある。

世界は持ち回り制なので。
豊かな暮らしを望むのであれば、自分もそれに見合う役割を果たさなければならない。
東京では正社員不足が問題になっているらしい。(竹中平蔵なんかの話にのるからである。)
配達員も、農家や畜産業者も減り、労働者不足は今後深刻化するだろうし、物質的に豊かで便利な暮らしも風前の灯である。
高齢者は増えるが介護の人材は不足するだろうし、様々な職種がいつ存続を危ぶまれるかわからない。
働く人のことを考えない社会の当然の帰結である。
仮想空間やe-スポーツに興じながら人は飢えて死んでいくのだろうか。

誰かが働いているから、束の間サボれたり、ある程度いい加減でも何とかなっているのだ。
みんながみんなサボってばかりで、いい加減なことばかりをしていたら。たちまち社会は崩壊する。
お気楽に過ごす時間があるのならば、それは誰かが頑張ってくれた果実の味を享受しているのである。
自分の役割をきっちり果たすことで、本来世界は充分うまく回るはずだっただろう。
ズルやインチキをする人間が増えすぎたのだ。或いは、インターネットにより、その悪影響が大きくなりすぎた。

鋼の錬金術師ではないが、この世界にはマテリアルバランスがある。
物質収支は変わらないのだ。
何かが増えているのであれば、どこかで何かが減っている。

今の天皇家は好きだし、こうなっている以上、全体最適を考えて日本国憲法も天皇制も肯定しているが、そもそも天皇制などというものができたのは、人類が狂っているからだと思う。キリスト教も他の宗教も、人類が狂っているから生まれたと思っているし、王室もしかり。資本主義も共産主義も狂っている。言ってみれば、人間の営みは全て狂った人間の産物というのが、この世界に対する率直な感想である。

狂った人間ばかりなのに、人類は僕チンえらい、僕チン頭いい、僕チンは特別と思っているのである。
コメディも甚だしい。

まあ、子供がいないので、あれこれ自分や社会のことばかり考えてしまうというのはあるだろう。独身者なら、なおさらそうだろう。
子供がいたら、そんな暇ないだろうし、言ってる場合でもないだろう。
人によって、人生の課題は違うし、世界の有り様というか、見え方も違うのだ。
だから、どうして人はこうなんだ。と言ってみたって、仕方ないところはある。
客観的には、そんなこともわかってる。
感情というのは、頭で理解していることだけでは、やりきれんのだ。

不躾でない人は不躾な人が嫌いである。不躾な人は不躾でない人間が苦手である。ここまではイメージつきやすいだろう。しかし、何を不躾と思うかという価値基準は、非常に個人的な主観(価値観)に根ざすものなのである。誰もが同じテレビ番組を見て、似たようなことを考えていた昭和の時代ならば、この価値感が他者と大きく異なる確率は低かっただろうが、これだけ多様な価値観の時代になると、何を不躾と思うかが、そもそも一人一人違うのだ。つまり、あなたが不躾と思っている人は、別の点であなたを不躾と思っており、お互いに不躾なやつだと思っている可能性はありえるどころか無い方がありえないくらいだと推測するし、世間で当たり前とされることを俺は苦手と自分の不躾さを省みず社会のせいにしている可能性も当たり前にあるのである。多様な社会に対する心構えができてないまま多様化したから生きづらさが生じる。多様でありたいなら、同時に、異質なものに対して寛容さ、或いは、無関心さを身に付けなければ共存はできず、分断して対立を続けることになるのである。

人のことには気づくものである。

自分の姿が1番見えない。

こないだ発見した美味しい中華屋、早くも移転。
残念!(店としては栄転やけど。)

空芯菜美味かったなあ。

中之島美術館、福田平八郎展なかなか良かった。

ロシアもイスラエルも(日本も)どこもかしこも、権力を握っているのは犯罪者ばかりではないか。

人間の生活を不便にしているのは人間である。
人間を生きづらくしているのは人間である。

ノアの方舟なんてものがもし仮にあったとして。間違いは人間など乗せたことである。

神話なんてものは誰かに都合よく物語られているに決まっているので、信用する人のクレイジーさには震える。

結局。人が人を信用するかどうかってのは、もしうまくいかなかったり、ひょとして騙されたとして、そのリスクを受け入れる気持ちになれるか。ってことだと思う。

台湾の地震後の対応と日本の地震後の対応が何故こんなに違うのかという声がsnsにあがっているようだが、違いが出るのは当たり前である。
台湾は本質的に問題を解決しようとしてそのためのことをしている。
日本はそうではない。

とりあえず岸田文雄の収入に100%の税金をかけたらどうだろうか。

最近はニュースを見るのも萎えるのであまり見てない。

河村たかし市長は、祖国のために命を捨てるのは道徳的と言ったらしいが、本人、祖国のために命を捨てる気は1mmもないだろう。
この発言と思考のパターンは彼に限らず、政治家(特に日本の)によく見られる。
一定層にウケるから言ってるだけで、何の責任感もない。ないから言えるのである。
と言って、その無責任な発言で世の中がきな臭い方向に動くことは歴史上多々あることを知っているから、反戦家はアレルギー反応を起こす。
そもそも馬鹿げたことに端があるが、分断とはこの様なくだらないことから深い傷が生まれるのである。
知らんけど。

ほんとこの世界は馬鹿げているが、こうした馬鹿げたことは、はい、そうしましょう。と裏で決めて、そのとおりにやってる気もしている。
この国が統一教会・勝共連合にズブズブなことが明るみに出たわけだが、それに近しい利害が一致する存在が日本に限らずアメリカも含めて世界にあって、はい。こことここで戦争しましょうそうしましょう。と決めて戦争が仕組まれてく感がハンパない。

政治への不信はものすごいが、家族や友人含めて、政治の話は人とほとんどしない。しても、あっさりである。だいたい、楽しい話にはならないので。

犯罪組織の指示者が実はムショにいたというのは私も想像できなかったが、アジトなんかに潜伏はしていないとは思っていた。元々欲を満たしたいのだろうから、快適なとこ探した方がいるだろう。前も書いたけど、ホテルのスイート探した方が早い。

わたしはのほほんとした時代でも戦国時代でもあまり生き方は変わらないと思う。生き方の基本は同じなので。
戦争が馬鹿馬鹿しくて仕方ない。
QOLが下がるだけなので、損。

人生の8割のことはただめんどくさいだけである。
当たり前のことをしているだけなので。

結局のところ、真面目にやる方が無駄なコストがかからない。問題が起こりにくいので。

損を引き受けられないリスクは取らない。

正直、夢も野望もないので、人生おいしいもの食べて、横になって、時々暇つぶしできれば、それだけでいい。余計なものいらない。
なぜ、それがままならないのか。

私は貝になりたい。というドラマがあったようだが、私は貝が食べたい。

死後の世界があるとして、そこにいるのは生前人間だったものである。もとが人間なのだから馬鹿が多いだろうし、性格が悪いのも沢山いるだろう。それこそパワハラだってあるかもしれない。
この様に空想すると、死んだら何か変わると思うのも期待感高すぎるのである。
人間が幽霊になるとして、毎日人は死んでいるのだから、生まれ変わりでもしない限り、積算すると幽霊の人口(人じゃないけど)は大爆発である。
犬が棒にあたるより高確率でそこいらにいることになる。
団塊世代が皆死んだら806万人の幽霊が爆誕しても不思議ではないのである。人が死んで幽霊になるなら。侘び寂びもない話である。

歳をとると鼻毛と眉毛はマッハの速度で伸びる。

買い物しようと街まで出かけたら財布を忘れました。

ベトナム料理屋さんに行って、焼きアヒルとフォーを頼んだら、丸焼きではないがアヒルがほぼ丸一匹出てきて半分テイクアウトにしてもらったアカウントがこちらになります。

昭和生まれの幼い私は、ドッキリがあるので、芸能人にはなりたくないと思っていた。(完)

いつの頃からか人生をずっと邪魔され続けている感覚がある。
まあ、実際に邪魔もされてるんですけど。

ほんま、生きてるのは馬鹿らしいが、死ぬのも馬鹿らしいし、かと言って、舐めとって生きたら食うものに困るという糞ゲー以外の何ものでもないわな、人生って。

わたしは、この世界で起こったことのみを観察している内に、全く物事を都合よく考えないようになったので、物事は成功する確率が高くなったのと引き換えに、頭の中がハッピーセットじゃなくなった。
ほんとにこの世界はうまくいかないようにできている。

私の場合、しんのすけ君のように、お尻を出して振るということを、自らは好まない人生である。
人がしていたら、それはそれである。

人間それぞれである。
人生に対する感じ方も人それぞれである。
誰かが私と同じ運命を辿ったとして、とても耐えられず死ぬ人もいれば、へっちゃらで幸せを感じる人もいるだろう。
ただ、私が、この様な道を辿れば、この様な感じ方をするということで、100回繰り返したって、同じことになるかもしれない。或いは、違う道を通っても、結局、同じようなことを感じるのかもしれない。

受け身でいると、いたしかたないことだらけになるので、多少わがままくらいで良いのだろう。

幸せを感じるのは、本来、私的な絶対的なものであろうから、他者に相対的なことを言われても心に響かないのではないだろうか。相対的に勝ったとか負けたとかやってる人はそうでもないのかな?
不幸せでいうと、絶対的不幸せを感じるタイプの人と、相対の中に不幸せを感じるタイプがいて、後者の方が多そうな気がする。わしはあまりそうではないけど。

わたしは糞な気分というか、実際、鬱判定されてもおかしくないくらいでも、仕事はしているし、妻にお尻を叩かれている。同じようにやれとは言ってないが。人生悲観しようと思えばいくらでもできるし(実際世の中悲観したくなるようなことだらけだ)、人を呪おうと思えばいくらでも呪える。
悲観するなとも呪うなとも言わないが、そればかりをしていると、せっかくあるラッキーや楽しいことまで見過ごすのでドントミスイット。嫌でも日々は続いていくし、嫌でも人の中に生きているし、嫌でもお金がなければ餓死するし。ままならないことはままならないので、ままならねーな。と言いつつも、それはそれ。と、スイッチ切り替えて生きなきゃこんな世の中じゃポイズン。というくらいにはハードボイルドだど。

この世界は、すぐに嫉妬にかられるルサンチマン星人が非常に多く生息しているので、あなたの社会的立場が弱い場合、かつ、あなたが他人の劣等感をくすぐる程度の優れたところがある場合、馬鹿共は何度もあなたを潰しにかかるでしょう。
わたしのライフハックですが、これは長い戦いになりますが、相手に仕返しをするんじゃなくて、実力を身につけて、圧倒的なものを見せつけるんです。まずは小さな世界からでも。その内、世の中が相手の方を馬鹿判定してくれます。ゼロ対100で。思ってるのの何倍も、何なら5倍は時間かかると思いますがね。
めんどくさかったら、要領を覚えることですね。馬鹿をおだてて木から降りられなくするとか。

ヒーローものはもちろん好きだったが、リアルでは幼少の頃から敵味方にわかれて争うという旧人類じみたこと(現代でも飽きずにやってるみたいだが)が、全く私の感性になじまず、大人になってからも同じなので、この猿山のような人間社会は、なんでわし下等生物の群れで暮らさなあかんねん。と、ほんときつかった。(今もきつい。)

現代人、キレやすすぎ。というか、何かちょっとしたことが一つあっただけで噛みつきすぎである。
反射神経で石投げる。みたいな。
恐らく積年の我慢を積み重ねて、コップがいっぱいになって、もう受けつけず、すぐ溢れ出す。みたいなことになっているのだろうが。
ほんとにそれを態度に出すなら、慎重さと覚悟がいると思うよ。
良し悪しじゃなくて、作用すれば反作用するのがこの世界の法則だから。
まあ、わしのTwitterなど見てた人からすると、お前が言うのか?と思うかもしれないが、実のところ、案外慎重であるし、リアでは相当に我慢を重ねている。
覆水盆に返らず。と言われている通りで、壊れたものは、完全には元の通りにはならないから。
壊れても引き受ける覚悟(しかも壊そうと思ってないとこまで壊れる可能性がある)とか、壊れない計算がなかったら、気を悪くするかもしれないけど、昔はよくいたバカ犬と変わらないよ。結果が。
これも繰り返しで言っていることだけど、ギャンブルとか一か八かの時は、やけになった時ほど負けが大きくなるものだから。
ハナから勝負しなくて済めば1番よい。それでも致し方ない、勝負で勝とうとか負けまいとか思うなら、我慢が1番肝心なのだ。
人間辛抱だ。って、適当なやつが適当に言ってたわけじゃないと思うよ。まあ、辛抱しない人間の方が笑ってたりするけど、ずっとは笑ってられない(と思いたい)し、時代は変わりつつあるよ。
まあ、辛抱もせず、ハッピーでいられる人が1番強いんだけどね。

お勧めしないが、残忍になる1番簡単な方法は、人を人と思わないことである。ネタニヤフから聞いたので間違いない。あれ?プーチンだったかな。
ちまたに残忍なニュースが多いのは、人を人と思わない事例が多いからだよ。じっちゃんの名にかけて。

ネイティブ・アメリカンの格言を一つ。
二人の人間の友情は、どちらか片方の忍耐にかかっている。(大意)
自分が我慢フリーなら、相手が気を回してくれてるものなのよ。世の中。

とは言いつつ、のっぴきならない状況なら、我慢せず逃げた方がいい。その前に相談できるなら相談するとか。
逃げる方が攻撃するよりよっぽど利口である。

社会も、老後に2000万円(最近だと4000万円?あるわけない)必要とかいいつつ、インフレの中給料は上がらず、かと思えばタンス預金を吐き出させようとしたり税金類で根こそぎ持っていこうとしたり、ちまたには詐欺があふれるなど、総じてただの鬼畜じゃん。人間。
金がないなら無駄金を使うな。が正解の世の中だが、そもそもそれで内需で国が豊かになるわけもなく、お金持ちの外国人様にお金を落としてもらってへへーありがとうごじぇますだご主人様ってやってくんでしょ。金があったらリスクとって投資に回せが正解なんだろうけど、そのゲームに乗れるのはお金や人生の時間に余裕のある人達だけで、結局、そのゲームしてる人達が潤うだけでその人達は世界に何を与えているのかねえ。

人間ほんと、正しい答えの逆へ逆へ行くよね。
AとBがあって、突飛な方を信じる病に人類はかかってるの?
僕が世界を観察する限り、なるべくしてなることがほとんどだよ。
つまり、1秒後の世界は、今現在の前提条件に基づくということ。その繰り返し。ドミノ倒し。

僕は人が考えてることと逆のことを考えたり選択していることが結果的に多いんだけど、例えば僕が危害を加えられたくないとしたら、存在を消すんじゃなくて、生きている人間であることを嫌でもまざまざと見せつけるね。もし運悪く殺されたとしても相手が生きている人間を殺したんだってことが、相手に、そして、相手が不感症でも世間にまざまざとわかるように。だって、効果からするとそうでしょ?
人は効果の逆へ逆へ行きたがるから選択が僕となかなか一致しないんだけど。
僕と比べちゃ悪いけど、大谷翔平さんのバッシングが少なくなってきたのも、似たようなものかと。
負じゃない証明って、悪魔の証明で、とりとめがないから。ただ単に正の姿を見せて、言ってる人が負なんだと思わせた方が利口でしょ。大谷さんの場合、それが自分らしく生きることと合致してるから、本人、何の損失もないよね。金は奪われたかもしれないけど、それより大きな信頼を得るし、信頼が何よりの資本だよ。しかも、万人からの信頼が得られるんだから。

再三繰り返すが、問題を解く上でもっとも重要なのは前提条件である。前提条件が違えば答えは変わることがある。だから、問題を解決する上でもっとも大切なのは前提条件を調査し把握することなのである。
前提条件を正しく見ることができない者に、相応しい答えを見出すことなど、原理的に困難なのである。
その上で、解決法としては、個々の問題にパッチを当てていくやり方とか、個々の問題、或いは、その集合が起こり得ないように仕組み自体を変えてしまうやり方など、バリエーションがある。
何にせよ、前提条件を把握し、(これも繰り返し言っているが)前提条件を要素分解するのである。
絡み合った問題も、一つ一つの要素にバラしてしまえば、それぞれの要素を解決するのは比較的簡単になる。その上でトレードオフなど起こることあれば、仕組みを工夫するなど、別の視点を検討することになる。

わしゃ同じことしか言ってない。
本質ってのは普遍なので。
本質を捉えているなら、常に同じやり方でよい。
ただし、解答は、前提条件によって変わる。
それだけのことなのだ。
逆に言うと、前提条件が変わっても、常に正解となる解答。
これが普遍であったり、よいシステムということになるのだ。

私の問題解決手法のプロセスは単純である。
問題を要素分解し、個々の要素に対し解決を図ったり図らなかったりする。
しかし、これをマルチタスクであらゆる要素について同時並行して処理するし、解決には事情や感覚的な手段を選択することもあるため、他人から見たらブラックボックスかもしれない。
が、プログラム化してみたら、多分単純なプログラムになるのだと思う。
前提条件が変わるので最適解が変わるだけで解き方は変わらない(ただしツールは都度最新化される)。

私がよく会議の場で細かい質問をするのは、些事にとらわれているわけではなく、全体を俯瞰した時に前提条件として抜けているピースについて質問しているのである。情報の洗い出しである。わかりにくいかもしらんけど。いちいち説明せんけど。答えを導くのに足りないピースの話をしているのだ。
全体の材料を揃えてから調理に取りかかるタイプなので。状況が変われば修正はするのだが、材料が揃わないとレシピを作りにくいというか、不確定要素があると、方針が大きく変わることがあるので嫌なのだ。

仕事をワンイシューと捉えた時、最重要なのは、このゴールまでの青写真を描くことである。しかし、時間がかかるのはこの青写真通りに実行するプロセスである。つまり作業が仕事の8割の時間を占める。これが世に言う80対20の法則というやつである。
仕事の完成には、両方の時間を見繕う必要がある。
この作業に嫌気がささないようにするコツは、自分で青写真を描く、或いはせめて、そこに参画することだと思う。
やらされは俺でもきつい。
仕事の戦略や構想を考えることを部下から奪う上司は教師として駄目駄目である。
かと言って丸投げも無能である。

なぜ担当者が低賃金で無茶苦茶忙しい状態になるかというと、トップが事業の存続に何が必要とされ、コストと作業時間(工数)がどれくらいかかるか、仕事の全貌を把握してないからであーる。

ここは仕事が早いと金にならないパラレルワールドです。(残業代にならないから。)

多くの人って、頭でっかちなだけで、僕からみると全然ロジカルにもの考えられてないんですよね。
ほとんどの人が、僕からみると、感情や皮算用や行き当たりばったりや打算や保身や忖度や悪だくみや都合や思い込みで動いてる。そりゃうまくいくものもうまくいかないと思いますよ。

自分の都合しか言わない人には私も自分の都合しか言いません。

口で言ってることは信用できなくなった。
結果しかみていない。

モチベーション言いますけど、他者からモチベートされたこと、ほとんどないですね。
仕方ないからやってる。とにかくつべこべ言わんとはじめる。少しでも面白くなるように努力する。
それだけですね。

わし、前世、王様だったことにしとくか。
(自己申告制)
何か不手際があった時に、
「すみません。王としての資質しかなくて。」
って、答えるのどう?

GWとてもゆっくりしている。
母親に連日ご馳走になった。有難い。

この日は奥さんも合流。


飲食店で、美味しいと、帰り際に、また来ます。と、つい言っちゃうが、なかなか行けない。その気はあるのだが、何しろ先立つものが限られているので。

節約だとか食事制限だとか節煙だとか運動だとか、大切なことはわかっているのだが、加齢のせいか、自制がきかない。精神的にはストイックなところもあるのだが、肉体と結びつきの強いことに対して脳の指令がわがままだ。駄目駄目である。
世間を見渡せば自制のきかない人だらけだけど。

逃げたり誤魔化した問題は消えずに、時とともにさらに大きく深刻な問題となることを、お分かりでない。

ゆっくりとできた氷は溶けにくい。みたいなことが人間についてもある。

アバターとか、仮想空間とかあるが、少し空想を広げてみれば、現世の姿こそがアバターであり、目の前の世界を仮想的空間と捉えることもできなくない。

ずるい人は、効果的な方法を選択する。
憎らしくともずるい人たちばかりが笑っているのは、パンピーがあまりにも効果を考えずに行動を選択するからである。

わたしに友人の少ない理由の一つでもあるので、良いことか悪いことか判断はしないが、僕は根っこの悪い感情には一切乗らない。

感情を重要視しているが、一線を超えたやつの感情は一切くまない。
なので、人生色々になっちゃうのだが。これはわたしの生き方のクセである。良し悪しじゃない。

この世界でうまくいってるのは悪魔と契約した人だけ。俺は魂を売らないのでずっとワリを食ってる。まあ、悪魔と契約した人もただで済むはずもなかろう。どうせ最後に死ぬので抱える必要もないのかもしれないが、生きてる以上果たしたい責任がある。だからがんばる。だが報われない。報われないどころか笑われる。糞を投げつけられる。が、耐え忍びぎりぎり帳じりを合わせる。希望なんてありはしない。ただ死ぬまでちゃんと生きる。そんな世界感。

人間という奴は時折無自覚に誰かにとっての悪魔の役割を果たしているものだって、考えたこともないんちゃう、君?
逆に、気づかないうちに、その日の天使の役割を果たしていることもあるんだけど。

金の恨みを舐めてると命を落とす。

人がこう言ってる。つって自分の不満を一般的なご意見として訴える厨がいるけど、俺は自分の生活以外は素人なので他人のことは引き合いに出さない。
ただ、自分の人生を通じておかしいと思ったことは言う。俺の人生のことだから。誰も何もしてくれないから。ほっといたら悪いようにされるから。
自分のケースで不具合があるなら、それはシステムとしての欠陥だから、訴えるのは全然自分勝手じゃなく、同じ欠陥で苦しむ人のためにもなる。

問題は個別に宿るから、一般論で話すと本質はこぼれ落ちる。

風邪に効く薬はないと言われてきたが、症状を緩和したり、葛根湯のようにひきはじめかな?という時に効果のある薬はある。
これに対し、馬鹿につける薬はない。症状を緩和する薬もない。頭を打って痛みで覚えてもらうしかないのである。社会が寛容にならなければならない。
え?何ですって?聞いてませんけど。

大人がちゃんとしなきゃいけないのは一点のみ。
馬鹿がちゃんと頭を打つ社会にしなくてはならない。
ジャイアンをしかるんじゃなく、ジャイアンの言うことを聞いているから、こんな社会になるのだ。
100回目だが人類は小学生の頃からほとんど成長がない。大切なことから逃げ続けているからである。

エリートの悪いところは、レールから外れないパターンのことしか考えないので、レールから外れた人に対し地獄を作り出しておいて、作り出した地獄を見向きもせず、自分はお気楽にゴルフや接待や財テクを楽しみ、無神経に鼻くそをほじっているところである。
あと考えようとしても、数字やデータだけみて、人やその人の現実を見ようとしなかったりね。
まあ、興味や関心が薄かったりもするのでしょう。日常に接点がないから。

人に救われるタイプの人は、人の心とアクセスしているというか、日常的に接点を作り続けているから。
わたしみたいに接点が少なく、また、接触の回数が少ないと、興味はもたれても何かしてもらえるとかはそうそうない。人間関係は接点ある人に優先されるから、そりゃそうだ。

一般的に人は、裏切られたとか、騙されたという時に、一番人を憎んだり嫌ったりすることが多い。
人は勝手に期待する生き物だからである。
逆手にとって、より良い選択とは、人の期待に応え続けること。というのもしんどいので、時々期待を超えるパフォーマンスをすること(人は他人などあまり見ていないので印象しか覚えていない)。よりトンチが効いているのは、期待を裏切りつつも、期待を超えるファンスタスティックなサムシングを提供することである。

ずるい人がダメになるパターンはというと、効果から考えるので最初はうまくいくが、その内、実が伴っていないのに効果だけがめつくむさぼるようになり、やがて虚飾が剥がれ人としての信頼を失い、一気に儲けの数倍の負債(金とは限らない)を負うことである。

結局長く良い目に遭い続けたかったら、小さく勝つか、引き分けに持ち込む方が利口なのである。
大きな利益には、嫉妬など負の遺産もセットでやってくるので。

僕の要領の良さが一段ギアが上がったのは、何ごとに対しても課題の分離をするようになったからだと思う。要するに、自分が担うべき課題かどうかをすぐに仕分けして、担うべきことのみを担うから、そういう意味で無駄無理がない。
この場合、大事なのはむしろ、相手の感情の処理である。自分の業務より、疎かにすると大変なのは人の感情。感情に感情で応えたら駄目で、相手の感情を整理するためのロジックを提供するのが僕のやり方。共感型ならやり方はまた変わるだろうけど、僕は共感型ではないので、僕にはこのやり方が合っているということ。人によって最適解は変わる。人の問題は特に。
この場合の感情とは悪い感情のことで、良い感情には感情で応えた方がよい。

課題の分離も行きすぎると弊害が生じることがある。
例えば、信じるか信じないかはあなた次第ですと言う。たしかに信じるか信じないかは相手の課題なのだが、それならば詐欺は良いのかと言うと良くないと考える方が自然だろう。
課題の所有者だけに責任があるとするのは、必ずしも宜しくない例である。
物事には匙加減がある。欲望もまた人間的な本能だが、バランスを考えることこそが人間の知的な能力であり、不条理に対する一種の抵抗なのである。
まあ、ほっといても安定化するとこに落ち着くのが自然の摂理なのだが、それは乱雑な方向に向かうのでやりきれない部分が出てくる。乱雑さを見越して要点だけ整えるのが知的な人間としての仕事なのである。ガチガチにするのは乱雑に向かうこの世の摂理を考慮してないので一流の仕事とは言えない。

課題を分離した時、どちらか片方の責任にできないこと。それが、お互い様に該当するゾーンなのかもしれない。

エントロピーの法則的なことだが、エネルギーは高いところから低いところへ流れる。善悪は置いておいて、ネタニヤフやプーチンといった人たちはエネルギーを高めてしまった。彼ら自身に災いが起こるかはわからないが、そのエネルギーの解放の影響を大きく受ける人が出てくるのは、歴史を見ても必然だろう。
因果応報というが、残念なことに、一個人の因果に影響を起こすとは限らない。ただ、エネルギーが高いところから低いところに流れる。そのようなことは、エネルギーを高めた以上必然である。因果応報にはこの程度の曖昧さがあるので、一個人としては、幸福な人生も不幸な人生もあると思っている。

この世界には疑った方が慎重に生きられることと、疑わない方が効率よく生きられることがある。
トンチンカンな人は、この辺の匙加減がトンチンカンである。

人事を尽くして天命を待つとかいうが天命などというものはない。エントロピーの法則のような、ドミノ倒しのようなことが、起こるべくして起こるだけの話である。
大谷翔平さんを例にとっても、僕なんかは、天命などとは感じずに、持って生まれた身体能力と性格と努力とそれによる経験の積み重ねが見事に結晶化して高い準位のエネルギー体みたいになっちゃってるから、それをふさわしい場に置いてあげたら、あとは起こるべきことが起こっているだけ。という見方をしちゃう。

何で天命とか神とか出てくるかって言うと、人間が脳ばかり発達したから、その産物と思うよ。
一種の呪いだね。名づけたり、定義したりすると、概念が出来上がって、人はその存在を見たことが無くても意識しちゃうの。
ジンクスとか、占いとか、陰謀説も、体系化すると同じ脳の作用だよね。病的になると、妄想とか、潔癖症とか、統合失調症とか。全部親戚みたいなもんだね。
げんかつぎもそうだし、語呂合わせもそうだし、プロパガンダもそうだし、コマーシャルもそうだし、トレンドもそうだし。
ありとあらゆる人間活動がこう言ったことに影響を受けている。
価値観だって、どこでどう刷り込まれたものかわからないからね。
尊厳にとって、自分を信じるのは大切だけど、あんまり脳みそを信じない方がいいよ。同じ脳みそが睡眠中はヘンテコな世界(夢)を見せててもおかしいと気づく人は稀なんだから。それどころか正夢なんつったりしてね。

ただ、生命の生まれる前、死んだ後ってのは、別の理由でなんかあるのかな。とも思ったり。現世だけだとマテリアルバランスがどうなってるの?というのがどうしてもしっくりこない。ただ、天国や地獄のイメージは人間が作り出した産物だと思うよ。

ほんとのところがわかってるわけじゃない。
なんでもそうだけど、わたしは目の前にある事象(前提条件)から、その前提条件に矛盾しない回答を見つける遊びをしているだけ。言ってみれば、仕事もそう。
幸か不幸か人間に生まれたので、頭の体操を楽しんでいるだけです。金がなく退屈なので。

陰謀説って厄介なのは、それはないだろうなって思っても、過去のイベントで嘘でないことを証明するのは極めて困難だからね。まあ、中には嘘ってわかるエビデンスがあるのもあるんだろうけど、今度はそのエビデンスを疑っちゃったり、人間の妄想力ってものすごいんだと思う。
あの人はわたしのこと好きかしら?とか、人類全員何かしらとち狂った妄想はしてるから、馬鹿にはできないよ。
例えば、キリストは実はマジシャンだった。ワインや復活のトリックとは?とか、ムハンマドは実は統合失調症だった。とか言い出す輩が出たら、真面目に宗教やってる人は厄介だと思うよ。これだけアホが多いと。

わたしも長い会社生活なので、チームとして働いた経験はたくさんあり、それはそれでチームプレーヤーとしても役割は果たしてきた。
チームとして一緒に何かに向かっていく感じは共有してるしその時は爽やかさがあっても、その後は綺麗さっぱり何もない。ほんま、友人関係だけじゃなく、仕事も一期一会感が強くて。
普段、悲しいとも寂しいとも思わないが、公私とも仲良くやってるような人達をみると、全く違う人生というか、違う星人くらい違うな。と思う。

どこの国かは伏せるけど。
悲惨な貧しい状況になって、それでも国民は政府を信じていて、それでも政府は何もしてくれないどころかひどい仕打ちをしていることを伝える動画を奥さんが見せてくれた。
日本も他山の石だよ。

海外は悲惨。日本は治安もいいよ。
って情報を今日はいくつか目にした。
その通りだよ。
そりゃ今には先人の努力に感謝してるよ。
心配しているのは5年後、10年後、20年後。
日本はまだ治安が良く、豊かな国だろうか?
かなり怪しいと思っている。
今の打ち手は良い打ち手だと思う?
今やってることの結果は数年後に現れる。政策を立てた政治家が辞めちまって責任を追求できないころかもしれない。
将来馬鹿を見ないために、馬鹿なことをしてないか、今を注意深く見る必要があるんだよ。
ま、20年もしないうちにわしは死んでるだろうからいいんだけどね。
子供がいる人はそれでいいの?と思う。

お金のことで言ったら、強いものにはちょっとこづかいが減ったかなとか気づかないくらいのことが、弱いものには、その金で暮らせるとか命をつなぐくらいのことだったりするのが現実的にあるのだ。この世界には。

この世界には当たり前のことしか起こらない。
なんでそんなことが起こるねん。というのは、適切な材料が適切にならべられていないなど、起こるべくして良いことが起こる仕組みにしていないからである。
ほんとの金持ちがなぜずっと金持ちなのかというと、金持ちであり続けるための仕組みを作っているからである。何年もかけてそれをアップデートしている。
貧乏人が金持ちになるのとは訳が違うのだ。

100%自分の欲望が叶えられているなら、それにより誰かが泣いていないか。少しは想像力を働かせてほしい。
あなたがうまそうに口にしているそれは、誰かの血や肉や骨であるかもしれない。

一つはっきり覚えておいてほしいのは、今の日本の礎を築いたのは、先人で、今のメンバーじゃないから。
社会人も既に会社を去っていった先人は、ほんとに努力してる人多かったから。
ブラックではあったけど、認めざるをえない芯みたいなものはあった。
若い人にそれをやれとは言わないけど、僕らは新しいいい感じなやり方を見つけなきゃいけない。
わたしはその橋渡しの世代です。

誰にでも言い分はある。
言い分を押しつけすぎても相手も困るし、言い分を言わなすぎても損をしたり状況は改善しなかったりする。
建設的に物事を進めたかったら、どうしたって人間関係のスキルは重要になってくる。嫌でも人の中で生きているので。苦手でもめんどくさくても、トライしてみないと、結局下手なままで割損なのだ。

過去は変えられないが、未来は変えられるかもしれない。未来を変えられるのは、まさにこの瞬間、今なのだ。
今の先にしか未来はない。
今は未来の前提条件なのだ。

なんか急に最近SNSで表示される画像とかのセンスがあがってきたんだけど、これって人々のレベルが急にあがったんじゃなくて、アルゴリズム的なものが改善したんだろうね。





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