東方仗助と吉良吉影


 片山順一です。今回は、ジョジョを語るとき、一番私が、話したかった所について語ります。前述のワンダー・オブ・Uのときと同じ、ネタバレになります。

ジョジョの奇妙な冒険のイントロダクション

 ジョジョの奇妙な冒険という漫画は、数巻から十数巻のスパンで、大まかな物語が完結します。ある時代、ある場所を舞台として、ジョジョと呼ばれる主人公たちが吸血鬼や異種族、スタンドを持った人間などと戦いを繰り広げるのです。

 ジョジョといえばスタンド、と思われがちですが、じつは三部からの登場です。三部は、承太郎が出て来てスタープラチナがオラオラしているという、分かりやすい戦いです。次々でてくる強敵たちとの、頭脳と能力をフルに使ったバトル、実際に作者が世界を旅行して描いた世界中の魅力的な戦いの舞台など、その魅力は枚挙にいとまがありません。

 四部の特徴

 ジョジョの奇妙な冒険、第四部。その舞台は当時の日本(1990年代前半)の、杜王町という地方都市です。時間軸は、第三部より十年後。主人公の東方仗助の元に、三部主人公だった空条承太郎が訪れるところから始まります。仗助はなんと、三部で承太郎と共に戦ったジョセフ・ジョースターが、六十代のときに作った婚外子だったのです。

 仗助もクレイジー・ダイヤモンドというスタンド能力を持っているのですが、杜王町にはほかに複数のスタンド使いが居ます。『スタンド使いは惹かれ合う』という有名なテーゼによるのか、仗助と承太郎、友人の広瀬幸一、虹村億安などは色々なスタンド使いと出会い、ときに戦うのです。

 仗助も、友人の幸一や億安も、スタンドこそ持っていますが、べつに特別な活動をしているわけではありません。学校に行ったり、遊びに行ったり、恋をしたり、親族の介護をしたりと、平凡な学校生活を送っています。だから四部の根っこには、現代日本の日常が大きく横たわっています。

 ただ何気ない日常の途上で、奇妙な人物と思いがけない出会いを果たし、例によってことごとくがスタンド使いなのです。

四部のネガティブな評価

 この日常というのは、三部で描かれた命がけの世界旅行とかけ離れています。アニメ化される以前など、四部は他の部と比べて、差し迫った分かりやすい目的がなく、面白さが判然としないという批判もあったと記憶しています。

 批判は、ある程度正当だと思います。事実として、雰囲気は大きく変わっていました。私は四部が好きですが、それは、三部を全く知らないまま、この四部からジョジョを読み始めた影響が大きいと思います。エコーズ・アクト3の覚醒場面とか、リアル中二のときに読んだからうおおっ、と引き込まれたものです。

 ただ、何気ない日常に異様な、奇妙な人物がおり、突然奇妙な世界が現れる、というのはそれはそれとして、完成されていると思います。いわゆる、方向性の違いとでもいいましょうか。

吉良吉影という男

 そして、この部のラスボスともいえるのが、有名な殺人鬼“吉良吉影”です。

 さきほど日常なんていいましたが、実は四部の最初は、片桐案十郎、通称、“アンジェロ”という分かりやすくやばい殺人鬼が出てきます。こいつは、本当に人を殺すことを何とも思っていないクズで、死刑になりそうなところを弓と矢でスタンド能力を引き出されて助かり、杜王町にやってきて、仗助に因縁をつけ、その祖父を殺害してしまいます。
最後は、仗助のクレイジー・ダイヤモンドの直す能力で、肉体と岩をミックスする形で固定されてしまい、岩に埋め込まれたオブジェと化して、いわゆる『考えることをやめた』町の名所になりましたが。

 吉良吉影は、こいつとはタイプの違う殺人鬼です。一番は一般社会に馴染んでいることでしょう。

 一見して三十過ぎの真面目なサラリーマンの彼は、独身で両親の残した家に一人で住んでいます。いくらかのジョジョファンが狂気的に執着する『吉良の同僚』に言わせると、『仕事はまじめでそつなくこなすが、いまひとつ情熱のない男』です。

 などという彼ですが、その実態は、女性の手首への部分フェチです。しかもかなり重度で、気に入った女性を殺害してスタンド能力で手首だけにして持っていくのです。手首だけの女性に楽しそうに話しかけ、手首だけの女性を自分の楽しみに使い、腐ってきたら香水を振りかけてもたせるなど、そのサイコっぷりは現実の連中と共通するようです。

吉良吉影のスタンド能力

 なぜ捕まらないのか。それは彼のスタンド能力、「キラー・クイーン」によります。部分によって能力が分かれますが、このスタンドは接近パワー型(スタープラチナのように、人型で強い力をもつ)でありながら、指先で触れたものを爆弾にして自在に爆破できます。スタンドによる爆破なので、残骸は一切残りません。吉良は犠牲者の手首以外を爆弾に変えて吹き飛ばすことで証拠を消し、殺人を繰り返しているのです。

 さて、この吉良ですが、仗助たちの悪友、“重ちー”に偶然、殺した女性の手首をみつかり、口封じに彼を殺してしまったため、承太郎や仗助たちから追われることになります。

 最初に接触したのは、承太郎と広瀬幸一。二人と戦った吉良は重傷を負ったものの、顔を変えるスタンド能力を持った辻彩を脅して、自分の顔と男の顔を取り返させ、まんまと逃げて川尻幸作の家庭に紛れ込むのです。

 幸作の妻であるしのぶに惚れるかという描写も見られましたが、結局殺人鬼としての本性は隠せませんでした。衝動的に殺人を行い、の息子隼人にばれ、それが元で承太郎達が家にやってきます。

 今度こそ終わりかと思った吉良ですが、そこでなんと父親が持っていた矢が再び彼を貫きます。キラー・クイーンには、『バイツァ・ダスト』という新たな能力が発現しました。

バイツァ・ダストの脅威

 バイツァ・ダストは、吉良の望みを全て具現化したような能力です。それは吉良の正体を知る特定の誰かの中にキラー・クイーンを潜り込ませ、彼を通じて吉良の正体を知った者を爆破するというものです。
 この爆破は、防ぐことができません。スタープラチナのラッシュも、エコーズの重力も、ザ・ハンドの空間えぐりも、ヘブンズドアーの操作も一切通用しないのです。知ってしまったらキラークイーンが瞳の中に入り込み、問答無用で爆殺します。(第五部にでてきた、ゴールドエクスペリエンス・レクイエムなら……という議論は成り立つと思いますが)
 さらに絶望的なことには、爆破の瞬間時間が戻るのです。爆破されたものが、死ぬという運命を確定させたままに。作中では、学校へ行こうとする川尻隼人が、承太郎達から質問されることで発現。吉良を追っていた全員を爆殺する運命を確定させてしまいました。

 簡単に解説しましょうか。たとえば、十一月三日の午前九時十分にAさんが爆殺されて、同じ日の午前九時に時間が戻ったとします。すると、その十分後のきっかり九時十分、やはりAさんは突然爆発して死ぬのです。その時間軸で吉良の正体を知らなくても。一度バイツァ・ダストの能力で爆殺されたなら、必ず爆発して死にます。作中では、無敵ともいえるヘブンズ・ドアーをもつ、かの岸辺露伴が、戻った時間軸の中でひとりでに体が爆発して死んでいく絶望的なシーンがあります。キラー・クイーンに出会っておらず、戦いもしていないのに、露伴は死んでいくのです。

 吉良は川尻幸作として、自分なりに家族を愛しながら殺人鬼人生を謳歌しようとするのですが、幸作の息子である隼人の機転により、仗助だけがこの能力による爆殺を逃れ、吉良に攻撃を仕掛けます。

 私の好きな場面

 吉良は自分を守るためにバイツァ・ダストを解除してキラー・クイーンを呼び戻しました。仗助以外の仲間も助かりました。しかし吉良は仗助たちを追い詰め、民家に追い込んでしまったので、仲間に知らせることはできません。

 仗助の能力クレイジー・ダイヤモンドは、接近パワー型。殴った生物を治療し、物体も直す能力です。吉良に爆破され死んでいく者すら瞬間的に治してしまうほど強力です。しかし、この能力では仗助自身を治せません。

吉良は空気を操るストレイ・キャットの能力を使い、見えない空気の塊を爆弾に変えて仗助が逃げ込んだ家の中に送り込みます。食らった仗助は爆風でボロボロになり、木片が脚と腹に合計三本突き刺さりました。もちろん、回復は不可能です。

 私の好きな場面は、この瀕死状態の仗助が、ぼろぼろのまま吉良に迫り、とうとうクレイジー・ダイヤモンドの射程に捕らえた所です。

精神力としてのスタンド勝負

 最近のジャンプ漫画、ワールドトリガーの太刀川慶というキャラクターが静かに語る、

『気持ちの強さで勝負が決まるって言っちまったら、じゃあ負けた方の気持ちはショボかったのかって話になるだろ』

 というセリフがあります。

 この名台詞は事実でしょう。結果を引き寄せるべく、的確な努力をしたものがすべからく勝つのです。それが現実。情熱や強い想いは、そういう努力をするモチベーションにはなりますが、それだけで勝てるということは、決してありません。作中で太刀川さんがこれを言ったのは、『負けたからって想いが弱いわけでもないよ』という一種の救いなんですがね。

 だけど。だけど、と言いたいのです。
 これは私の意地です。そう信じたいというだけのことです。

 物語で勝負が描かれるとき、そこには想いの戦いがあると。

 仗助と吉良の戦いは、私の意地を肯定してくれます。

 スタンドというのは、その人の精神から生まれるものです。カタログ上のスペックや、決まった能力こそありますが、その精神エネルギーはその人の心だと、私は思っています。

 接近し、スタンドを繰り出す二人は、お互いの心をぶつけ合っているということです。

 吉良は必死です。彼の描く植物の心のような平穏な人生、自分の好みの女性を好きなだけ殺しながら、社会にぶらさがってまっとうに生きるという人生の目標に、誰よりも必死です。その力は凄まじい執念を生み、キラークイーンをさらに成長させ、バイツァ・ダストのような凶悪な能力まで発現させました。

 一方、仗助も必死です。それは正義の怒りです。殺された重ちー、億安(生死は御自分で確認なさってください)、杉本麗美(吉良に殺されて成仏できずさまよう霊)たちの想いが重なっています。

 なぜこれほど怒っているのか。それは彼が優しいからです。

 私が四部で最も好きな承太郎のセリフで、『人間は何かを破壊して生きているといっていい生き物だ。そんな中で仗助、おまえの能力はこの世のどんなものより優しい』というのがあります。仗助は恰好こそ不良のそれであり、口調も、私が同級生だったら絶対に友達になれないタイプです。しかし、恐らく一部のジョナサンほどに優しい心を持っているのです。だから、クレイジー・ダイヤモンドは力強い破壊力と同時に、どんな者も治せる力を持っているのです。

 徹頭徹尾、自分の快楽のためか。
 徹頭徹尾、誰かの痛みのためか。

 二つの想いの衝突はどうなるのでしょうか。

勝敗

 荒木飛呂彦は、仗助に軍配を上げました。それも――圧勝です。

 キラークイーンは接近パワー型。しかも、触れさえすれば仗助を爆弾に変えて爆殺できます。さらに本体の負傷の度合いは、吉良の方が小さいのです。
 その状況的有利を活かし、キラー・クイーンが繰り出す無数の指先。しかし、それは仗助にかすることすらできません。つき出した瞬間、その腕はクレイジーダイヤモンドのたくましい拳で次々と打ち落とされてしまうのです。

 蹴りでガードを崩され、無数の突きを全て拳に撃ち落とされ、なす術もなくラッシュを食らう。そんな瞬間、アニメでは省略されてしまった、吉良のセリフがあります。

『う、動けない。動けばそこを攻撃してくる、や、やられる、この吉良吉影が、何もできずにやられてしまう……!』

 自分の必死さが必ず勝つと信じていた吉良が、心を折られる瞬間です。

 なぜ仗助が勝つのでしょう。彼はスタンドの動きを見る天才でしょうか。不良として喧嘩慣れしているからでしょうか。そんな描写はありません。だけど、私はここに泣きそうなほど感動させられます。こうでなければならない、と思わせます。

 だって、誰かのための必死さが、自分だけのための必死さを打ち砕く瞬間だから。

 自分のためだけ、自分の楽しみのためだけの必死さ。それは現代において決して批判されるべきものではありません。それを持つことが生きる力にもなります。吉良だって、たまたま楽しみが殺人だった、というだけのことです。そのあたりに、吉良吉影の人気の秘密があるのかも知れません。

 だけど。だけど、私はどうしても、それより他人のための必死さを美しく思うのです。

 お金や社会的地位、政治的な動きなど、自分のための必死さは、あらゆるものを侵食して、自分自身を綺麗に飾り立てていきます。

 吉良のやり方だってそうです。社会的な地位を持ち、きちんと家庭を切り盛りし、善良な一市民をやることで、彼は自分を飾り立てています。他人を踏みつけにしていることを、巧みに隠して生きようとしているのです。そうすれば、狂った嗜好を持っていても、平穏に人生を送れるから。

 その行動は、簡単ではありません。ちゃんと努力し、必死になっています。税金だって払っているでしょう。国家の発展のためには、まだ学生の仗助より、社会人の吉良吉影の方が、所得税分、役立つとさえ言えるでしょう。

 対して、仗助の必死さは、ただ犠牲者への優しさから来る怒りを、発現させているだけ。

 それでも、仗助の『優しい必死さ』は、吉良の『冷たい必死さ』を完膚なきまでに打ち砕くのです。

 それが、この場面を描いた当時の荒木飛呂彦の叫びだと、私は解釈しています。


なお……

 血管が浮くようなテンションで語りましたが、じつはこの場面、四部の決着ではありません。圧倒的に勝利しながらも、吉良に最後のとどめを刺すのは――ここから先は、コミックスかアニメで確認なさってください。

 高校生のころから、吉良との戦いは何度も読み返しています。もう、二十年近く。そこまでの魅力があるのです。

 よければ、はまってみてください。ジョジョに。

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