1年越しのアップルクランブル

(2018年9月の日記)

絶賛彼氏と喧嘩している。
正しくは音信不通なので喧嘩すらできない。

理由はわからない、というか
理由はないと思うのだけれども、
私たちは夏の終わりから秋に移りゆくこの季節と
どうも相性がよくないらしい。

毎日顔は合わせているのに
音信不通というのも皮肉なものだ。

話は変わるが、ここ数日の自分は
なかなかに疲れていた。
学園祭、体育祭練習、1日かけてのテスト。
18の若々しい肉体といえど、
運動不足の万年体育3の体は
悲鳴をあげている。

なんの所以か近ごろ夢見も良くないし。
月に一度の出血も私を憂鬱にさせる。
それでも1日頑張った帰り道、
震えたスマホに表示された写真を見たとき
残り1のHPが尽きた。マイナスにめり込んだ。

ねぇ、おとうさん。
拾ってくれたのはありがとう。
でもね、LINEの家族グループで
自分のパンツが庭に落ちている写真を
見たくはなかったよ。

私のラベンダー色のパンツ。
しかもサニタリー。


もう全てを忘れよう。
美味しいものを食べよう。

本当は彼氏とデートの時に食べようと思ってた。
会おう、って言われたとき。
一緒においしいねって笑顔になりたかった。

結局会えなかったけど、
でも仲なおりしたとき一緒に食べよう、
その時まで取っておこうと思ってた。

でもいい。全部忘れた。
一年越しに持ち続けた思い。執着。
幸せな思い出とともに
口にしようと夢見ていたけど。

幸せな思い出ってなんだ。
あの人と一緒じゃなくたって、
1人でも、私は1人で充分幸せだ。
君をただ待ってる
小さなかわいい女の子じゃないんだ。


改札を一度出て
モニターを見ずに硬貨を1枚、2枚。
小さな切符を手に、
さっきとは別の改札に入る。

この小さな田舎では
少し面倒なこの方法がスターバックスへの
1番の近道だった。

夜に差しかかったこの時間に
1人で訪れるのは久々で
心がそわそわと浮きたつ。

日曜の夜だからか店内は空いていた。
では、お目当てはどうだろうか。
去年のように空っぽのショーケースを
見るのはもう嫌だ… 残っていてくれ…

カウンターに近寄りショーケースを覗く。
大きなスコーン。
シュガーグレーズがかかったドーナツ。
そして残り二切れのアップルクランブル。

1年間待ち続けていた。
他の店のも探したけれど
どうしてもスタバのアップルクランブルが
食べたかった。

自然と口角が上がったのがわかる。
この時の私の頭からは
彼氏も父親も最近のもやもやも
すべて消え失せていたと断言できる。

念願のアップルクランブルパイに
出逢えたという喜びだけが
体いっぱいに広がっていた。

注文していると誘惑がどんどん湧いてくる。
待ち望んだアップルクランブルパイ
惜しみはしない、
1番美味しい組み合わせで食べる!

ドリップコーヒーのショートをホットで、
店員さんにおすすめされて
迷いながらもホイップクリームを付けて。

ソファの席に腰掛けて
どこか浮ついた様子で待つ。

「お待たせしました」という声とともに
かわいい姿の店員さんが
コトリと斜めにトレイを置く。

ありがとうございます、と答えながら
ニヤつきそうになるのを抑える。

今すぐフォークを手に取りたくなる衝動を堪え、
息を吐いて。吸う。
スマートフォンで写真を一枚。
この瞬間をこの気持ちをきっと思い出すから。

もう何も躊躇うことはない。
せっかく温めたアップルクランブルが
冷めないうちに。


甘ずっぱい。
そしてさっくりとしたクランブルの食感。
舌に伝わるのは優しいほんのりの甘み。
ずっとこの味を待ってたんだ。

シャクっと音がするのに
柔らかく舌触りがいい紅玉。
底のパイ生地は薄めで
りんごの控えめな甘さが染みている。

アップルパイはどれも大好きだ。
甘くてやわらかくてみずみずしくて
噛んだ瞬間に染み込んだシロップが
口いっぱいに溢れる瞬間は幸せそのもの。

でもアップルクランブルだから味わえる、
甘さだけじゃない、
とろけるようなやわらかさだけじゃない、
ちょうどいい一点で成り立つバランスが
好きで好きで仕方ない。

勝手に私はアップルクランブルパイを
青春のように思っている。
甘さと酸味がせめぎあう不安定な中、
私が私でいるバランスを崩さないように
一歩ずつの綱渡り。

バランスを崩しちゃいけないルールはない。
甘くても、酸っぱくても、
それはそれで美味しい。
美味しくする工夫もいっぱいある。

でも今はその綱渡りを続ける。
なかなか大変だけど、
ここ結構気に入ってるんだ。
今日も一歩踏み出すよ。


最初は美味しいブラックコーヒーも
飲み続けていると苦い。
特にホットだと安いコーヒーは
苦みや渋みが出やすい気がする。

でもそのはっきりとした苦さが
りんごの甘ずっぱさを
一口ごとに新鮮に味あわせる。

それでもマグカップの中身が半分になった頃に
舌が耐えかねた。
眉間に皺がよるのを感じながら
真白なホイップをフォークで軽くすくう。

スタバならではのミルキーな風味が
口全体に溶けていく。
コーヒーのせいだろう、
普段よりも感じる甘みが鈍い。

その仄かな甘さが、私の強ばった顔をほぐす。
続けてクランブルとりんごを
大きな一口で頬張った。

おいしい。
とてもおいしい。


とうとうパイを支える端まで来てしまった。
この部分の食べ方、
要はパイの最後の一口の食べ方は
その人の思いがよく見えるところだと思う。

私はパイを先端から3分の2まで食べたら、
今まで食べてきた方向と垂直に三分割し
最後は一番美味しいと思うところを
一口で食べるタイプだ。

だから今日もセオリー通り、
パイの端にフォークをざくっと。

まずはそのまま一口。
パイ生地の味というよりかは
ビスケットやスコーンに近い気がする。

ふんわり甘いのに後味には塩気を感じる。
土台じゃなくて、この部分だけで、
味が独立しているけど主張しすぎない。
さすがクランブル。

もしやと思いホイップクリームと
一緒に口の中へ。
やっぱり合う!
ぴったり絡み合い調和する。
コーヒーと合わせてももちろん絶品。

あまりの相性の良さに口元が一層緩む。
コーヒー、りんご、クランブル、クリームを
順に味わい最後の一口がやってくる。

カップの底にたまった苦みをぐっと飲みほして、
りんごを舌に載せる。
噛むたびに歯に伝わる食感や音が心地よい。
最後の一欠片まで甘ずっぱい。
そして丁寧にクランブルをすくい取り、
口に入れた。

満ち足りた気持ちで笑みが浮かぶ。
今年は来れてよかった。
マグカップの縁と口元を拭う。

支度を整え席を立とうとすると、
再び店員さんに声をかけられた。
「これ試食で渡そうと思ってたんですけど…
よかったらいかがですか?
キャラメルクランブルバーです」

一口サイズにカットされたそれは
小さな宝石のように表面が輝いていた。
いただきます、と上ずった声を出しながら
カップを手にとる。

見た目はチーズケーキや
パンプキンプリンに似ている。
ハロウィーンも近いしその系統だろうか。

口に含むと、
先程まで食べていた甘ずっぱさと違い、
濃厚で深い、何層にも重ねられた甘みが
一気に広がる。

食感は少し固めの喫茶店のプリンに近い。
そしてその下にはクランブルと
タルト生地の中間くらいのザクザク感。

一口の満足感が高い。
秋のキャラメルスイーツの魅力の1つが
ここに詰まっている。

思いがけないプレゼントだからこそ
感じる美味しさもひと塩だったのだろう。
店員さんたちにありがとう、と思いながら
切符を手にドアを引く。

そのまま鼻歌でも
歌い出しそうなほどには上機嫌だ。

今度はコーヒーそのものが好みな店を
探してみようかな。

今度を“またいつか”にすると後悔する。
今回は1年だったけど次は…
少し怖くなる。
いま一歩ずつ踏み出すしかないのだ。

疲れたらまたおいしいおやつの時間だ。

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