“これから”を過ごすモノ

ずいぶんNoteを開けずに書けずにいました。連休後にコロナにかかり、体調がようやく戻る頃はもう6月…声をかけていただいた新しいお仕事の研修に没頭していたら7月でした。
久々の研修漬けの生活…覚えることや慣れることにハラハラドキドキ、ときどきワクワク。能登の家の整理をきっかけに始めた「わが家の断捨離」は、そんな生活の息抜きになっていました。近々来客もあり、計画していた片付けが進められて満足していたので、さらにNoteに向かうことは後回しになっていました。「書けそう」と思うことにアンテナは立てていたのですが、ここまで空いてしまうとは…!

研修の進みがちょっと落ち着き“今なら書けるかも…もうNoteのための時間を取れそう”と思えるタイミングをやっと迎えて、今回は慣らし運転的なお話です。


遅い梅雨入り…かと思えば猛暑の日も。
涼しいお部屋で不用品整理…家も心もサッパリします😊

わが家の断捨離で気がついたことがありました。「不要なもの」を家から出すことが目的の断捨離。片付けの極意を“ときめくか否か”と言った専門家がいらっしゃいましたが、断捨離開始頃はその基準を難しく感じる場合が私はありました。例えば「ときめき」で片付かないのが頂いたもの。プレゼントの処分…今の私の生活を見られている訳ではないとわかっていても、後ろめたいものです。また、アルバムや手紙などの「思い出の類」は生きてる限りは“共に生きていくべきもの”と思っていました。

しかし、亡くなった義父母の写真を整理することになり私は気づきました。
“私がいなくなったら「私の思い出」は私以外の人間にとっては無意味なモノでしかない”と…。
それなら自分が生きている間に、もう処分してもいい物かそうでない物かは
“私が決めておかなくてはならないのではないか”と。
少なくとも私が決めていい「私のもの」は、今のうちからハッキリさせようと心に決めました。

服やバッグ、靴やアクセサリー。食器や調理器具や仕事の資料…。片付けるとじつに“なぜこんなにあるのだろう”と思うばかり。整理にあたってのポイントは「今使っていて必要か」「これからの自分も必要とするか」の2つに絞りました。

食器を整理したので、結婚30周年の記念に輪島塗りのカップを買いました。当初、朱や黒の漆器らしいコーヒーカップを考えていたのですが、やはり2つ買うと予算オーバー。そこでシンプルな木目を活かした素朴な漆器にしました。ところが実際使ってみると大正解!コーヒーはもちろん、麦茶でもりんごジュースでもカルピスでも、何でもアリだったのです。
「生活に根付いた漆器が本来の輪島塗り」震災の年に結婚30周年を迎えたことを、このカップを使うたびに思い出せる…。輪島塗りは分業制で、いろいろな技術が集まって「暮らしに役立つ品物になる」これからの私たち夫婦の暮らしも、喜びも悲しみもひっくるめてさらにカタチを成していくような気がしています。


サイズが半分のものは「蕎麦猪口」で
売られていました。
飲み物用には少し小ぶりだったので
こちらのサイズに落ち着きました😌

「これからを共に生きたいと思うモノ」
断捨離で暮らしの見直しも始めたので、買い物をするときにこの指標を忘れずにいることも大事かと思います。
輪島の伝統と技術の結晶…大切に使っていきます!

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