英語の感覚あれこれ(my Englishスタート004)
Sorry.
この言葉をじーっと見てるだけで、今の社会状況と重なりだしてくる。
何気ないこの言葉には、
日本社会とアメリカ社会を分ける決定的違い
が、しっかりと内包されてきた。戦後から今にいたるまでの長い年月。
Sorry.一言で、下手をするといろんな意味で地獄行きとなりかねないアメリカ社会。(..)エー イサギヨクミトメタダケナノニ
みなさんは、お好きですか、そんな社会?
かなりハードルが高いですよ。
でも、アメリカ人にとっては、それが「常識」なのです。
まあ、日本社会もだんだんアメリカ社会に似てきて、
これからの日本社会は、間違いなくアメリカ型の訴訟社会に次第に近づいていきますけどね。
Sorry.だけではなく、「ごめんなさい」も、同様に安易に使用できない言葉になっていくということですね。ヤレヤレ
そんなことも、
私たちが身につけるべき
「新たな時代感覚」
の一つになっていくのですね。
どうします?
次第次第に衰えていく日本社会の現実
それとは逆に重くなっていく一方の
「責任」
という問題
「Sorry.」とは、「責任」を持つということ
なのです。
言葉を身につけるというのは、その中身もしっかりと身につけるということなのです。
まだまだ、
大多数の日本人は「日本でしか基本生きてはいけない」状況にある
というのに、責任だけは重くなっていく。
自己責任などという、とんでもない責任論まで、長い間押しつけられてきたし、今も押しつけられたままですね。いいのでしょうか。
アメリカだったら、こんな日本みたいな状況が、素直に受け入れられると、本気でみなさん思ってるのですかね。😔ワケワカラン
それでもって、
【沈みゆくこの国の運命とどう向き合うのかって、それまでも国民に丸投げする気なのでしょうか。】
大丈夫ですか?
これがアメリカだったら、何か起こりませんか?
今度は日本の枠組み全体が危ない状況に入っていくのですよ...。
欧米や中国が主導する時代モードの中、
「彼らのルールで彼らの土俵で勝負させられ続けて、どうして勝てる道理があるのでしょう。」
誰もおかしいとは思わないのでしょうか。
死んでも仕方がない、「自己責任」などというのですか、それでも。
【 私たち日本人とはいったい何者なのでしょう、。私たちの根っこは一体どこにあるのでしょう。 】
【 言葉が違うということは、行動パターンが違ってくるということ。大体、日本語と英語とでは、思考パターンそのものが違う。】
それに伴い、習慣も違ってくるし、性格や運命までもが違ってきて当たり前なのです。
一体、この国のリーダーたちのどれだけの数の方々が、その意味する本当の所をしっかり理解し身につけているのでしょう。そして、ビジョンを国民に提供し、実行に移していけるのでしょうか。
日本のただの初老のおじさんでも、これくらいは考えているというのに...。
一旦、休憩です。
ではでは。
「記事の価値に対する対価」として評価していただけるのであれば、歓んで素直に受け取らせていただきます。また、個人的な応援のお気持ちからならば、そのお気持ちに深く感謝します。有り難うございます。