自分なりの捉え方で納得すればそれでいい昔の話(さらっといかがですか)
私たちが暮らすこの「国」
国として明確に「意識」されだしてから千数百年
正直そんな昔のことだとは思わない
三千年くらい前までは国という意識すらほぼなく、私たちの先祖はおそらく荒野をひたすら走ってた
狩りをしていたんですね私たちのご先祖は
それが
二千数百年前には稲作が本格的に始まり、それととともに定住生活が加速し、石包丁を使って米を収穫しては高床倉庫などに保管したりし始めました
村が出来て首長が現れると、権威が現れ権力者も登場し始めました
村が集まりだすと本格的に国を意識し始め、卑弥呼(三世紀前半)の頃には、30くらいの小国が登場していたようですね
皇紀によると今年は2680年だそうですが、本格的弥生期には神武天皇が登場していたことになりますね
大きな村レベルを国と意識した最初なのかもしれませんが、やはりこの辺りは神話レベルなのでしょう
よくわかりません
庶民レベルでは
あんたの石包丁見事に切れるな、羨ましいわ~なんて呑気な会話がなされてたりしていたのかもしれませんが😁
多くの方たちが呑気に暮らしてる間に
米が今のお金みたいな価値を持ち始め、いつの間にか貧富の差が広がり始め、権力を握る人たちが現れだしたのですね
豪族と呼ばれる人たちが登場し、大きなお墓などがどんどん各地で造られ始めたのです
古墳時代の始まりです
日本全国古墳だらけとなっていきます(その数16 万基以上👀)(三世紀中頃七世紀初頭頃まで)
造りすぎでしょ(^^;.お墓ですよ
おかげで
奈良盆地なんてほぼ古墳盆地みたいなものです(^^;.イヤーマイッタマイッタ
で、思うんですよ、素直に
承認欲求(俺はすごいんだぞ)の強い方たちが当時にも既にたくさんいらっしゃったんだな、て
そんな視点から古墳時代を眺めてると、今もある意味変わらないなあ、なんてやはり思いますね
承認欲求...どこまで続くのでしょう
ところで
古墳のなかから、ペルシャ中国朝鮮半島辺りからの副葬品(金銀装飾品、ガラスの碗、鉄刀など)が出土したりしていますが
これって
少なくとも五~六世紀には、海外との交流があったということですよね
なかなかやりますねご先祖様
卑弥呼さん(中国の魏志倭人伝等で紹介されてる方)辺りまで遡ると千八百年くらい前までは海外交流を遡ることができるわけですね
もっと昔からだよ、という方はそれはそれで納得されるまでどうぞ!
卑弥呼さん(邪馬台国)から大和朝廷(王権)辺りになると、日本全国の歴史通論争通の方たちが一挙に出てこられますので、この辺りで失礼します
あと、時代区分って人によって実に様々で、かなりいい加減なものですよ
その人が重視されるもので区分がバラバラです
きっちりわけるの好きな方、教科書なんて一応そういうことにしておきましょうレベルのお話ですから、そんなにむきになられないほうがとは、個人的には思っています
あと、藤原京辺りに繋がれると、皆さんよくご存知の奈良平安と繋がっていきますから、歴史嫌いの方々でも感覚的には少しはつかまれるのでないでしょうか
要は、言葉ではなく感覚的に捉えられればそれでいいかと
以上、中学時代は夏休みの研究で一人飛鳥辺りを🚲に乗って走り回り、当時は簡単に中に入れましたので、中に入って埋葬者の気持ちを辿るべく寝転がったりしていた、超変人中学生じんさくらの回想録?でした
[追記問題です]どうぞ!
ちなみに、ヘッド画像の
石舞台古墳、なぜ石室がむき出しのままなのか、考えられた方、どれくらいいらっしゃるのでしょうか、なぜだとあなたはお考えですか?
答えは、「いろいろ」です
各自、納得されればそれで十分かと...
私の答えを知りたい方はコメントいただければ書くかもしれません
最近は大変動きまわっていますのでその辺り寛大にご容赦願います
ではでは🌿
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