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舟券革命党宣言

舟券革命党綱領
 
 序に変えて
 
 ギャンブル界は、今、二つの狂騒の中にある。
 
 一つは、疫病の影響による売り上げの活況である。公営ギャンブルは、今、未曽有の好売り上げを湛えているが、この売り上げ増加は、疫病流行下の自宅待機が大きな要因であるが、それはベテランファンによるものと同時に、新規のファンの流入のおかげでもある。そしてこのニューカマーたちは、ギャンブルの深みを今深く受け止めていることだろう。少額投資を固い倍率に敢行し、そして外れる。なぜ自分の買った数字を微妙に外した結果になるのか、不思議に感じていることだろう。
 買えたのに…最初の構想通り買えば…ああ、これを見落としていた…こういった嘆きが、まさに今、今この瞬間にも亡霊の声として私の耳には届いている。
 そしてニューカマーたちは勘違いをする。いつかキャリアを積めば、こういった悪手をしなくなるだろう、と。はっきり言おう。大衆諸君、この考えはダメだ。いずれギャンブルの深淵に飲み込まれてしまう。諸君がギャンブルの深淵を覗き込む時、ギャンブルの深淵もまた諸君を凝視している。弱き大衆はギャンブルを飲み込むのではなく、ギャンブルに飲み込まれてしまうのが常である。
だからまず深く認識してほしい、ギャンブルにおける敗北は、キャリアによって払拭できるわけではない。もちろんインターネット上の情報を見出しても、予想サイトを発掘しても、同じである。浮ついた的中を求める気持ちは、簡単に2連単2.5倍に飲み込まれ、そして外れていく。ならばどうすればいいのか、答えは明確である。必要なのは、キャリアでもなく、情報でもなく、そう、革命である。ここに舟券革命党の存在と、舟券革命家足らんとする意志が求められるのである。
 この国のギャンブラーたちよ、今、この瞬間にギャンブラーであることを止めよ。
 諸君が自らに名乗るべきは、ギャンブラーではなく、革命家である。
 革命家足らんとする意志を、まずここで意志せよ、それが始まりの鐘が鳴る瞬間である。
 
 さらにここで今一つの狂騒についても言及しよう。それは近年耳をよぎる依存症をめぐる狂騒である。この世界の中で最も深刻な依存はアルコールであり、薬物である。人間を辞めるつもりならば、この依存の世界に進めばいい。しかし革命勢力はこれを認めない。アルコールは適度に、そして薬物には近づいていかない、これを銘記すべきである。ならばギャンブル依存はどうか。率直に言おう、ギャンブル依存などもっての他である。革命勢力は、この依存に対しては、明確に対峙することを宣言しておこう。
 しかしまたすでに依存の渦中にあるならば、どうすればいいか。気が付けばテレボートの投票サイトが開いている、気が付けばさして根拠のない舟券になけなしの金を投じている、気が付けばコンビニのATMの前に立ち、あちらの口座からこちらの口座へと金を移し変えている、これらは立派な依存状態である。
 この依存から抜け出すためには、どうすればいいのか。簡単なことだ、ギャンブルを辞めればいい。完全に断ち切れば良し、だがしかしそれでもなおテレボートの投票サイトを開いてしまうならば、自らの依存を自覚したうえで、こうつぶやけばいい、これは投票行動ではない、革命行動である、と。
依存の最大の問題は、じゃぶじゃぶと金を浪費することである。それを革命的行動で抑止するのである。そしてその具体的方策こそが、転がし、そう、こ・ろ・が・し、である。
 これを起点に考えれば、主催者の考える依存症対策など笑止である。対策を考えるべきは我々であって、主催者ではない。主催者は主催者として魅惑の世界を構築することに集中すればよい。その控除した金が、国庫に入り、自治体に入る、そう考えれば、主催者は我々を良き納税者として遇するだけでよい。控除率を下げることが最も有効な依存対策であることを忘れ、それでなお主催者が依存対策を講ずるということは、自己矛盾以外の何ものでもない。ゆえに我々は、我々自身の問題として、この魅惑の世界から退場するか、あるいは革命家として対峙するか、その選択肢があればよい。生活破綻者は即刻、この世界から退場せよ。そしてそれでもなお残った者たちよ、少額で、博打の醍醐味を十分に堪能できる、転がし、の世界に転生せよ。あのひりひりとした博打の悦楽は、転がし、の世界にこそ最も可憐な花を咲かせるのである。
 やはり諸君が自らに名乗るべきは、ギャンブラーではなく、革命家である。
 革命家足らんとする意志を、まずここで意志せよ、それが始まりの鐘が鳴る瞬間である。
 
綱領1 賭博はボートレース一択である
 
 革命家が狙う賭博は、ボートレース一択である。ギャンブルとして破滅を楽しむならば、競馬でも競輪でもかまわない。しかし革命家として、賭博の醍醐味を一身に感じ、自らのギャンブル欲と対峙し、かつそれを凌駕するならば、それはボートレース以外にない。
 考えてもみよ、ボートレースという魔境が6艇立てであることを。6、これは古からある賭博のマジックナンバーである。人間は長く賭博と共にあったが、その主役は1000年以上にも渡ってサイコロ、骰子である。正四角形という端正にして精緻なその形が映し出す数字は6種類、人間は長らくこの6種の数字に惑わされてきたのである。
 しかしこれが競馬のように18となったり、競輪のように9となったり(帽子の色がカラフル過ぎる…)、オートレースのように7となったならば、それは蓄積なき現代的なものであり、競輪のごとく5車立てとなれば、それは魅惑的な博打なのかと訝しい思いすら抱いてしまう。しかしボートレースはいつ何時、どんな時でも6艇立てである。
 想像してみてほしい、ボートレースにおいて取り消しがあって5艇立てとなってしまった、あの無味乾燥さを。
想像してみてほしい、ボートレースにおいて仮想の7艇立てのレースの度を越した混沌を。
 賭博におけるこの6という数字の妙味を革命家はまず自覚しなければならない。さらに言えば、この6という数字が転がしの醍醐味の影の功労者となっていることを。
 18頭立ての競馬での転がし、9車だての競輪での転がし、7車だてのオートでの転がし、これらを3コロまで導くことは至難の業である。まして4コロなど夢のまた夢である。
 しかしボートレースは6艇立てである。そして何を血迷ったか、この骰子と同種の数字を持つボートレースは、1が良く出るのである。確率的に言って半分は1の目が出る骰子、それがボートレースである。
革命家たちよ、さあ、転がる気がしてきたであろう。1が半分出る骰子を転がしているのだ、諸君たちは。さらに状況によっては1が出る確率が75%にも上ることがある。驚異的としか言いようがない。これほど参加者に媚びを売り、しなだれかかってくる賭博が他にあろうか。ボートレース若松の日没後において、1が1着になる可能性は70%以上である。
 ボートレース若松の西に陽が沈む時、革命家は革命成就の確かな予感に震えればいい。こんな賭博は、世界広しといえど、ボートレースだけである。
 
綱領2 常に転がしを狙うべし
 
 革命家にとっての革命成就とは何か、それはトリガミを経由することなく3コロを達成した瞬間に訪れる。さらになお完全体の革命を見たいならば、4コロにまで挑むべきである。もちろんこの転がしはオールイン、オールインの連続である。
 なぜ転がしなのか、それは3コロ、オールインを目指すことで、雑念を振り払うことができるからである。時系列に従って、3回連続の的中をトリガミなしで達成する、これを構想する時、目の前のレースに手当たり次第挑む気持ちが消失する。
 場を超え、レースの格を超え、ただひたすら時系列3回連続の的中を目指すことは、漫然と金を張るギャンブラーとは異なった、聖なる思考が駆動する。
 特に依存の渦中にある者にとって、これは覿面の効果をもたらす。ボートレースと向き合いたい、そんな灼熱の思いに駆られたら、のべつまくなしに投票するのではなく、3コロを目指し、レースを選ぶことから始めればいい。確信に従って投票できるレースはどれか、そう考えれば、確信度の低いレースに手を出すことがなくなる。その日のレースを最大3レースまたは4レースに絞り、的中したらオールイン、外せばコマを上げずにまた一から投票すればいい。2コロに挑むも、転がしを止めるのも、途上で外したならば、好きにすればいい。確信度の高いレースに挑むことを、途上の不的中で、断念する必要はない。
 ただし見つめるべきものがある。それはその日に自らが選んだ転がし最終レースである。ここは常に気持ちを貼り続けなければならない。最大の吟味が、いかなる結果になるか、直面することが明日につながるのである。最後のレースにどの場のどのレースを置くか、最大の確信を最後のレースに置けないならば、結局、転がることはない。言い換えれば、転がしきれないという弱さに直面することになる。また不的中という災禍に見舞われた時、その最後のレースが明日への希望の灯を照らしてもくれる。いつか転がるだろうという予感を得、さらにいくばくかの金が、手元に戻ってくる可能性が高い。そう、この思いが転がしの道中にあれば、不的中は怖くない。
革命成就の道は険しい、あまりにも険しい、しかしそれはごく当たり前に舟券を買って、勝ち切ることと同様の困難さである。そして同じ困難さを感じるならば、漫然と金を張るギャンブラーであるより、聖なる革命家としてあるべきではないのか。革命成就の際に放出されるドーパミンの量は、単なる勝ちによって得られるそれよりも、より多く、より濃いものとなるだろう。
 
綱領3 自らを超克すべし
 
 転がしはギャンブルを超えていく。ギャンブルはある種の未来予測だが、それをさらにそれを選別し、精緻化したものが転がしである。だからこれはギャンブルという言葉の枠に止めておくことはできない。ゆえに革命である。
 そもそも革命とは、未来に別の姿を求めることである。仕事から帰り、缶ビールでも開け、つまらないテレビ番組を見たとして、そこに何がある。仕事で燃えられる者ならばいい、しかし日々の仕事にもまれ、差しさわりのない芸人の言葉に笑う人生の先に、変化はあるのか。
だからテレボートを開き、数千円の金を私たちは入金する。
 その指先に宿るのが、ここにある現実とは別の、湧きたてられるような未来への予感である。転がしは、その意味で、何段階もの先を構想する、革命的行動である。
 だからまず銘記すべきは、革命は過激な高配当を追う行為とは一線を画する。半分は1が来るボートレースの世界において、それに逆行し、1はまず構想から外す、というのは一見革命的行動に見えるが、実は反革命的行動と言えるものである。それでは転がらない確率が極めて高い。1を外して他を軸にする思考、1を軸に考え、1のヒモを考える思考、いずれも当たれば革命の階段を一歩上がったことになる。どちらかに決め打ちする必要など全くない。ゆえに革命家は穴狙い、本命党という考えを持ってはいけない。固定観念は、大衆の発する保守的思考に飲み込まれてしまうだけである。
 例えば、2連単1番人気2.5倍のレースを考えてみればいい。主催者は75%nのテラ銭を抜いていく。このテラ銭がなければ、真のオッズはほぼ3.3倍である。3.3回に1回的中する舟券、それは3回に1回しか的中しない。2連単1番人気1.5倍のレースの真のオッズは2倍である。1.5倍はああこれは大体来るな、と誰もが思うが、オッズから考える確率は、たった半分である。半分のものを大体来ると過信し、的中したとしてその見返りは極小である。これは罠だと言ってよい。
 2.5倍、1.5倍のという数字は、主催者と寄るべなきか弱き大衆が作り出したものである。そこから派生する固いというイメージは、控除率から生じる数字のトリックの所産でもある。
 ゆえに革命家は、2連単1番人気を軸とした3連単舟券を買わない。それは大衆と主催者に追随する保守反動的な思考、行為であるからだ。
 そもそも革命家は孤高の道を行く。3コロ、4コロを目指すとして、しかしその道中に2連単1番人気を軸とした3連単舟券を革命家は買わない。2連単1.5倍の数字を見ても、歯を喰いしばって別の舟券を買う、それが革命家である。2回に1回しか来ない舟券を買い、かつ低配当の見返りしかない、転がしに固い舟券は魅惑的に映るが、それは砂漠のオアシスの幻影と同じである。追ってもそこに楽園は存在しない。不的中という絶望か、ガミという無明の世界があるだけである。
 大衆と主催者が作り出すオッズの幻影に抗する、これは革命家にとってその存在意義と言えるものである。
 
 さらに言おう、なぜ転がしが革命の革命たる所以なのか。想像してほしい、1レース目的中、1000円が7000円になりました。2レース目7000円をオールインして的中22000円となりました。これを3コロ目一目2200円10通りの舟券に転がすことができるだろうか。なんでもないレースに20000円を超える金額を投じるのは、尋常なことではない。
 ならばこの出発を10000円としたらどうなる、10000円が70000円になり、70000円が220000円になった時、1目22000円、計220000円を正常な感情の下で、オールインできるだろうか。的中すれば安目250000円、高め750000円となる舟券を買い切れるだろうか。
 70000円となったところで、手が止まり、今日はこれで十分ではないか、そういう思いが心をよぎるだろう。ましてや何でもないボートレース1レースに200000円を超える金額を投じるならば、手が止まって当然である。もちろんここで取りやめてもいい。どれだけ確信のあるレースが待っていても、70000円という金額は重い。
 ゆえに7000円であれ、70000円であれ、転がしは3回転目に自らが問われる。倍率1.5倍を回避することより、本当に3回転転がしきることの方が、圧倒的に困難である。
 この困難さを振り捨て、自ら見出した未来の構想、3コロ目の確信レースにオールインすることができるどうか、ここに自らを超克する革命の成否がかかっている。当たる外れるよりも、転がし切れるかどうか、それこそが焦点なのである。こう考えれば4コロが以下に莫大なことかよくわかるだろう。3コロ成功、高目750000円を8点にオールイン、それは1点9万を超える勝負となる。的中となれば、安目99万、高目200万を超える成果となるだろう。まさに革命の完全成就であるが、人は20万をオールインできるだろうか、できないだろう、恐らく。だからこそ自らを革命家だと自認しなければならない。
 おまえは革命家であって、大衆ではない。だからこそ、4コロ目もオールイン、しびれるその瞬間にこそ、ドーパミンが大量に噴出するのだ。
 なぜ転がしが革命なのか、1番人気を回避し、3回転転がしきる、大衆と主催者の共犯関係で作られたオッズのトリックをかいくぐり、自分の頬を打ちオールインで買いきる、完成すればそれは自ら構想する未来が現実化することであり、その魅惑の現実は言うならば自らが見出したものである。
 これはすでにギャンブルを超越している、つまり革命である。
 
 
 結
 
 さあ、行こう!見果てぬ未来へ。革命と共にあらんことを祈るのみだ。少なくとも私は、転がしきることをここに誓う。
 諸君、鐘を鳴らせ!
 
 
               舟券革命党党首 舟券革命家 河本敏浩

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