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#11 宙ぶらりんの18歳の少年は、デザイナーになることにした

ずっと母を喜ばせたかった。家のお手伝いは率先してやったし、習い事も真面目にやった。その中でも勉強を頑張ると、母は特に嬉しそうだった。頭を撫でてくれた。だから小学校の頃から、勉強をたくさん頑張って学校の先生になるんだと思っていた。

僕は母子家庭で育った。母が全てだった。母が好きなものが好きだったし、嫌いなものが嫌いだった。(ウルフルズが好きで、ドッキリ番組が嫌いな母でした。)そんな母との二人三脚で育った僕も、思春期に突入。自分の好きなものと、母の好きな物が異なることに気づいた。たまたま聞いたブルーハーツ。歪んだギターの音、何より全速力で走りたくなる速い音楽。僕はパンクロックにのめり込んだ。

高校生になって、ライブハウスに入り浸るようになると僕は門限を守らなくなった。何回も怒られた。朝帰りが多くなって、週3回学校に行けば良い方というありさま。当然、学校から家に連絡がある。

「アンタ、進路どうすんの?」
「教職になるつもりやけど」

「学校に毎日行けへんやつが、学校に毎日行く仕事になんて就かれへんのちゃう?」

母の言葉は正しく思えた。そして、10年近く抱いていた、将来のビジョンの曖昧さに気づいた。ボクの将来は宙ぶらりんになった。

「私を喜ばせようとせんでいいから、自分がやりたいことやりな」
母はそう言って、晩ご飯の支度をはじめた。

自分の将来を考えたとき、いつもライブハウスにいるバンドの皆と楽しく生きていけたら幸せだなぁと思った。でも一つ問題があって、僕は曲が作れない。それは当時の僕にはかなり深刻な問題だった。

バンド以外で考えると、お笑い芸人かラーメン屋の店長。答えがでないまま、時間が過ぎた。音楽業界で生きていきたいという想いは日々募るばかり。音楽でもきこうと思って、1枚のCDを手に取った。

そのとき、ビビッときた。ステージで音を鳴らす人ばかりが、音楽業界にいるんじゃない。CDを作るデザイナーもいるはず。

「これを作る人になろう!」

自分の進路を決めてから、5年。ブレることなく進んでいる。どんな道を選んでも楽しかったと思う。生まれ変わったらまた違う仕事に就いてみたい。


Love is a battlefieldはHi-standardが2000年に出したEP。曲はもちろん、ジャケットの抜け感が最高。エルビス・プレスリーやはじめてのチュウのカバーなど、ハイスタの魅力がたっぷり。

お気持ちだけでも飛び上がって喜びます