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スポーツから見る、主人公報道

 自分は大学時代、「スポーツ新聞部」というへんてこな部活をしていた。勝負にはドラマがあって、負けた側も物語は存在する。そんなことを学んだ。
 だけど、いざ記事を書いてみると主人公は二人書けない。さて、報道が選ぶのは。

主人公は一人だけ
 先日、プロ野球で東北楽天ゴールデンイーグルスの田中将大投手が登板した。マー君神の子不思議な子、と称され、メジャーで通用していた大投手。今年から古巣に復帰した。
 初登板は負け投手。相手選手の上沢直之投手のコメントが物議を呼んだ。

「スポーツニュースは盛り上がらないと思いますけど、すごくうれしいです。僕は映らないですよ」(日刊スポーツ) 

 スター。勝った負けただけでなく、投げた投げなかった、ですら注目される。その一挙手一投足に、みんなの視線は釘付けだ。
 上の場面で、たしかにスポーツニュースでは田中選手が報道され、上沢選手が映ることはほとんどなかった。負けた側が主人公、とはこのこと。
 主人公ってスターのことなのか。生きる世界に華が必要ならば、縁の下の力持ちやいぶし銀は輝かないことになる。でも、殆どの報道はそうだ。

鶏が先か卵が先か
 学生時代、横浜DeNAベイスターズ初代球団社長の池田純さんに取材する機会があった。
 当時の自分はミーハーで(今もだが)、有名選手を記事にしたらみんなが見てくれる、と思い込んでいた。
 大学スポーツにスターを引き込めば注目度が上がるのではないか、とも。
 その思いをぶつけてみたけど、池田さんが返す言葉返す言葉、全て「とりたまご」「とりたまご」。ひよこクラブじゃあるまいし、とりたまごってなんだ?
 鶏が先か卵が先か。鶏は卵から産まれるが、卵は鶏が産む。卵が先とすれば、鶏がいないと卵は産まれない。だが鶏が先だとすれば、卵がないと鶏は産まれない。つまりどちらが先か分からない、という意味だ。
 例えばスター選手がある球団に来るとする。それで球団は人気になるか。という話。それは短絡的だ、と池田さんに諭された。

 「選手だけを愛してもらっちゃ困る、いずれ引退するから。競技そのものやチーム自体を愛してもらわないと。選手依存型ではだめ。チームをしっかりと整わせないと、とりたまごで良い選手は来てくれなくなる。」

 選手依存型だと人気は永続的じゃなくて、良い選手が入って来なくなる。
 だけど、チーム自体の魅力発信や基盤作りをしっかりすれば人気は永続的になり、良い選手も入ってくる、と。
 現に横浜DeNAベイスターズは、チームが横浜という街のアイデンティティとなり、数年前とは見違えて人気チームへ上り詰めた。
 へっぽこ記者は雷に打たれた。


主人公報道の弊害
 スターは絵になる。そして金になる。だけど、主人公報道での弊害はかなりのもんだ。
 フィギュアスケートは浅田真央さんや羽生結弦選手の名が先行し、競技の面白さをピックアップというよりは選手依存型になる。
 卓球だってそうだ。福原愛さん擁する卓球女子は人気だったけど、卓球男子は長い間日の目を浴びなかった。
 取材する機会があった卓球男子の水谷隼選手は言っていた。

「約10年間、光の当たらないところでやっていたので色々な思いがある。実際にスポットが当たり注目してもらえるようになったら、今までのことが浮かんできた。」

 大学時代、母校に48個ほどの部活があることを知った。マイナースポーツの選手ほど、競技本来の魅力を知ってほしいと言っていた。
 競技を人気にするのに、たしかにスターは必要かもしれない。だけど、選手に依存してしまってはだめだと池田さんの取材を経てから気付いた。
 実際に浅田真央さんであったり福原愛さんであったり、引退されてから競技人気は落ちた。新たなスターは現れているが、また彼ら彼女らが引退したら同じルートを辿る。今は時間稼ぎというワケで、とりたまごだ。

 オリンピックまで100日を切った。五輪というものは特別で、世界中が熱狂に包まれる。
 競技そのものの楽しさに気付き、勝ったものが主人公だと素直に報道される唯一の場だ、と思う。
 卓球男子だってそうだ。スピード感あり、パワー溢れる打ち合い。観る者全てが、スターというものを取っ払って競技に触れた。
 競技のアツさを語り合い、新たなスポーツの魅力に気付く。そんな光景が見たいし、そんな報道も見たい。

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