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疲。そして疲。

戦場のピアニストを観た。
見てよかったと思うが、疲れた。ものすごく。

エンドロールの8割、感情を失っていた。
感情失ってるな今、で、戻ってくるのが2割。
マスクをしていたから誰にもバレてないと思うけど、まさに口が開いて、ぽかーんだった。

たぶん、なんにも考えず、どういう映画かもよく知らないまんま、調べないまんま行ったのもよくなかったんだろう。
そりゃそうだ、戦場のメリークリスマスと間違えて行ってしまったのだから。

以下は、観た直後ゆえに、だいぶマイナスめな感想かもしれないが、観に行ったことを後悔しているわけではない。日は、選ぶべきだったかもしれないが。

映画館を出ても、なかなか感情が戻ってこなかった。目が死んでるというか、心ここに在らずというか。なんかちょっとトラウマにさえなりそうだった。
ユダヤ人の迫害って、歴史を学ぶ上で最低限、そういうことがあったという事実を、知識として知ってても、それはやっぱり机上の空論でしかなくて、映像として見るのはやっぱり全然違った。
(実際のところはもっときっと惨いのだろう。)

生まれてきたことが間違いみたいな、
ただ生きてるだけで、晒し者みたいにされて、それでいて、常に背中に(喉元に…ほどではないのがまた怖い)刃が、銃口が突きつけられてるみたいな。
それが自分に…ももちろん嫌だけど、家族に、目の前で向けられるのこそ、もっとずっと目を背けたいだろう。
それでも、怯えながらでも生きるを選ぶってどんなだろうと。
何が正しくて、何が間違いで、何をしたら生き延びれて、何をしたら…みたいなのが、分かんない日常が続くってどんなだろうと。

同じ人間のはずなのに、一方は上で、他方は下に見られて、上(仮)の気の向くままに、憂さ晴らしみたいに、玩具にでもされるかのような。惨いとかそういう次元の遥か上をいくような。

その上下も戦況によって、一気にひっくり返るようなもので、なんだかなぁ。なんて、平和のぬるま湯の中を生きる私には、到底わかり得ないそれだった。

見てられない、吐きそう、逃げ出したい。
途中、本当に外に出ようかと思った。せっかく観にきた映画だが、放棄してしまおうかとさえ思うほどだった。

史実として、知らなきゃいけないような気はして、なんとか思いとどまったけど、目を背けたくなる嘘みたいな現実が、ほんの80年くらい、人がひとり生きている位のうちに、おばあちゃんが幼稚園生ぐらいだった時代に、この世界で起きていたという事実に改めてびっくりだった。

途中目を瞑って、やや見るのを放棄しながらも最後まで観て、ようやく途中で出なくてよかったと思った。最後まで見たからこそ消化できた所もあるのかもなぁと。家に帰りつく頃にやっと思った。
こんなに映画で疲れるのは初めてだ。HPがかなり無くなるし、すり減るし、観るのはもう一回で充分だ。

シュピルマンのピアノに心を奪われた、あのドイツ将校がどうか、あのピアノを、どこかでもう一度聴けていますように。
、、なんて、やっぱり平和のぬるま湯ど真ん中にいる私は、願ってしまう。

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