元不登校児、教育を語る




子どもの教育について高校教師の知り合いや同級生の前で4か月前に講演したけど
まぁまぁスベった
今日はそのスベったお話


西村は小4から不登校でなんだかんだ小中の義務教育過程を4年くらい受けてないのだけど
受けてないからこそ分かることもある

教育はテーマが広いからどんな話も1つの側面でしかないんだけど

今日は日本人の自殺を教育の変遷から自分なりに読み解いていこうと思う


日本人の自殺率を見たときに、年齢別だと子どもの自殺者は10年前から約600人。


率で言うと子どもだけ上がってて
これは家庭環境が大きな要因だとは思うけど
学校教育にも一因はあると思ってる。


教育の変遷を大雑把に見てみると
江戸時代の教育は町全体で
「一人の子どもを一人前にさせる教育」


その為に{若者組}とか{丁稚奉公}があり、家族や血縁に関係なく一人の子どもを町ぐるみで育てる仕組みがあった。

そして、江戸時代の人たちの思想の根底には、孔子の儒教が広く行き渡っており
その儒教の教えが行き渡った江戸時代は、実に300年もの間大きな争いなく続いた。


(因みに孔子の生まれた時代は戦国時代だった為に儒教は「争いを起こさないための教え」と言われている)

その後、江戸幕府は倒幕された後、教育も大きな転換期を迎える
明治になった日本は外国と渡り合わなくてはいけなくなる
そのために政府は富国強兵を目指して様々な政策を行っていき
その一環として政府は先ず学校を作り神官や僧侶に国民の教化にあたらせた。


そこでは
「敬神愛国の旨を体すべきこと」
「天理人道を明らかにすべきこと」
「皇上を奉戴し朝旨を遵守せしむべきこと」
と言う3つの理念からなる

「修身教育」と言うのが行われた。
(修身はなんか良い事言ってる)
そして、福沢諭吉の「学問のすすめ」を広く流布することにより


学校で学ぶ事で立派な人間になり
この世でもっとも尊い天皇や愛すべき家族や国のお役にたつことが出来る。

と言う価値観を作っていった。
その後日本は敗戦をしてまた大きな転換期を迎え、教育方針がアメリカ軍の20代の軍曹によって決められてしまう。
(GHQの話はみんなご存じだと思うのでダイジェスト)

自然崇拝の考え方はキリスト教の善悪二原論
感情や意思を尊重した教育は知識偏重
そして集団に合わせて自分を抑える価値観が生まれた

明治時代にも集団性と言う価値観はあると思うが大きな違いがあり
明治においては親や生まれた国を敬愛すると言う本能的かつ倫理的に自然な意思が土台にあった。
だからこそ自ら進んで集団の色に自分を染め、自ら集団の形に合わせるを厭わなかった


戦後の教育は違う。
感情や意思を伸ばさずに、知識に重点を置き詰め込み教育を行う。
感情や意思の無い人間はロボットに等しい。
けど、政府は替えの利くロボットが欲しかったのだ。

アメリカやもっと上の方々の思惑通り
僕ら大人は見事に意思薄弱で、情報に振り回されるロボット人間になってしまった


そして狭い価値観のなかで生きれない自分は価値が無いと思い込み

今日も東上線が止まるのであった

続く

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