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真面目にふざけた仕事がしてえよな

初めて株を買ってから2ヶ月位経とうとしている。結果から言うとそこそこ負けてる感じだ、現状マイナス4万とか。あまり共感されないが、「いや〜今株で負けてまして…」みたいな返答が出来るのが楽しい。調子が悪いのは全部株で負けてるせいみたいに何でもかんでも無茶苦茶にこじつけてバカみたいに振る舞うのが楽しい。急にキャラ属性が増えたお得感みたいなのがある。

会社を辞めてからというもの逆に仕事仕事仕事で息つく暇も無くなってしまった。そんな中で最近急に知らない所からDMで脚本仕事の相談を受けた。嬉しさ半分驚き半分、これもチャンスだしやってみようかな、いや仕事ならやれるもん全部やるべきだな、と無意識に思って、そんな自分に「あれ?」と思った。フリーランスになってまで生真面目に”お仕事”しようとしてるのってアホみたいじゃないかと思ったからだ。


俺は「仕事だから」という言葉が嫌いだ。それで全部丸め込もうとする”つもり”も気に食わないし、それが何の説得にも解決にもなっていない、効果の無い言葉だってのにも腹が立つ。しかし実際コレを口に出されると言われた側はいつも閉口せざるを得ない。そういう暴力的で一方的な感じがどうも気に食わない。

もしそれに返そうとする場合、「この作品は…」とか「俺の仕事上の役割は…」とか”そもそも論”からやらなきゃいけなくなる訳で、それはとても険が立つ訳で、でもってわざわざそれをやるほどの義理も興味も無い訳で。

「仕事だから」ってつまり「うるせえ黙ってろ」とか「面倒くせえな馬鹿」のビジネス公用語な訳で、であるなら「仕事だから」の言葉の前後でせめて作品が面白くなってるか交渉的文言があれば分からなくもないが、一度もそんな経験が無い辺りを鑑みると、やっぱりそんな言葉を使う人間が”お察し”なのかもしれない。

そんな”お察し”人間に舐められてる現状にも腹は立つが、根本的には俺の”理解量”を舐めてるなと思うと自分は腹が立つようだ。ウンザリする。何も自分の事を全知全能だなんて言うつもり無いが、俺の人間としての”偏り”が読めてないだろ?その偏りが分かってないのに俺を適切に扱える訳無いだろ。俺を活かすつもりが無いだろ?そうやって他人を発見する努力をしない人間とどうして一緒にいなきゃいけないのか?俺を便利に使ってるだけの関係じゃどうしたって「責任」の文字が霞む。それでもやるべきだと言う人がいる。

「仕事だから」と。

それって「仕事」舐めてるだろ?それって根本として良い仕事しようって態度じゃないだろ?とりあえず安牌打ってくれって事だろ?事なかれの平穏主義の面倒臭がりだろ?バレてるぞ、それ。俺が苦虫噛み潰した顔で笑ってるのはな、単に俺が優しいからだよ。俺がお前の人間としての”偏り”を受け止めてるからだよ。

それで意見が通ったからって自分が正しいみたいな顔しちゃってるけど、お前はもっと”偏った”だけだよ。お前は現場を回してるつもりだろうけど、結果ピエロみたいに滑稽に踊り狂ってるだけなんだよ。でも皆面倒だからツッコまないだけだよ。そうやっていつか大失敗するまで永遠に偏ってくんだよ。悲しいね。この苦笑いはそういう苦笑いだよ。


最近、これがとても不毛だと思う。この関係がだ。こんな関係を生み出してしまいそうな場所は、そもそも避けるべきなんだと気付いた。だってそんな関係を生み出してしまうのはやっぱり「相性の問題」であって、それこそ「努力」でどうこう出来る枠を超えた話じゃないか。それを超えた関係構築に必要なのは何より「尊敬」であり「信頼」じゃないのか。そういう前提が有り得ないだろう場所に自ら飛び込んでいくなんて、馬鹿が過ぎる行為なんじゃないだろうか。だって”作品作業”に専念しながら”他者との関係性”を余念なく正していくって、一人の人間には両立できる事じゃない。オーバーキャパか、中途半端になるだけだ。監督とプロデューサーで役割が分かれてるのって、そういう為なんじゃないのか。”作品作業”に専念したい俺は、そう最近思い直している。


「お笑い」を分かってる人に、「漫才やるとしてさ、俺はツッコミやる側の人間かな?ボケやる側の人間かな?」と聞いた。そこそこ迷ってから「まあボケだろうね」という返事に、「でも俺ツッコミやってるほうがウケるじゃん」というと、即答で「それはそうなんだよね~」と同意された。いわく、「根はやっぱりボケだから」という事らしい。

自分で言うのもアレだが、自分は生真面目な方に分類される人間だと思う。でも心根ではフザけ倒したい側の人間で間違いない。その矛盾がどうも上手くハマってないらしい。俺がやりたい”ふざけ”が現場で活かされた試しが無い。それもその筈、そもそも俺の内情や人間性がアニメの現場でバレたことが一度位しか無いからだ。六年やって一度だけ。デキる演出に若気の至りでうっかりアニメ論かましちゃった時だけだ。その演出さんはデキるから、反射的にキレちゃったけど結果許してくれてむしろ親しくなれた、有り難い人だと思う。

その人に「お前は日和っている」と言われた事がある。言われた瞬間には良く分からなかったが、何故だか心に引っ掛かった。今なら分かるが、きっと自分の生真面目さが臆病さの裏返しだけのモノだという事を見抜かれていたんだろうと思う。

結局生真面目なのは後天的な気質で、自分の才能じゃ無かった。ハリボテの生真面目さなんて所詮まやかしで、仕事をする軸としては使えない。それを仕事漬けの最近、痛感させられた。忙しさのあまりに瞬間パンクして生真面目の化けの皮が自ら剥がれてしまったからだ。それで自分だけの事ならまだしも各所に迷惑をかけてしまった。

裏返せば今真面目さが求められる仕事ばかり任されているから、起こった事なのかもしれない。自分向きじゃない仕事をする事に、あまりにも慣れすぎてしまっていたのだと思う。

20も後半になれば、今更スベるのを怖がってもしょうがない。ボケをかませる仕事につけるのもそろそろ最後のチャンスだと思う。自分を伝える努力をしなけりゃ、そりゃつまらなくて当然だ。それを思い直した。



面白かった人、ありがとう。面白くなかった人、ごめんなさい。