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(トラウマ)人生で一番スベッた日の話【小学生時代の記憶を28歳の自分が考察してみた⑰】

コロナの第2波が来ない限り自粛生活も1週間を切り、仕事に復帰する準備を整えていかなければと思いながら鬼滅の刃の最終回の余韻に浸っています。なかやです。

前回は頭が良くてめちゃくちゃいい奴のタイスケがパソコンの授業中に急に「おっ〇い」と検索し始めたというアホながらも手に汗握るエピソードを書かせていただきました。ジャンルは何にしてもあのときのタイスケのようなリスクを顧みない情熱が、何をするにも必要なんだろうなと今になって思います。本編に入ります。

特にこれと言ったエピソードが無かったので小学4年生で書き忘れたことがありました。それは、当時僕が初めて「芸人になりたい!」と志したのは小学4年生でした。理由も人を笑かして自分も楽しい回りも楽しいでお金が手に入るなら最高だな~程度でした。そして、そう思う前からも人が笑ったり楽しませるのが好きだったので、帰りの会の時などに不定期で芸や出し物をする「お楽しみ係」に僕は2年生の後半くらいからずっと入っていました。このお楽しみ係が出てくるときのクラスの雰囲気は、内輪ネタや、ネタを思いつかなければ芸人のパクリなどでも簡単にウケるので、当時の僕は1回1回やる前は緊張するものの、やったら大体ウケるので承認欲求を満たしまくって気持ち良くなっていました。そして5年生になった後も、当然この気持ちよさを求めてお楽しみ係に入り続けていました。

そんなあるとき、先生から「明日の帰りの会でお楽しみ係が出し物をする」という告知が入ります。家に帰ると、僕は明日のネタについて考え始めました。ですが中々思いつかず、いつのまにかパソコンの電源を入れ、当時僕の友達らの中で流行っていた「おもしろフラッシュ」というものを見ていました。そこで、ある圧倒的ひらめきにたどり着きます。

「この中で自分が面白かったと思ったやつをそのままやったら良いんじゃね?」

と。

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