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いのちは一つ 人生は一回

人間の

美味しい

って、

すごいエネルギーだと思った。

改めて。


その、"美味しい"のために、


労力と、いのちと、環境への影響と。


素晴らしい自然のサイクルでもあり、

反自然サイクルでもあり、

今となっては何が自然かわからない部分もある。


私は、一度ベジタリアン生活をしたことがある。

肉、魚、嗜好品、カフェイン、白砂糖や添加物もなるべくとらない。(私の体質的に乳製品もとらなかった)

きっかけはパンチャカルマという、究極のクレンズと言われるアーユルヴェーダの治療を行ったことと、

もともと、

アレルギー体質や、宗教を越え、みんなが同じ食卓で幸せになれないか?と、考えていたから。

あとは、ハワイ島ジャングル体験をしてから、動物を食べる大変さを見たから。


今は雑食に戻った。


何故かというと、

1.油分が足りなさすぎて、ずっと便秘だったから

2.普通に食べたくなったから

2は、だろうね、って感じだけど、

身体が欲しがっていたのを感じたから。それは1にも通じる。

家族のご飯に入っているお肉を知らないふりして食べようと思った時に、もうやめよう、とやめた。


今はヴィーガン、ベジタリアンが流行っているようにもみえる。

ダイエットの目的もあるし、

人間に食べられるためだけに生まれ育つ背景を知ると、誰もが何かを感じる、、であろう。


ヨーロッパへスキーの遠征に行くと、毎年毎年ヴィーガン対応の食事が充実していた。

ヴィーガン対応アイスクリームや

ヴィーガン対応のチーズなど。

その時はすごい!!!と思ったけど、原材料を見るとナチュラルなものもあるし、

その反面、添加物だらけのものもあった。


私はグルテンフリーも経験していて、(調味料まで)

その時は、ほとんどシンプルな食材になったので、何かを規制した(ヴィーガンやベジタリアンなど)食事は健康になる!と思っていたけど、

現在は、わからなくなった。 


冬のトマト

アメリカ産大豆の納豆


現在世に出回っている野菜はF1だから、

ようは、"種無し"という解釈でいいのかな。。

この野菜の種は植えても、元気に育つことはない。

種、肥料、農薬の購入に依存するようにできている。


そういうものを食べて、環境(=健康と、私は解釈している)に配慮している!と、言えるのか…(もちろん、顔の見える安心な農家さんから購入したり、自作してれば別だけど)


私は、反社会的な意見を言いたいんじゃない…


昨日、名嘉睦稔(なか ぼくねん)さんという、版画家の美術館へ行った。

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(ボクネンさんを紹介してくれたトオルさんありがとう!)

「〜"草花"は人間の仲間です〜」

ボクネンさんの言葉そのままに感じる空間に、

私は空腹にも関わらず、美術館から出られなくなった。

草花に疎い私にも、これだけの感動を共有してくれるボクネンさんは、

"自然に対して恩返し"

という言葉を使っていた。そして、まだ模索している様子でもあった。


自然への恩返し…


私は、

冬に食べるトマトも好きだ。

アメリカ産大豆の納豆だって食べる。。


それが、もし現代の自然、、じゃないかもしれないけど、、

だめだ。何が自然かわからない。

(やばい、スケールが大きくなりすぎてしまって、いつもここで、どうしよう…と泣きたくなる。逃げたくなる。)


とにかく、

私の短い人生で、どうやって恩返しができる?


地球は恩返しを必要としている?


狭い檻で一生を終える豚は感謝を必要としている?


変化し続ける気候変動。いきつくとどうなる?

もうこれは、定めであり、決まっていること?



就職難、という言葉を何年も前から聞くけど、

私が見えるところは、だいたい人手が足りていない。


私たちは何を探している?

仕事?  

消費者?





私は、どこへ向かいたいのか。




あなたは、どこへ向かっていますか?



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