扶養内パートから個人で稼ぐ力をつける!と一念発起した、わたしの自己紹介

さてさて、いろいろ話す前に
私がどんな人なのか
をお話したいと思います。

ざっくりどんな人間かというと

親世代から見るとすごく
いい娘代表的な生き方をしてきました

自分でいうのもナンですが
めちゃ優等生でした

家族構成は
父 銀行マン
母 専業主婦 たまにパート

の一人っ子でした


さらに父は田舎の長男だったので
「婿養子をとって姓や墓を守るのだ」的な
ことを言われ育ってきました

基本的には一人娘なので
甘やかされたし、金銭的な苦労もしたことなく、
私も従順な性格だったので

親のひいたレールに不満もなく歩いてました


「中学受験しよう!」と言われたら
中学受験し、
「学校の勉強第一!彼氏は大学にでもいってから」
と言われれば
そういうもんかと受け入れ

まぁ、親の言うことを
受け入れてた真面目子ちゃんでした
(今振り返るとそこまで従順な必要ある??
と不思議で仕方ありません)

一人っ子の方はわかるかもしれませんが、
「子供は私ひとりだから親孝行しなきゃ」
と勝手に制限をかけてたんですね

勝手に一人っ子プレッシャーをかけてました
(当時は無自覚でした汗)


そんな私は
中学は第一志望(親が一番望んでた学校)に無事合格し、
高校も上の方の成績で、大学も推薦で受かるという
順調にいってました。

しかし、大きな挫折を
就職活動で味わうのです・・・・


リーマンショックで
求人数激減!

ということで
すごく就活は苦労しました

求人数減ってても
受かる人はすぐに受かるんですよね
そういう人って
「わたしはこんなことをする!」ていう
軸があって、大学時代もその軸が
通った生活してるから、
就活してもすぐ決まるんです


でもわたしは、
親の為に生きてきたから
自分軸がない。

軸がないのって
面接官に見破られるんでしょうね

1次2次は人当たりの良さで
通っても、最終面接で落とされまくるんですよ

そりゃあそうです

志望動機やアピールポイントを
会社ごとに変えてたんですから
(会社が求めるであろう人に合わせてた)

今では受からなかった理由が
「自分軸がなくて、頼りなかった」
てわかるけれど、当時は分からなくて

本当に辛かった、、、

(一度面接中に泣いてしまうくらい
メンタルやられてました)

あれ?
優等生のわたしがこんなつもりじゃないのに!

親に面接落ちたって言いたくないって

そんなでも必死に就活を続けて、
なんとか受かりました

あまり興味のないアパレルです

でも、とりあえずどこでも受かりたかったから
ホッと胸を撫で下ろした記憶があります

希望してない職種だったけど、
人に恵まれて楽しくお仕事してました

4年働いたのち
大学の頃からお付き合いしていた彼と
結婚をしました

アパレルと結婚生活の両立は思ったよりも
大変で、一度退職して、
土日休みand長く続けられそうな
事務職への転職活動を始めました

そのわずか3ヶ月の間に
ベイビーを授かりました

幸福感でいっぱいでした

でも心配ももちろんありました
なぜなら無職の状態での妊娠だったので、
収入源が主人のみだったのです

でも、能天気なわたしは
「ま、なんとかなるっしょ!」と
妊娠期間中は節約しつつマタニティライフを送ってました

無事娘が産まれて、
ワンオペで大変ながらも

本当に可愛くって、慈しみながら
大切に育ててました


でもやっぱりお金の不安はずっとあって

マタニティグッズや
ベビーグッズを買う時は貯金を崩して買ってて、
だんだんと独身時代の貯金が減っていってました

収入のない子育てはやはり我慢も多く、
けっこうストレスたまってましたね。

ストレス解消したくても
遊ぶお金がない、、、!


「娘のそばで子育て楽しみたいけどやっぱ稼がないと!」
ということで保育園になんとか入れて
近所でパートをはじめました

パートと保育園に慣れた時
事件が起こったのです、、、


なんとですね、
ブラック企業勤めの主人が過労で
倒れて救急車に運ばれたのです

駅の階段で気を失って
転げ落ちたそうです

幸運にも
大事には至りませんでしたが
病院からの電話があった時は
背筋が凍るという体験をはじめてしました


この時にいろんな思いが錯綜しました

「今回はラッキーで何もなかったけど
もし、旦那が死んじゃってたら?

障害抱えるようになってたら?

生活やばくない??」

自分の依存度の高さと今の幸せは
薄い氷の上にあるんだなと感じたのです

「ちゃんと稼ぐ力をつける!」

と決心したのでした。

この後もいろいろあったのですが、
また今度お話します

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