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ママと世界の終わりを迎えたい私の異常性

もしも。
世界が、地球が、宇宙が……当然ながら生命体が、ひとつ残らず、一斉に消え去る日が訪れるなら。
最期の瞬間を、あなたは誰と迎えたいですか?
私は母の胸の中に抱かれながら消えたいです。
今回はそんな話。

この文章は私の現時点での思考を具体化させて客観視することを試みたものであるので、発展的な気付きや結論はありません。
また、自分自身の思考に対し乱暴な自己ツッコミを入れていますが、これはあくまで他ならぬ自分自身が対象であるからこその感想であり、この文章に共感した、あるいは近い感情を抱えている第三者に向けたものではありません。私以外のどなたかを中傷する意図はありませんのでご了承ください。


母の抱擁に覚えた安らぎと空虚さ

先日、母方の祖父母、そして母が新型コロナウイルスに感染しました。
母方の祖父母と我々は同居していませんが、高齢であるため、母が週1回以上のペースで母の実家を訪れ、畑仕事、買い出し、通院などの補助をしています。

ある日、祖父が体調不良であると連絡が入りました。母が実家に向かい、新型コロナウイルス検査キットを利用するとまごうことなき陽性反応が。
母は我々の家に荷物だけ取りに戻ると、そのまま母の実家にて看病&隔離生活に入りました。
そのうち、祖母と母にも同じような症状が出てきました。当然ながら新型コロナの感染拡大です。
幸い、祖父母も母もすぐに回復し、その後後遺症らしきものも出ていません。

母が実家に籠っていた間、約3週間程度でしょうか、私は母に一度も会いませんでした。
大学も実家から自転車で通える範囲で、就職も地元企業である私にとって、母とこんなに長期間会わずにいたのは人生で初めてのことでした。
(今回の話にはあまり関係しませんが補足。私は平日、職場近くのアパートで寝泊まりしており、土日だけ実家で過ごすという生活サイクルを送っています。一人暮らしの気ままさと親の援助を受けられる実家暮らしのいいとこ取りです)
別に会わずにいても寂しさはありません。無事なのは連絡を取って分かっていたので心配もそんなに大きくは膨らみませんでした。
そして、母が自己隔離を終了させて実家に戻ってきて、私も実家にやって来た時。何気なく母にハグしたのです。

……その時の、満たされた感じ。足りないものが埋まった感じ。
幸福感を覚えると同時に《ああ、私は35年生きてきて、母以上に抱擁で安心感を覚えられる相手を見つけられていないんだ、そういう人生を選んできたんだ》という虚しさも感じました。

それに付随して、ふと思い出したのがネット上で見かけた思考実験、というか問いかけです。
世界が明日滅ぶなら誰と最期を迎えたいか。
厳密には明日ではなかったかもしれませんが、とにかく、世界がこの日に滅ぶと分かっているなら、それまでの時間、そしてその瞬間をどのように使いたいか。そういう問いです。
これを見て、最期の瞬間に私が望むシチュエーションを軽く考えました。
母と一緒にいたいな、というのが答えでした。
普段、母と共に死にたいとはこれっぽっちも思っていません。私は人間の身体に許される寿命の限り生きたい。でも世界の全てが一斉に、確定的に滅ぶというならまた違う感情を抱きます。
母の胸に抱かれて、私は母の存在を感じ、母は私の存在を感じ、共に無に還りたい……。

……キッッッモ!!! いや……キモいを超えて……マズくないか??

これだけ生きてきて、未就学児が抱くような願望をそのままアップデートできていないとか……私はそれでいいのか?

どうしてこうなったのか?――自立できなかった思春期

何故私はこのような母への執着から卒業できずにいるのか。
自分なりに根本にある出来事を探っていこうと思いますが……あくまで思い付きであり、心理学その他の学術的な分析・根拠に基づくものではありませんのでご了承ください。

私としては、思春期――特に中学の時まで、同級生(同年代の学生)のコミュニティに馴染めずにいた、という経験が根深く影響しているのではないかなと思っています。
友人が全くいなかったとまでは言いませんが、その友人と思えた人にも私より仲の良い子がいましたし、少なくとも健全で対等な仲間と『つるむ』ことはできずにいた。
厳密には『つるむ』ことは一時ありましたが、どうもその子たちにものを盗まれた疑惑(具体的にはポケモン金)があってその集団から離れたんですよね。
とにかく、家庭(私の保育に協力してくださったご近所さん含む)よりも安心感を覚えられる、居たいと思える人の輪、居場所を見つけられなかった。
親ガチャに成功していた部類であること、同年代の集団で浮いていたこと。
これにより、親が最後の頼み、絶対的な安全領域で在り続けた。
親への反抗期もあまりなかったと記憶しています。同居していた父方の祖父(故人)に対しては、だいぶ遅れて、少しあったかも。
高校に進学すると、少人数の『一緒にいられる人』にも巡り合えて、いくらか学校生活も楽しくなりました。その中には今でもご縁が続いている方もいます。

何故同級生の間で浮いていたのか(今も職場で浮いているので、過去形ではありませんが)は自明で、要は私の精神年齢が低すぎたのです。
だって、中学に入ってからも、廊下で転がって泣きわめいていたりしたんですよ? 何が切っ掛けでギャン泣きしたかははっきり覚えていませんが、自分がそうしちまったことは記憶に焼き付いています。
この文章をお読みの皆様。自分が中学生だった時の自分を思い浮かべた時(もしくは今中学生の方は、あなた自身が)、当時のあなたは、同年齢でありながらこんな反応をする子と仲間になりたいと思えますか?
……ほとんどの方は『否』と答えるのではないかと思います。

今職場で浮いているのも根は同じと考えます。
視野が自分のことでいっぱいになっている、即ち気が利かない。情緒が安定しない。
扱い辛いことこの上ない人材だと思います。
自分ですらそう思うので、ここを何とかする……視野を広げる、情緒を安定させる、少なくともそのあたりをどうにかしないと、私は私自身を売り込むに値する人材だと判断できません。

子供”だけ”が欲しいエゴの根幹

自分で自分を売り込みたいと思えない。
自分を売り込む行為と言えば一つ、婚活が挙げられますね。
私自身はこの文章を書いている時点では婚活していませんし、結婚自体、己の感情からすればしたいとはあまり思えていないのですが(加齢に備えた社会扶助の手段と、人生の仲間が欲しいという意味合いでは結婚したい気持ちは皆無ではない……結婚願望の詳細に関してはまた別の機会に)、何故か子供が欲しいという漠然とした気持ちは昔からあったんです。
自分が子育てに向いているとは全く思いません。
先述した精神の未成熟さからしてもそうですし、そもそも私は、時間や生活に束縛がある状態が苦手です。いや、定時に出勤するルーティーンとかは良いのですが、それ以外のシーンにおいて。
思い立った時に自由に旅行できない(観光だけでなくイベント、ライブ、観劇などの遠征含む)状態が嫌とでも言い換えれば良いでしょうか。
ペットに関してもそうです。
私はうさぎが大好き、他の動物も色々と大好きですが、今のようななんちゃって一人暮らし(家から職場に通えなくもないが、会社の厚意により通勤に便利な別荘を用意している)ではなく、実家に日帰りできない土地に一人移住したら、決してペットを飼うことはないでしょう。

あらゆる方向から見ても子供を持つべきでない人物であり、自分でもそう理解しているにも関わらず、呪いのように『子供が欲しい』気持ちが息づいている。
過去世の無念によるものかな?
……いえ、ちゃんと今世の自分を振り返ると理由は推測できます。
私が母を無条件で大好きだから。
私が母を好くように、私を無条件で好いてくれる何者かが欲しいから。
これが『漠然と子供が欲しい気持ち』の正体ではないかと私自身は考えます。
だから子のもう片親、家族となるべき男性は希求の対象に入らず、『桃か竹から収穫した子を両親と一緒に育てられればいいなぁ』という自分の都合しか見えていない理想が生まれてしまう。
見下げ果てた、自己中心的な感情だとは自分でも思います。とても正当化できる思いではない。
そもそも子供は親にとって都合よく動く道具ではないし、子は無条件で親を愛すものでも勿論ない。不適切な接し方は子に取り返しのつかない傷を負わせて人生全体を無茶苦茶にします。
子育ては命をこの世に送り出し、幸せを得られる人間として育て上げるための途方もなく大きな責任を負う行為。
頭では理解しているつもりなのに、感情が別のところから生えている。
……何とか修正していきたいものです。

ちなみに、子供が欲しい気持ちの発生源、心当たりがもう一つあります。
私に兄弟がおらず、一族も少ない(はとこ以上に離れた関係性の方々は多いですが……)からです。
特に母方の孫は私一人しかいません。
折角祖父母が元気に長生きしていてくれているのに、ひ孫を見せてあげられない。親に孫を、その先に続く世界を示してあげられない。
でも、私自身に親になる資格がないことは、私が一番解っている……。

子供を持たないにしても、結婚しないにしても、何とか自分の精神を成長させていきたいです。
でも……どうすれば?

結論は出ませんが、感情をあらかた吐き出し切ったのでひとまず筆を置きます。
ただ感情を連ねただけの文章にここまでお付き合いいただき、本当にありがとうございました!

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