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博士論文提出までの道①

博論の最終稿を提出して、二日が過ぎた。自分が関わる審査はすべて終了し、あとは結果待ちである。

ここまで、長かったのか。博士課程に入学してからの時間を考えれば、
時間をかけ過ぎたと思う。その間にパンデミックの影響を受けたというのは
事実だが、言い訳にしかならない気がする。


修士課程とは別の大学院へ入り(修士時代の恩師との約束だった)
最初の一年は、授業ごとに毎回出される課題をこなすだけで精一杯だった。
博士課程に入って、こんなに宿題を出されるとは…と、目を白黒させた記憶がある。とても自分の論文を書く余裕などなかった。

博論提出までのプロセスは各大学院によって千差万別だろうが、籍を置く大学院は、それが厳しい方だと思う。いわゆる独立研究科だからだろうか。
査読付き論文三本に、構想発表合格という提出条件がある。
並行して複数の論文を書けるほどの器用さをはなから持ち合わせないため、
年に一本の論文を出すのがやっとだった(しかも一本目は、内部査読で実質的にリジェクトされた)。

ようやく、構想発表に合格し「さあ、あとは博論本体を書くだけ」だと思ったら、翌年にはパンデミックに突入。不要不急の外出を控えよというお触れのために、閉じこもる生活。もともと、一人での外出がままならない身体のため、余計に行動が制限され「開店休業」状態に入った。



このままでどうなるのかと漠然と焦っていたら、大学院事務から
「このまま博士論文を出さなければ、在籍期間の満期で退学になる」という
恐ろしい連絡が突然来た(在籍年数を数えておかなかった自分が悪い)。
勧められるまま休学手続きを取り、一旦学籍を止める。
休学したからと言って、提出できる博士論文が手元にあるわけではない(むしろ、一文字も書いていなかった)。

そうこうしていると、その年の9月?末頃に新刊として刊行する論文集に執筆しないかという、大変有難いお誘いが舞い込んできた。
ずっと「書きなさい」と言われていたテーマを放っておくのも限界かと思い定め、重い腰がやっと上がった瞬間である
(今でも、このお誘いには感謝してもしきれない。これがなければ、間違いなく博論を書くきっかけは、永遠に失われたままだっただろう)。

論文集刊行の記念食事会の席で「開店休業」状態からの脱出を決意し、
だいたいの章立てを頭の中で考え始めた。
必要な資料を読み(7割ぐらい英語文献のため、ネットで収集可)
原文と邦訳をWordに打ち込む日々が始まる。この作業がだいたい半年。
日本語文献については、使えそうな文章に付箋を貼りまくった。

これらの作業とて、博論執筆につながるという(絶対的)確信があったわけではない。意味があるのかと思いながらやっていた(続く)。


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