見出し画像

優しい口づけ(4)

白昼のキスは、そこだけ時間が止まったように長かった。互いに離したくないと思っていたが、離れたくないという想いは私の方が強かった。

唇をゆっくり離そうとする彼を引き留めた。1分でも1秒でも長く、そこに留まっていたい。唇を離しても、彼の胸に顔をうずめていた。「もう少しだけ、このままで…いさせて下さい」そう言う私の気が済むまで、龍男さんは抱きしめていてくれた。

怖かったのだ。自分の中の自分が引きずり出されて告げそうになることが。どうにかおし止めて、顔を上げる。そのあいだ、何も言わないでいてくれた龍男さんに感謝しかない。



それから晩ごはんを食べ終えるまで、ほとんど話さなかった。二人とも、お酒は飲まない。たとえ休みの日でも、普段ならいつ呼び出しがあるか分からない私は、習慣で。龍男さんはお酒の勢いで、そういうことをするのは狡いと考えているから。

片づけを終えて振り向くと、そこに龍男さんがいた。



二人の理性が働いたのは、そこまでだった。目で私の意思を確かめると唇で唇を塞ぎ、そのまま私をソファーに押し倒す。丁寧に、手を添えて。



その先へ進む時も、私はキスから始めたい。それを分かっている龍男さんと交わす口づけの、何と気持ちのいいこと。入ってくる舌の動きが激しくなるほど、互いの唇が濡れる。

私にかぶさったまま、彼は自分のシャツのボタンを外し始めた。そして、ゆっくりと、私のブラウスのボタンも。

うっすら汗が浮いた胸から上がってきたキスが首筋に達したとき、私の中で何かが弾けた。彼の動きに合わせて、私の身体がしなる。まるで竹のように。彼にしがみついたまま、堪えきれなくなり言った。もう、限界だった。


「好きです」



抑え込んで言うつもりのなかった言葉。私の前に私を引きずり出し、隠してきた言葉を告げさせたのが龍男さんだった。

「やっと聞けたな。その言葉」

そう言うと、もう一度優しく、そして激しく唇を合わせてきた。



入浴を挟んで、二度目は髪を乾かしている時だった。後ろからそっと抱きしめ、私が着ていたものを解き始める。肩まで露わになった時、私は反射的に身を硬くした。

「背中の痕…ご存じですよね」

「見られるん嫌か?」

首を振って、言葉を続ける。

「龍男さんになら構いません。本当に見てもいいとお思いになるなら」

私の言葉に頷くと、背中まですべて露わになるようにすると同時に、そこに残る無数の痕に唇を重ね始めた。








私の背中には、煙草の火を押し当てたことによる火傷の痕が広がっている。母がつけたものだ。まだ、虐待という言葉をそれほど耳にしなかった時代だが、折檻や煙草の押し当ては日常茶飯事だった。今も、肋骨は数本折れたまま。火傷の痕も今の医療ならばもっと綺麗になるらしいが、それをしていない。

火傷の原因となった煙草の火に対する恐怖だけは、今も残っている。人が吸うのは構わないのだが、火のついた煙草をこちらに向けられると、恐怖で動けなくなる。



高校時代、一度だけ煙草を吸っている龍男さんに遭遇した際、手に持っていたそれが私の方へ向けられた。その場でガタガタと震えて動けなくなった私を見て、ただ事ではないと分かったようだ。動けるようになるまで私を抱き、話を聞いてくれた。話を聞くだけでなく、火傷の痕を見ても目を逸らさなかったのは龍男さんだけである。








こんなに気持ちいいのは初めてだった。震えるような快感を味わった。

目に触れれば驚かれ、気持ち悪がられる傷痕に、優しく触れる人などいなかったから。

「姉貴でさえ、今も怖がってるものを…」

私の声など聞こえていないかのようだった。

突然、手が伸びてきて私の身体を反転させると、彼は自分の唇で私の唇を塞いだ。これが二度目の始まりの合図だった。



糸を引く蜜のような唾液の混ざり合う音だけが夜の静寂に聞こえてくる。不規則に強弱がついた音。まるで、それ以外の音の存在を認めてはならないかのように。それだけが永遠に響いている。



ただ今は、龍男さんの中で崩れてしまいたい。そう思った私は龍男さんに言った。

「嫌じゃなければ、好きにして下さい」

次の瞬間、ふあっと抱きかかえられた私はベッドへと運ばれていった。優しく私の身体を横たえると「ええんやな?」という問いに頷いたのを見て、取るべき物を取った。

私は手を伸ばして、彼の身体を露わにするためにボタンを外した。その時になって緊張が伝わったのだろう。

「もしかして、初めてか」

「ええんか。俺で?」

「大事な人じゃなければ、やりません」はっきりと告げる。

その返事に、口づけを返してくれる。


そうして、ゆっくりと私の中に龍男さんが入ってきた。動きが激しくなると痛みも強くなると分かっている彼は「痛くないか」と気にしてくれる。「ちょうどいい痛さです」そう言う私に「お前、ほんまにMasochistやな」と呆れたように笑う。Sadisticでありながら、紳士的な人を私は他に知らない。



それが終わると、再び唇を重ねた。私の身体を起こし、痛いほど強く抱きしめる。抱擁の熱で龍男さんの体温を感じた時、ふいに彼が何かに戸惑っていることに気付いた。

両手で顔をはさんでこちらに向けると、その目は涙で濡れている。まさか、彼が涙を流すなんて。彼自身も自分の涙に戸惑っていたのだ。

「私がしてもいいですか」

無言で頷く龍男さんに、初めて私から強く口づけをした。彼の迷いを打ち消すように、私は唇を離さなかった。



「愛してる」



「お前を愛してる」

絞り出すような声でそう言われ、耐えていたのは私だけではなかったと悟った。私以上に、龍男さんは耐えていた。

「もう我慢しないで下さい。私も愛しています」

私の言葉に安堵するかのように「ああ」と短く答える。そして、このまま二人で溶け合おうとするかのように、私からの口づけを求めたのだった。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?