芙蓉友奈は勇者でない 第1話雑感

 はじめに

まずはじめに、今回は8月28日(金)に発売された「電撃G'sマガジン」に掲載されている、「勇者であるシリーズ」の外伝「芙蓉友奈は勇者でない」の第1話を読んだ個人的な感想を綴る回である。従って、本稿は作品のネタバレを多分に含んでいる。内容を知りたくない方は、一度作品に目を通してから改めて読んでいただければと思う。また、この作品は小説投稿・閲覧サイトの「カクヨム」で一部無料で公開されているようなので、そちらを参照してもよいだろう。また、本稿は「勇者であるシリーズ」作品群についてある程度触れてきた方を対象としているため、作品そのものに触れたことがない方はその点をご了承いただきたい。

 本章のテーマについて

 さて、本章は、執筆を担当された朱白先生曰く、「変化への適応」がテーマであると説明している。(以下の引用については、特別記載がなければ「電撃G'sマガジン9月号」でのインタビューによるものである)

「四国に壁ができる前の西暦時代でもなく、壁があることが当然となった神世紀数百年でもなく、まだ壁ができる前の時代。その世界に生きる少女たちが、世界をどのように見ているかを描いていきたいと思っています。」

 ここで時代背景を整理しておくと、舞台は「乃木若葉は勇者である」から約30年が経過した神世紀29年である。人類は天の神と戦争を繰り広げ、「敗北に近い形」での和睦を受け入れた。人類が住む世界は四国内に限られ、「壁」の向こう(=四国外の世界)は炎に包まれた地獄と化している。

 従って、この頃にはまだ先の戦争を知る世代が多く生き残っている。そして、同時にその戦争を知らない世代が徐々に増えつつある。それらの世代が、この時代をどう感じ、受け入れていくのかといったような内容でストーリーが展開されていきそうである。

 「一般の人たちはどういう思いでこの世界の変化を見ていったのか、最近ちょっと想像するところはあります。(中略)過去を知っている人からすれば、神世紀の世界は異常なものに見えるはずなんです。」

 上記の発言はアニメ版のメモリアルブックにおける朱白先生のインタビューから引用したものである。敵と戦うということは、争い最前線で戦う者(本作品群では勇者が該当する)がクローズアップされがちである。しかし、現実の戦争がそうであるように、戦いや災害というのはその最前線で戦わない人たちも当事者となる。本作は、そういった人たちの視点からの描写に挑戦しようとしたものであると解釈できよう。ただし、本章は戦争を知っている世代ではなく、戦争を知らない世代が主役となっている点には注意しておきたい。

 前置きが長くなってしまったが、本回は感想を述べる回なので、以下より実際に第1話を読んだ感想に移りたいと思う。

柚木友奈は縛られる

 物語は、主人公の一人である柚木友奈(以下、柚木)が中学校へ登校するシーンから始まる。何気ない朝の風景の中で、柚木は自分の名前である「友奈」について、以下のように述べる。

「私はこの名前が嫌いだ。あたかも特別な存在であるかのような印だから。でも、私は特別な存在なんかじゃない_」

 柚木が「友奈」の名前を嫌うのは、その名前を持つ者は特別な力を持っているのではないかという、あらぬ期待をかけられるからであると同時に、自身に実際そのような「特別な何か」がないことへのコンプレックスがあるように思える。

「生まれた時に特定の行動_たとえば逆手を打ったりした女子には、大赦から英雄、高嶋友奈にあやかり、『友奈』という名前が贈られる。天の神に対する、ささやかな反骨心なのだろう。」                _「乃木若葉は勇者である 下巻」

 「友奈」という名前が特別というのは、初代勇者であるである高嶋友奈と同じ名前であることと、生まれたときに逆手を打った者に風習として名付けられるという二つの理由からである。人類を敵から守った者の名であり、さらに「特別な所作」をしたものに名づけるという由緒があれば、確かに特別な何かを持っているかもしれないと思うことも無理はないだろう。

 だが、その名をつけられる側に立って考えてみるとどうか。皆さんも、自分の名前の理由について、親に聞いてみたことは一度くらいあるのではないだろうか。大体の場合、その名前や字には、両親が考えた末にたどり着いた何らかの「理由」があるはずだ。しかし、「友奈」にはそれはない。「特別な所作」をしたからといって、それを覚えているはずもない。ただ風習に従ってつけられた名前を持つだけで、何かあるんじゃないかとずっと思われてしまうことは、多感な中学生にとって精神的な重荷となってもおかしくはない。

「柚木や芙蓉の「友奈」という名前を見た時、2人に対し「友奈というからには何かあるのではないか」と推測した『ゆゆゆ』ファンもいらっしゃるのではないかと思いますが、それこそが柚木の感じている”友奈の名前”のプレッシャーそのものだと思っていただければ。」

 上記は、1話に先だった朱白先生のインタビューにおける発言である。本作において「友奈」は「プレッシャー」なのである。「勇者であるシリーズ」において、作品の設定として重要な役を担っている「友奈」であるが、この作品においては、キャラクターの属性を縛る要素として設定されている感がある。

 話が脱線したが、柚木はそういうコンプレックスを抱いているからか、次のように述べる。

「進学するより、私は『力』が欲しい。その『力』ってなんだ?と言われると、私もはっきり答えられない。」
「多分、それは誰にも頼らず、自立して生きていける力_具体的には、お金を稼ぐ力なんじゃないかと思う。」
「でも、何となく違うような気もする。」

 柚木が欲する『力』とは何かというのは、今後ストーリーが展開していく中で重要な要素といえそうである。彼女は現状、この『力』とは何かを模索しながら日々を生きている。それは自身で述べた通り「自立していくための力」「お金を稼ぐ力」なのかもしれないが、もしかすると「友奈」という名を持つに相応しい人物足り得ようとするために必要な力なのかもしれない。

 いずれにせよ、この時点では柚木の心情について、以下の2点が述べられた。

(1) 「友奈」という名前が嫌いであること

(2) 何か『力』を欲しているが、それが何なのかはまだ分からないこと

 このことが、今後のストーリーの中でどのように変化していくかは、注視していきたいと思う。

柚木の家庭環境について

 少し余談となるが、柚木の家庭について読んでいこうと思う。彼女の家は母子家庭で、父親ははやくに姿を消している。女手一つで柚木を育て上げた母親の存在は、彼女の心情や性格の形成にも少なからず影響を与えたのではないかと思う。

 柚木の母親は翻訳家である旨が作中で説明されている。個人的に気になったのは、以下の部分である。

「旧世紀の海外の文献を_小説から論文まであらゆるジャンルのものを、日本語に翻訳する仕事。」

 柚木の母親は、一つのジャンルに絞っているのではなく、「あらゆるジャンル」の文献を翻訳しているのである。これは、想像以上にすごいことをやってのけているようである。

 以前翻訳の作業についてネットで見たことがあるが、通常翻訳というのは、物語なら物語、論文なら論文と、特定のジャンルに絞って活動することが基本であるという。それは適宜内容にあった日本語に組み立て直す必要があるからで、それぞれに特化した外国語と日本語の能力を備えていなければならないからである。柚木の母親は、これを備えているということである。

 文学作品を読んだときに、その独特な比喩が理解できなかった人は少なくないかもしれない。同時に、学術論文の難解な用語に苦労した人もかなりの数いるのではないか。

 以前ライトノベルに関する本を読んだ際、日本語ラノベ(「文学少女」)の英訳作業について、次のような解説がなされていた。

「語り手の心葉がヒロインの遠子の自己中心的な発言を嘆く一言だが、(中略)日本人によく知られた『ドラえもん』のジャイアンから英語圏の人がよく知る『マペット・ショー』のミス・ピギーに置き換えられている。」  一柳廣孝/久米依子「ライトノベル・スタディーズ」

 このように、外国圏では日本特有のキャラクターや言い回しを、現地の人間に分かりやすいたとえに置き換えることがある。これは極端な例ではあるが、日本語にはない表現などを、日本人が理解できる表現として書くことは、特に小説などでは要求されるはずである。そのように考えると、柚木の母親は非常に高いレベルの教養を備えている可能性が高い。

 また、たとえ翻訳家の数が減って貴重な存在となってとしても、多様なジャンルの翻訳を手掛けるとなればやはり重労働に変わりはない。作中でも述べられていたが、柚木の母親の生活は不規則になりがちなようである。そのような姿を物心ついた頃からずっと見てきたとなれば、柚木が自律を目指そうとする姿にも納得ができよう。

友奈界の異端児現る

 「我々は目を隠された愚民ではない!深淵を覗くか覗かざるか選択するのは我々であるべきだ!深淵に臨む志を持つものたちよ、我が元に来たれー!!」

 事前の情報がなければ、これが「友奈」の名を持つ人間のセリフだと想像つくものはそういないだろう。基本的に他作品や本作の柚木は、「天然だけど良い子」や「落ち着いた子」である。キャラデザの可愛さとは真逆の破天荒な言動は、とりあえず衝撃的であった。

 これが、本作もう一人の主人公である芙蓉友奈(以下、芙蓉)の登場シーンである。事前の設定紹介でどういう人間かというのは何となくイメージしていたが、ここまで破天荒であるとは思わなかった。確かに、傍観者といえる柚木とは、いい感じのカップリングになりそうである。

 それはさておき、彼女について与えられた情報としては、以下のようなものがある。

「一年の時は学校にあんまり来てなかったし、その時は大人しい子だったのよ。二年になってから学校にも毎日来るようになったけど、あんな変なこと言うようになったのは、ここ一ヶ月くらいかな。」
「六,七年前くらいだったかな、テレビで引っ張りだこだったから。子役タレントとして、ドラマ、CM、バラエティ番組とかに出てて」
「大人気だったんだけど、一年くらいで芸能活動をやめちゃって、その後どうしてるのか知らなかったけど‥‥‥」

 整理すると、

(1) 元々子役として知られていたが、突然芸能活動から身を引いた

(2) 学校にもあまり来ていない大人しい子だった。

(3)二年になってからは毎日くるようになったが、ここ一ヶ月で突然おかしくなった

ということである。

 この独特な経歴は、今後の物語を形成する伏線になりそうな気はする。その道で生きていけそうな手段を何らかの経緯で手放し、突然世界の心理がどうのこうのと言ってしまうというのは、流石に裏で何かあったと勘ぐってしまう。

 子役時代の彼女がどういう人間だったのかは現段階では分からないが、大人しい性格が急に破天荒になるのは少し考えにくい。おそらく「一か月前」かその前後で、彼女の心理を左右するドラスティックな外的変化がおきたのかもしれない。そしてそれは、彼女の述べる「壁と神樹と勇者の真実の深淵」に関することなのだろう。

心の深淵で湧き上がる興味

 2人の主人公が揃ったところで、柚木と芙蓉が実際に言葉を交わす場面へと話は進んでいく。

 「というか、他人への興味が薄いというより、私は自分のことでいっぱいいっぱいなんだ。」

 柚木は友人に「他人への興味が薄そう」と言われ、心の中で次のように述べた。他人へ興味を向ける余裕がないはずの柚木が、ここから芙蓉を探して大移動を繰り広げる。

 順を追って整理すると、まず芙蓉が学校でばら撒いたビラの番号へ連絡を入れる。そして、芙蓉が伝えた「試練」を解く(=芙蓉のいる場所を探し当てる)べく家を出る。

 まず向かったのは高屋神社である。「結城友奈は勇者である」の聖地として既に訪れた方も多いと思うが、あそこへ向かうのは非常に大変である。まず観音寺駅からかなり距離が離れているし、入口まで徒歩で向かう気にはあまりならない。また、神社の本宮が山の頂上にあるため、麓からは山道を登り、さらに石段を登らなければならない。僕なら一人でなければ車、一人でもマイクロバスを使うだろう。

 結果的に高屋神社は空振りだったので、そこから嶽山という山の龍王神社へと向かった。この神社は作中で述べられている通り、ことでん長尾線が最寄り駅となる。これは観音寺市内からかなり離れている。まず、高松~観音寺はJR予讃線で約56kmある。東海道本線でいえば東京~茅ヶ崎よりやや短いくらいの距離で、片道運賃も1000円を超える。また、そこからことでんで最寄りである学園通り駅まではさらに30分、そこから麓までは3km以上ある。この間の移動が

高屋神社→徒歩→麓→自転車→観音寺駅→鉄道→学園通り駅→嶽山

と考えると、3時間はかかってもおかしくない。

 ここで考えたいのは、どれくらいの距離を移動したかということではなく、そこまでして「柚木が芙蓉を探そうとした」理由であろう。

「待っていようがなんだろうが、知ったことか。私はもう帰るんだ。芙蓉友奈のことなんて絶対に気にしないぞ。___と思っていたのに、なぜか私は予讃線の電車に乗って、今度は東へ向かっていた。」

 作中において、柚木は何度も芙蓉友奈のことは気にしない、自分にそんな余裕はないと心の中で言い聞かせながら、体は芙蓉の元へ向かっているという言動を繰り返した。高屋神社ならまだしも、嶽山のような場所は行くのを躊躇いそうな程度には離れている(他には石鎚山という候補もあった。ここはさらに遠い)。かつ、行ったところでそこに芙蓉がいるか分からない。それでも時間と金をかけて向かうとなれば、本人が自覚していない心情の変化があったはずだ。

 差し当たって考えたのは、以下の2つの可能性。

(1) 単純の芙蓉との電話でのやり取りを通して、芙蓉が心配になった

(2) 芙蓉に会うことで、自分の求めるものの正体に近づけると思った

 まず(1)について。二度目の芙蓉との電話において、柚木は芙蓉の口調に異変があることを感じ取っていた。心のどこかで、彼女の身に何かあったのではないかという想像がはたらく可能性は十分にある。実際、柚木はそのように感じたが、だからといって芙蓉を気に掛ける必要はないと自分の行動を否定しようとした。

 次に(2)について。冒頭において、柚木は自分が『力』を欲しているが、その正体が分からないという心情を吐露していた。芙蓉とコンタクトすることで、その正体をつかめるのではないかという期待があった可能性である。

「芸能界に詳しいわけじゃないけど、きっと収入だってかなりあったはずだ。羨ましい。あんな変人なのに、あの子は私なかより『力』を持っているんだ。」

 芙蓉の身の上の話を聞いたとき、柚木はある種の羨望や嫉妬に近い感情を抱いていた。この時点で、少なくとも芙蓉のことを「特別」な存在であると認識していた可能性はある。

 実際のところ、文中の表現から一度頭を逡巡した考えは(1)であるから、素直ではないが心配であったということがこの時点では近いのだろうと思う。芙蓉に対して、この時点で柚木が自分の心の核心に迫るものに出会えるからとか、そういった理由で探そうとしたというのは、極端な解釈かもしれない。

 そうこうしているうちに、柚木は何とか芙蓉の行方を探し当て、芙蓉の勇者部入部の勧誘を断るところで、第1話は幕を閉じた。芙蓉の性格が一番出ていたのは間違いなくこの場面だと思う。最初は高々と世界の真実を云々とか言っていたが、実は小心でややポンコツだったということである。この辺りは今後ファンの間で創作のネタになるのだろう(既になっている)。あんなデカい口叩いておいて、最後に「ふええ?」はズルいだろ。

終わりに

 さて、ここまで第1話について長々と振り返ってきたが、個人的な疑問点として残った部分は以下のようになる

(1) 芙蓉友奈の過去

(2) 柚木友奈の父親がはやくにいなくなった理由

 この物語は、基本的にこの二人が世界の真実に迫っていこうとする、といった内容であると思うので、この時点で深く考えこむことはないと思う。とはいえ、今後の物語の行方に関わりそうな事項であるので、次回以降でも注目していきたいと思う。

 他には、近く四国全土において地名の変更がなされるといった部分も、気になる方はいたのではないだろうか。本話の中では、その明確な理由については示されなかった。他のシリーズの内容を考えると、「戦争の記憶を風化させる」といった理由が思いつくが、中々これだという見解は思いつかなかった。

 「乃木若葉の章」において、天の神と和睦した人類は、水面下で反攻の準備を進めることとなった。それは、当然ながら天の神に察知されてはならないだろう。表向きは天の神に完全な恭順の意思を示すため、勇者が戦った痕跡は全て消し去ろうという行動に出る可能性もある。その一環として、地名の変更に及んだのかもしれない。

 この作品に触れてきたファンの人々は、「結城友奈」のストーリーを通して大赦という組織が極めて隠蔽的な体質であることを知っている。そして、「乃木若葉」の物語を読んで、それがやむを得ないことであることを知った。統治する側には統治する側の行動原理があるのである。

 しかし、民間人からすれば、いきなり四国内に住処を限定され、大赦がことを管理して、といったような大規模な変化を理由も示されずに行われれば、これはどういうことか、となってもやむを得ないだろう。勇者の戦いを知っている者がいる時代はいいが、それが時代と共に少なくなり、やがていなくなる。戦争を知らない者は、この特異な環境に疑問を抱いてもおかしくはない。我々人類の歴史においても、秩序が大幅に変化した直後の時代というのは、その体制に疑問や反感を抱く者が少なからず現れることが多いと思う。

 第1話を読む限りにおいては、確かにこの物語は単体でも十分読むことができるのではないかと思う。基本的には芙蓉と柚木の青春の物語であり、終末戦争があったという情報はあっても、彼女たちの行動原理に勇者たちの戦いの情報は全く必要ないからだ。しかし、乃木若葉ら初代勇者、大社の中の人間たちのストーリーを前提知識として頭に入れておくと、この物語をさらに深く読むことはできるかもしれない。

 最後になるが、個人的に「勇者であるシリーズ」の真骨頂は、「世界を多様な視点見れること」であると思っている。もちろん、ストーリーの柱になるのは、実際に敵と戦う勇者たちである。しかし、世界を統治する大赦の人々や今回のような民間の人々、勇者と大赦の間を取り持つ巫女たちなど、同じ世界を生きる他の人々の姿を描くことで、この作品はより深みを増しているのではないかと思う。

 これらの物語は、「おとぎ話」であった勇者たちの物語を、側面から肉付けしてよりリアリティのある姿に仕上げていると思う。乃木若葉の物語がとても残酷に映るのは、彼女らを取り巻く世界の人々の姿まで(決して綺麗な姿ではなく、醜く感じられる部分も含めて)描いたからである。今回の物語も、単体で十分楽しめる内容であると思っているが、このシリーズの一ファンとしては、やはり前後の世界のことまで考えながら、次回以降読み進めていきたいと思う。

 以上が、第1話を読んで思ったことである。気づいたら8000字近い感想文になってしまい我ながら驚いているが、かえって読みにくくなっているかもしれない。その点についてはお詫びしたい。今後も読了後の感想を綴っていきたいと思うが、次回以降はここまで字数が多くなることはない…と思う。

 本作の世界が生まれるキッカケとなった物語であり、「勇者であるシリーズ」全体の原点にもあたる。もし読んだことがなければ一読してほしい。

  第1話の全編はこちらから読むことができる。執筆をされた朱白先生のインタビューも掲載されているので、もし物語に触れずに本ページにたどり着かれた方は是非読んでみてほしい。「book walker」のサブスクリプションでは、若干安い価格で電子版を毎月読むことができるので、併せて利用されてみてはいかがだろうか。

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