起きる目的

私は大抵、理解されない環境で生きていたことが多かったのであった。
「弁明をしなくては」というのと、
「誤解されることへの反発心」などがあり、それが私の目的のひとつだった。
いままで負の力で朝起きていたのか、と気づいた。
「快活さ」で起きるには動機として足りなかったってか。でも朝は綺麗、である。

今年はもっと別の理由で起きたい。