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『ALTER EGO』というゲームをプレイしました。


私はMBTIなどで自分のことはそこそこわかっているだろうと踏んでいたが、まだ死角というか浮上してなかった部分があるものだな、と唸った。(耳が痛い部分も多々あった。)
そしてノベルゲーム全般、私の場合、設問とか会話に答える時(選択肢を選ぶ時)、自分の中から社会性がぽっと現れると気づいた。非現実的な選択はできないというか。

私はプレイ1周目、「the end of super ego」だった。スーパーエゴって聞き覚えある用語だったけど、ああそういうことだったのかと擬似とはいえ体感として解った。


たしかに学校等は規範と同化することで私はその時期を生きのびた。鷹揚になれなかったし、反抗する力とか知恵に欠いていた。

規範と同化すると、顔面が凝固して、体も凝固する。位置関係とか例えとしての「壁」というより、体の感覚も壁になるという感じだった。なんなら今も場合によって、壁の癖がでる。


これは関連あるかどうかわからないが、一緒に想起されてしまったので書き添えておく。
私が学生時代に「川を渡る女」という心理テストがあった。L子、M男、H男、船頭S、船頭Pなんかが出てくるやつ。(今もあると思います。てきとうに調べてください。)私はそのときM男に一番シンパシーが沸いた。でもL子が好き(一番共感する)っていう子に、M男を選ぶとか人としておかしいんじゃないか、みたいなことを言われてややショックであった。
このときシンパシーが沸いたのってたぶんM男はモラルによって、L子のことを幻滅しなくてはならなかったからそれが不憫だったからとかそういうことなんじゃないか。壁にしかなれないM男に自分を投影していたのかもしれない。今思うと。