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教皇来日につき、宗教観に関して内省

この十字架とプレートは高校時代に作ったもんですね。実家の俺の部屋だったところにまだ飾ってあるんですけど。プレートがなんなのかってこれはラテン語の歌。躊躇わず弦を鳴らし悲しみを歌え、とか書いてある。

これらはこのよーにドアの内側にかけてある。全景。

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で、こうしたところで俺がクリスチャンだったかというとそうでもなく、当時聖書すら読んでおらず(持ってすらおらず)、いわばファッション的に十字架が好きだったというけしからん話だったんですね。

しかし憧れはあった。自分にとって未知の知恵の結晶として、なんかすげえんだろうなあ、とボーッと思ってたと記憶する。家が宗教から遠かったもんで、ほとんど何の教育も受けなかったですね。やるなら自力でやるしかなかった。

長じてのち、参考テキストとして世界各地の様々な信仰を調べる必要が出た。そらもう様々、聖書の注釈から、ユダヤからヴェーダからイスラムからと文献を集めて調べて、まあ調べてからの作業自体は失敗したんですが、なんだろう、そのとき信仰を持つに至らなかったのはどうも不思議である。

今現在、結局は神道をメインに奉じて仏教も少々、くらいの信仰で生きてて、キリスト教からは遠くなっちゃってて、でも聖書は読もう読もうと思っておるところ。旧約の途中で挫折したままで。

と、映画『パッション』とかすごかったですね。福音書のラストのほうを映像化したやつ。まだありありと覚えておるぞ、あの祈り、叫び。

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