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“『ワガママ』は全てが間違いではない”

昔から教育の中で『ワガママ』という言葉・行動は、
凄く否定的な感じを受けてきました。
私自身も『ワガママ』これはダメだという固定観念を強く持っていました。

しかし、子供達の成長過程で時には大事になる要素を持っている事を、本日は配信したいと思います。

私は小学2年生から野球を始めましたが、『ワガママ』にプレーをして誉められた記憶がありません。
例えば監督からのサインではなく勝手に自分の思いで盗塁をすると、
「コラッ」と監督から酷く叱られ、
『ワガママ』なプレーをするなとよく言われたものです。
種目や場面は違っても、団体スポーツには良くある光景だと思います。

この教育は果たしてどうなのでしょうか?

特に子供という全てにおいて成長する時期に、自分の思考や思いを『チャレンジ』する事って本当にダメなのでしょうか?

私は『ワガママ』にも
良い『ワガママ』と悪い『ワガママ』が存在すると感じます。

・悪い『ワガママ』
生きる上で人様に迷惑や嫌な思いをさせる
『ワガママ』は絶対にあってなならい。
そう言った行動・言動があった場合は教育者・周りの大人達がアドバイスするべきである。

・良い『ワガママ』
自分の夢や目標に向かって、自分の思い描いた事や想像をチャレンジする事・取り組む事は大いに良いと思う。
しかし、その行動・言動が人様に迷惑を描けているようなら教育者・大人達のアドバイスが必要である。

上記のように『ワガママ』1つにとっても区分され、
教育者がどれだけ理解をして、1人1人の子供達に合わせた『ワガママ』を与えらるかで、子供達の未来が大きく左右されると思います。

私も以前監督を努めていたチームでも、
良く言っていたのが、、、

「練習試合や練習は、良好なワガママでプレー・練習はOKで自分自身を最大に伸ばそう」

しかし、、
「1年間に2回ある全国大会の予選だけは、日頃お世話になってる人様・チームメイトの為に尽力を尽くし、誰かを支え・誰かの為に行動しよう」

そして、、
「1年を通して【人】という字を作りあげよう」とよく伝えたのです。

そう伝える事によって子供達は子供達なりに理解を深め、『ワガママ』を成長に必要な栄養素としてくれました。

ですから、教育において『ワガママ』という言葉は、時には子供達を伸ばす事を皆様にもご理解出来ればと思い配信させて頂きました。

『子供達の未来がもっともっと明るく』なる事を
心から願っています。

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