バラエティディレクターの僕が千葉県房総地域にボランティアに行った話〜当日編②〜
「今年やり残したことが無ければ吉」
なんて占いの結果が出ていればすぐに書くのですが、
締め切りのないものほど、おざなりになるものはありません。
そんな訳で締め切りのない日記、最終章です。
館山を出て南房総市に向かう。そこには今までの道中ではあまり見なかった光景が広がっていた。
屋根が吹き飛ばされている家、その上に青いビニルシートを張っている家もたくさんあった。なので、遠くから見ると青い屋根ばかりの集落がある。
国道沿いで見かけるような看板は吹き飛ばされたり、折れ曲がっているものがたくさんあった。これが飛んでくることを考えると天気予報で「不要不急の外出は控えるように」という意味が容易に理解できる。
トンネルをいくつか抜けると、ビニルシートが見るも無残に飛ばされて骨組みだけが残っている畑がたくさんあった。1年かけて育てた作物が一発でパーになる。僕らの仕事でも編集していたデータが消えることはあるが、だいたいバックアップを取っているので大事に至らないことが多い。でも農業はそうはいかない。
情報を集めた結果、水などの配給をやっているという南房総市白浜コミュニティーセンターに立ち寄ることにした。水をもらいに来る人が集まるところで炊き出しをすれば、色々な人に食事が行き渡るのではと思ったからだ。
この街ではかなり主要な施設のようで、NHKや日本テレビの記者やカメラマンも来て取材をしていた。さらに、自衛隊も来ていて被災した方々のためにお風呂を作ってくれているという。
施設の責任者の方に事情を話して、炊き出しの準備をする。
働いているのはみんな一緒なのだからと、自衛隊の方や記者の方にも「よかったら食べてください」と声をかけたが誰も食べなかった。たぶん、現地に行ったら食べ物や資源に手を付けてはならないというルールがあるのだろう。「ボランティアに行くときの注意点」なんていうサイトにもよく、そんなことが書かれている。そんなわけで、僕も東京のコンビニで食料や飲み物を買っていた。
「店」を開くと、ちょうど物資の供給時間らしく人が集まってきた。だいたいの人が車に乗ってここに集まっている。やはりこのあたりの足は車で、それがないと生活しづらいのだろう。
「あったかい食べ物食べるなんて久々」なんて言われて物凄く嬉しかった。僕も冷たいロケ弁より温かい牛丼の方が嬉しい。だから何日も冷たい食べ物で過ごしていたら、ひもじい思いをしていただろうなと思う。
「twitterを見て来ました」という人もいた。
僕のフォロワーは7000人にも満たない。それでもこの情報を必要とするひとに届けばと思い発信した。そうしたら本当に届いていた。twitterやっててよかった。
「家にいるおばあちゃんの分も貰っていっていいですか?」どうぞどうぞ。ぜひお願いします。
よく「学校とか避難所ではなく、そんな場所に行けない人に行きわたるようにしてください」とtwitterでリプをくれる人がいる。気持ちはわかる。
気持ちはわかるけどそれでは沢山の人に届けることができない。こういう時こそ地元の人々が助け合ってもらうしかない。こんな有事に備えて、ご近所の方のことを知っておくべきだと思う。
一瞬でテント立てる自衛隊はすごい。
炊き出しをしていると、作業着を着たシニアな議員さんが数名、ドカドカとやってきた。「ここは物資が充実してるなぁ。よかったよかった」なんて言っている。おそらく視察に来たのだろう。
本当によかったのか?
街のリーダーには若い人がいるべきだと僕は思う。実際のところどうなのかは知らないし、もしかしたら若い議員さんがいるのかもしれない。もしSNSを駆使できるような若い議員さんがこの街にいたら「街が大変なことになってます。支援をお願いします」と発信できたかもしれない。「ちょっと車を飛ばして東京のメディアに現状を伝えてきます!」と行動してくれたかもしれない。(県知事が散髪で東京に行けるぐらいなんだから、2時間 車を走らせて行動することはできたはず)それがあったらニュースで報道されていたような何日も惨状が報道されずに、市民の生活が困窮することはなかったのではないだろうか。
僕は別に報道の記者でもないし、ただの元千葉県民としての意見だけど議員にはベテランも若手も必要だと思う。それぞれ得手、不得手があるはずで、若い行動力のある人が違う目線で働いてくれることが大事なんじゃないか。市民がシニアの方が多いから街のリーダーもシニアの方が選ばれやすいかもしれないけど、若い人もきっと必要だと思います。
休憩中に街を歩いてみたら、パチンコ屋さんが営業してた。
どうやらここは電気が来ているらしい。「こんな時ぐらい・・・」と思いがちだが、災害時にパチンコ屋さんが営業する理由には実はこんな理由があるそうです。
確かにトイレとかあるから助かるよね。
そもそも、僕は何でも自粛する風潮はすごく嫌いです。この議論はまた別の機会にします。
ちょっと歩いたらすぐ海が見えました。この日は穏やかでした。
15時過ぎには用意したカレーが無くなって終了。
その後、2箇所に物資を届けて、ボランティア終了。
あれからもう三ヶ月も経った。
おそらくこうしている今も避難生活を強いられていたり、生活が元に戻っていない被災された方がいると思う。
もう被災者の生活よりも、首長の責任問題しかニュースで報じられなくなってしまった。去年とは違う年末年始を過ごされることになっている方々には心よりお見舞い申し上げます。
千葉県出身だから何となく力になれることがないかということで動き始めたこのボランティア。とにかくやらせていただいて本当によかったと思っている。自腹以上の貴重な経験をさせていただいたし、またみなさんが笑ってテレビを見られる日が来たらいいなと思う。そのテレビ番組が僕が作っている番組ならなおいいなと。
僕は元めちゃイケのスタッフだが、めちゃイケも「頑張ろう東北」企画を毎年のようにやっていた。そのマインドは今も忘れてはいけないと思っているし、何かを教えられたわけではないが出来ることは小さなことでいいからやっていきたいという気持ちがある。またこのような規模のことはなかなか出来ないと思うが、もしその時が来たら何かはしていきたいなと思います。
絶対に年を跨ぎたくないという思いで、年の瀬のテレビマンが一番忙しいこの時期にやっと書き終えることが出来た。何なら明日は特番の収録だし、M-1を見終わって高ぶった状態で後半は書いてしまった。気が向いたらまた加筆修正していくつもりですが、とりあえずはこれでおしまい。
また何か書いたときはよろしくお願いします。
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