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SONIC MANIA 2024

記録です。

🔹出発
台風7号目下接近中、まあ京葉線なぞ使い物にならぬだろうと早々に見切りをつけ京成に乗車、幕張本郷からのバスに望みを託す。まあ、それほど雨風強くなかったわけだが。初めてのソニマニ、客層がサマソニよりもウェイだ…と不必要にビクつきながら20分、幕張メッセに到着。雨に打たれながらチケットを交換、ロッカーに荷物を預けいざソニマニ。(開場20分もしなかったと思いますが入り口入って右側の通路、壁際のロッカーはほぼ埋まってました。)

🔸サカナクション
遥か彼方昔の話、年末のフェスで観て以来のステージ。複数のアルバムやコロナ禍、山口一郎の療養などを経て「復活」を遂げた彼らのライブへの期待値は言うまでもなく高かったわけだが、それに十分見合うものを届けてくれたように感じている。「Ame(B)」から幕を上げたライブはオリエンタルなムード漂う「陽炎」を経て筆者の中高時代のアンセム「アイデンティティ」へ。パンパンのマウンテンステージは寸分の狂いなく一斉に自我同一性の喪失を憂い、山口の問いかけに呼応する。よくできたモンだよ全く。静止したバストアップがどんどんと中心へ向かっていくVJは、シンプルながらもこの曲を巧く引き立てていた。続く「ルーキー」。この2曲をシームレスに繋げる手法は彼らお手のものであり、また私が待ち望んでいたものでもある。どこまでも伸びる緑のレーザーに竿メンバーたちのフロア、そうそうこれこれ!「Aoi」の実直で淀みのない構成や編曲、「ホーリーダンス」の言葉遊びに心酔しながら気づけば舞台はクラフトワーク仕様に。「バッハの旋律を夜に聴いたせいです」、「ネイティブダンサー」とかなり手の込んだリミックスはその曲の新たな可能性を提示し、「ミュージック」の後半部ではそれまでの抑圧を中高時代の記憶と共に解放してくれた。「夜の踊り子」からは再びバンドスタイルへ以降、「新宝島」でトドメ。煌びやかな「忘れられないの」を置き土産に、サカナクションはステージを去っていった。

実に彼らは、よくできた曲を多く作るなとライブを見ながら感じた。ロックミュージックが言わずもがなその土台ではあるが、続くアンダーワールドよろしくテクノであったり、歌謡のニュアンスも必要十分に織り混ぜ、皆でシンガロングするにも一人クラブで踊り明かすにも適した楽曲を組み上げる。対10000であれ1であれどんとこい!といった感じ。この守備範囲の広さを持つミュージシャンは、なかなか出会うことは出来なかろう。

🔹UNDERWORLD
かつてそのカタログには全て目を通したもののあまり印象はなく、家を出る前におすすめプレイリストを一聴した限りで全くもって詳しくない。というよりこれから下そんなミュージシャンばかりなので文字数激減しますがご容赦。そんな私がborn slippyを除き唯一曲名まで覚えていた楽曲「two months off」からライブがスタート。聴けたらいいな〜程度に思っていた曲がド頭なんて、この瞬間が私のソニマニのピーク。テクノとは、メロディ、音色、リズムなどそれぞれの要素を洗練し尽くした至高のフレーズ探しゲームだと考えているが、筆者の思うそれがこのtwo months offである。ああ、これさえあればそれでいい…と思わせる地力がこの曲にはあった。続く「dark & long」、「pearl's girl」なども手法こそ同様だが、two months offを超えることはなかった。正直オープニングで喰らいすぎてしまい、予習も不十分であったためそれ以降の印象が薄い。VJカッコいい…スモーク焚きすぎ
…ナインインチネイルズみたい…と漠然とした感想ばかりだ。そんな筆者でも流石に「born slippy nuxx」には打ちのめされた。あの和音が鳴った瞬間に感じた「救済」とも表せる心の高揚感を忘れることはない。

この後ソニックステージへ移動、フランスの至宝PHOENIXを後ろから眺める。the 1975にfoster the people足してfoalsで割ったみたいなバンドだなあという印象、きっと好みなんだろうと思うなど。

🔸坂本慎太郎
サカナクション、underworldとコテコテ電子音から打って変わって生楽器の響き。ひとえにバンドの演奏が上手すぎる、それに尽きる。おそらくSEはなく、あったとしても打楽器など最低限のものだと思うが、たった4人であのグルーヴ。マジか。フレーズに隙間はあるはずなのに何故かそう聞こえない。ドラムの細やかなフィルやゴーストは見事なもので、太く堅牢にしてしなやかなベースと共にボーカルを支える。坂本の歌唱は至極のびのびと、いい意味でその密度を感じさせず会場全体を包み込んでみせた。楽曲によってはサックスやドンキのチキンなども登場し、一見遊んでいるような、しかし観客を引き摺り込む存在感を発揮していたのが印象深い。ゆらゆら帝国後のキャリアと地続きであるように思えるが、決して過去の成果の焼き直しではなく現在進行形であり続けんとする彼の演奏を見れたのは良い体験であったといえよう。照明とあわせ、極めてサイケだった。

次のアクトまで座りながら本を読んでいると中高時代の同級生と再会。話すと自分と同じステージを見ていることが判明した。元気そうでよかった。

🔹cero
ステージ上人多。lcd sound systemかよ。ヒップホップやソウルなど、総じてブラックミュージックの雰囲気を感じたステージであった。ボーカルが時折フルートを演奏していたが、その細く鋭く、尚且つ柔らかな音色は効果的な側面を保ちながら浮いており、楽曲と演奏をギュッと引き締めていたように思う。それぞれが早急でテクニカルなプレイを披露していたわけではないがかといって演奏が容易いわけではないし、むしろ超ハードだ。縦は縦、横は横、両方のノリを演奏者たちが細部まで共有することによって生み出される極上のグルーヴがそこにはあり、楽曲を知らずとも自然と体が揺れた。この編成のキーポイントとなっているのはパーカッションパートであり、生ボンゴ、生コンガの弾ける音色は最小にして最大のマテリアルである。随所に私の好きなtalking headsの面影も感じられ、多幸感に溢れるライブであった。

この後testsetのステージをちょっとだけ見て、海浜幕張駅の始発待ち列を横目に30分歩き京成幕張から電車に乗って帰路に着いた。疲れた体に松屋の牛丼は沁みた。楽しかったです。



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