チーズ牛めし大盛
BUMP OF CHICKEN TOUR 2023 be there
行ってきたよ〜〜〜〜ん
レポとか備忘録と呼ぶのは憚られるので感想集とでも題しておきましょうか、まあなんだっていいですどうせ自分しか読まないので。
0:SE(アカシア)
この日Shazamが全く機能せず、ようやっと認識できたのはアクモンの5枚目だそうで、ハァ〜流石はアレックスターナーですなぁとか思ってるうちに暗転。これまでの歴史を顧みればツアー用の登場SEを制作するのはザラにあったし、しかし今回は彼らの言葉でいう「引っ提げないツアー」に当たるのでやっぱthe whoなのかな〜と思っていると鳴り響いたのはグロッケンのアカシアイントロフレーズ。こりゃ斬新。去年開催された単発ライブsilver jubilee及びその続編のライブハウスツアーよろしく、ライブの一曲目を飾ったのはこのナンバーであった。ど頭にこの曲を据えた意図は、後々判明していくことになる。いつも通りドラム升からの登場。さあ自分のセットにつくかと思えばこれもまた驚き、なんと花道を闊歩してくるではないか。早い早い。pathfinderの時でも三曲目のrayだったし升に関してはメインステージに取り残されてたでしょアンタ。増川、直井と後に続く。恥ずかし島スタートだなんて、10年あればパフォーマンスも様変わりだなぁ…と勝手にしみじみしているうちに藤原登場。その歓声は一際大きく、このライブの本質を如実に表していることを、振り返った今思い知らされている。イントロのフレーズが鳴り続ける中各々その愛器たちの感触を確かめる彼ら。掲げられた藤原の代名詞は1万人の視線と照明を一点に集めおよそ2時間に及ぶライブの開演を告げる。そうやって始まったんだよ。
1:アカシア
上述の通りループのSEに続けて。去年のライブに参加した際にも感じたことだが、なんとオープニングにふさわしいナンバーであろう。コテコテのJ-POPアレンジからかすかに見え隠れするギターの存在は、これほどまでの実力と知名度を有する彼らが秘めるロックンロールの現れだろうか。前日にバンドは27歳の誕生日を迎えたわけだが、現在進行形で彼らの完成形を彼ら自身の手でブラッシュアップせんとするその姿勢には頭があがらない。実際彼らは自らをどんなジャンルに分類されようともなんとも思わないであろうが、新たな方法を模索し続ける彼らの姿勢に、私はロックを感じざるを得ない。2番Aメロのフレーズ、聴くたびに涙腺を刺激するが今回はどうにか耐えた。有明アリーナは東京オリンピックのバレーボール会場として設営された経緯がありその客席はスポーツ観戦に特化したものとなっている。つまりは高くて急。これがジャニーズでいう元カレシート的なサムシング…と思いつつも自分で選んで買ったのだから特段悔いはない。なんなら腕輪の光を眼下に見下ろすことができエンタメとしては十分なクオリティであったとこの一曲目で思い知らされる。
2:ダンデライオン
2016年のライブぶりであろうか。爆速カントリーと称するのはいささか乱暴がすぎるが、忙しないドラムと駆け抜けるギターフレーズが特徴のナンバーである。そこのお若いの、昔はそれも藤原が弾いておったんじゃぞぉ。ずんじゃかずんじゃかアップテンポでオケは進むが、その歌詞は思いの外シリアス。2番でライオン死んでるしな。にしてもこの藤原という男、この尺でストーリーを展開させるのがまあ上手い。月並みな表現だが、出会いと別れ、孤独と共有、絶望と希望etc、およそ3分の曲で全てを「タンポポ」というアイコンに集結もとい終結させるその手腕、そしてこれがメジャーデビューアルバムに収録されているという事実、開いた口が閉まらぬどころか顎外れるわ。その物語調の歌詞から、まるで一冊の絵本のような、簡単でそれでいて読み聞かせる大人がなんやええこと言うてはるやん…としみじみ心打たれてしまうような、ギャップがすごい曲。黄色に灯るpixmob、綺麗だったな。
3:天体観測
なんか近年だいぶ序盤に披露されてない?それもバンドがこの曲一点突破する(というよりもファンにそれを望まれる)必要がいい意味でなくなったからだろう。もとよりこの曲が他のカタログとあからさまに異なるリプライを受けることに異を唱えていたりもしたが。正直そこまで熱心に聴いてきた曲ではないというか、BUMP好きな人ほど天体観測は別に…な人って多いんじゃない?それはそうとして名曲という事実は揺るがない。ハーモナイザーを駆使したイントロのアイコニックなフレーズは何度聞いても心の昂りを抑えられない。発表当初はその音色がもう少しハイに寄っていた気がするが、20年の時を経て正当な進歩を遂げたと言えるだろう。無論これはギターサウンドのみならず藤原の歌声、ひいては所謂邦ロック全般に言える進化の傾向であるわけだが。Galileo Galileiの解散ライブとか再録のリライトとか聞いてほしい。みんなミドルが豊かになってる。この曲を披露する際の手法として藤原が多様するのが所謂古のフレーズのリハという流れ。オーイエーヘイアハーン!を歌わせてから升のハットというお決まりパターン。昨年開催されたライブでは無論観客が歌うことはできなかったが、規制が緩和された本ツアーでは皆高らかに歌い上げる姿が印象的だった。本音をいうとさあみんなで歌おう!的なアレンジはそこまで得意ではないのだが、ライブのライブたる瞬間が感じられるというのも事実。今後この規制がどうなっていくのかこちらとしては計り知れないが、ひとまずこうして演者と観客がリアルタイムにコミニュケーションを取れていることに一抹の感動を覚える。
MC1
三曲目が終わった段階でメインステージへ移動。へえあのサブステ上下すんねや…。藤原が諸々の挨拶をするのはもう定番化しているようで、直井のかつての饒舌ぶりを知っている身からするとなんだか少し寂しくもある。藤原の口からは規制緩和以前と以後のパフォーマンスやその反響の違いが語られていた。流石藤原と感じたのは、別に歌いたくなかったら無理する必要はないという趣旨の発言に対してである。アカシアの歌詞からも読み取れるように、彼は全肯定の男、藤原なのだ。この姿勢が今の私の思考回路及び対人関係の根本を形作っている。ちなみに余談だが、筆者の「BUMPのライブ行くとボーカルのヌケが極端に悪く聞こえる」問題は今回も解消されていない。あれマジでなんなんだろう。ハットとか諸々の楽器の波が藤原の帯域と打ち消しあってんだか覆い被さってんだか、素人ながらに考えたりするが改善策が浮かばない。誰か情報提供求。
4:なないろ
MVクソダサ案件。紅白が別撮りだったのいまだに根に持ってる。この辺りで、昨年の25周年ライブから地続きの内容になっている予感が漂う。歌詞前半に登場するヤジロベエは「同じドアをくぐれたら」の天秤を彷彿とさせ、藤原という男がこれまで多種多様な作風に挑みながらもその本質は一切変貌を遂げていないことを改めて思い知らされる。歯磨きとか洗顔とか、朝とか夜とか、昨日とか今日とか主人公の手の届く範囲、記憶や経験に基づく事象に触れながらそこに銀河というエッセンスを取り入れる作詞、それでいてその単語を飛び道具的な役割ではなくああそうだねと頷ずかされてしまう説得力は、BUMPもとい藤原の持つ強力な武器なのだ。「思い出すと寂しいけど思い出せないと寂しいこと」という一見理解が難解なフレーズは、きっと歳を重ねれば重ねるほど重く暖かいパンチラインになるのだろう。21の段階でまあまあ重いが。人生は地続きで不可逆性を持っているし、1の次は2と決まっている。2は3になり4になり、10を迎え20に代わり、どれだけ抗おうと後退を許さない。決して年齢に限った話ではなく。そんな世界の理に正面から向き合い、それでいてその事実に悲観することはないと教えてくれるナンバーである。間奏のSEはいくらか控えめになっていた。
5:透明飛行船
最近COSMONAUT期の作品には喰らうことが多い気がしている。一番の秋元康的な歌詞から一転二番では暗く深刻な、読むたびに心が削げ落ちるようなストーリーが歌われる。今歌詞改めて読んでるけどすっげえなこれ、暗。その言葉遣いのそつのなさが故一聴して気づくことが少ないが、だいぶ踏み込んだことを述べている。誰にでも経験のあることを誰にでも伝わる言葉で表現するって、なかなか難しいのでは……?同じ数直線上にいる主人公なのかはたまた遥か彼方天の向こうから語りかける存在なのか、過去と現在を照らし合わせながら曲は進む。内省的な解析と対比、主観と客観を織り交ぜ現状を把握し、最後には新たな指針を定める。彼らの音楽が数えきれない人々を救っているのはこういった点に端を発するのだと感じている。じっくりと歌詞を読み返したくなる。そんな曲である。聴けてよかった。
6:クロノスタシス
正直ライブ映えしない曲という印象がある。コテコテJ-POPアレンジの極地に位置するような建て付けが特徴的で、生演奏との噛み合わせはなかなかイマイチ。もちろん楽曲そのものは一級品で、タイアップとしての存在感も十分であろう。今回のパフォーマンスではおそらく昨年のライブでは見られなかったギターのアレンジが追加され(違ったらスマソ)、どうにかこうにか曲そのものの重心を下げようと試みていたように思われるが、それがあまり効果を挙げられていなかったように感じられた。このナンバーはソカやカリプソに起因する裏拍を強調するビートが際立っており、彼らのアレンジのまた新たな境地を見せられた。はい、宇多田ヒカルの道の解説でTSUTAYA氏が仰っていたことをしたり顔で引用させていただいております。前回は升のドラムパッドの不調でビートの精彩さが不十分であったが今回はそのようなアクシデントに見舞われることもなく、中盤に差し掛かろうというライブの中エンジンが暖まりつつある藤原の伸びやかな歌唱に目を、いや耳を奪われた。しかしながらその非J-POP的なリズムとミドルテンポが故アリーナの盛り上がりはそれほどでもなく、今後披露の頻度は著しく低下していくのではないかと私は見込んでいる。
7:Small World
一番待ち望んでいた楽曲が早くも登場。リリース以降のパフォーマンス頻度やコラボグッズの発売など、まあ演るでしょ…とは思っていたがちゃんとやってくれました。この曲をふと聴き直し、自然と涙が溢れる夜を超えてきました筆者です。みなさん小さい頃抱いていた将来の夢とか覚えてますか?僕は整体師です。腰が悪かった祖母を元気にしてあげるんだ!と意気込んでいた4歳、そこから夢は移り変わり新幹線の運転手、車掌、ピザ職人、刑事、小学校の卒業文集には教師になる!と息巻く私がいました。それが今はどうだね?そーでもない大学のそーでもない学科に籍を置くそーでもない大学生である。別段、この曲は将来の夢などという壮大なスケールを描いている訳ではなく、そのテーマはもっとシンプルで近くにあって、そして誰にでも当てはまるものだろう。なんならサビで「僕らにはひとつも関係ないもの」とまで言い切っている。この世に生まれ落ちた時点で他者との関わりを付与される我々にとって、何を重視すべきかということをこの曲を聴いた人間は考えさせられる。そしてその答えはその人によって異なり、またその事を許容できる歌詞こそ藤原のなせる技の究極である。
8:魔法の料理〜君から君へ〜
おぉ意外。COSMONAUTはやめてくれ、俺に効く。いつもそうだが、過去と向き合う場面が普段より多い気がするこのアルバム、筆者自身、リスナー自身の深層心理に溶け込み内側からじんわりクるものがある。NHKみんなのうたにも採用された実績があるこの曲が切り取ったのは何気ない家族の食卓。「正義のロボットの剣で引っ掻いたピアノ 見事に傷だらけ こんな筈じゃなかった」という歌詞、筆者はここに対人関係へのメタファーを感じずにはいられない。後ろに「大きくなるんだ伝えたいから 上手に話して知って欲しいから」とまで書き加えられてはもうそうとしか思えない。まだ子供だったあの日の、経験値の低さや語彙の乏しさ、それなのに降りかかる脅威とそれに対する防衛本能、人はそうして成長していくという筋立てを至極簡単な言葉で説いてくる。この時確か30歳。なんてこった。「期待以上のものに出会うよ でも覚悟しておくといい」。この世に数えきれぬほど散見される「がんばれ!!!!」系の歌詞ではなく「覚悟しておくといい」と言い切る勇気。冷めている訳ではなくあくまで冷静、無責任な激励よりもその方がありがたい。なんというか、襲いくる責任の片棒を少し担いでくれているようなイメージ。経験者は語る…的なニュアンス。こんな、文章にしてもイマイチ伝わりづらい思考を美しいメロディーと豊かなアレンジに乗せて伝えることができる藤原基央30歳、恐るべし。
期末レポート一個分の文字数になってしまって、筆者の執筆速度だとリアルに春休み終わりそうだから一旦ここでパート1っつーことで締めさせていただくわ。もうこの時点でライブ行ってから一週間経ってますしね。結論何書いてんだかよくわからないことになってますが、まあハイこんなことがあってこんなこと思ったよーという日記みたいなモンですね。セットリスト的にいうとこれで半分……?果たして私は帰りのゆりかもめまで書き切ることができるのか、乞うご期待。
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