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マイ・ラスト・ソング

私は疲れている。いや、疲れていた。もう、生まれた時から疲れてるのではないかという位にこの数ヶ月重石を背負って暮らしているのかという程に疲れている。24時間戦えますかとうたうCMが頭で流れだす途中で「んなことできるわけねぇだろう!」と、現代人の私は思う。大好きなお酒がちっとも欲しくならない。こんなことではダメだ。

チケットがとれた日からこの夜を楽しみにしていた。
『マイ・ラスト・ソング』は、2008年11月から上演されている公演。久世光彦のエッセイである「マイ・ラスト・ソング」の内容を基に、 浜田真理子のピアノ弾き語りと、小泉今日子の朗読から構成される公演。(Wikipediaより)

2018年4月、東京はビルボードにて鑑賞して以来のマイラストソング。実に5年振り。浜田真理子さんの歌を初めて聴いたのは美音堂から2002年にリリースされた「あなたへ」が最初だった。当時、高円寺円盤(現在は黒猫)の田口(史人)さんが関わっており、気になって購入した記憶がある。
一聴しながら気づくと正座していた。「歌」を「うたっている」言葉を撫でるように、大切にしながら優しく放り投げるように。歌を聴きながら句読点が見える感覚は初めてだった。「あぁ、歌手だ。すごい歌手だ」本当に痺れ上がったのを憶えている。この人はどういう人生を送ってこられたのか、どうやったらこんなふうにうたえるのか、当時の私はとかく痺れてしまい、それからというもの、浜田さんがうたうのであれば大袈裟でなく、なんでも聴きたいと思うようになっていた。好きというより、自分の人生に必要な歌声に、歌手に出会ってしまったとさえ思った。
一方で、久世光彦氏の作る作品もエッセイも幼い頃から親しんでいた私は、小泉今日子さんと浜田真理子さんが『マイラストソング』という企画を始めたことを知った時、「あぁ、いつか行きたいな」と思いながら10年の歳月が流れていた。2018年4月に初めて足を運んだ時、私は「おい、きみ、大丈夫か?具合でも悪いのか?」と、隣で聴いていた知らないおじさんに心配されるほど、大量の涙を拭いながら聴いていた。別に、悲しいわけではない。勝手に涙が溢れてくるのだからしょうがない。しかし、何故、こんなに涙がでてくるのか。公演が終わる頃には憑き物が取れたみたいにスクと立ち上がり、会場を後にした。

あれから5年、この夜も大いに泣いた。泣くつもりなんかないのに。
久世さんの写真がステージ中央に大きく映し出される。小泉さんの朗読を聴きながら久世さんの写真をじっと見つめていた。浜田さんが「朧月夜」をうたい出した途端、私の意識はもうここにない。いや、あるんだけれど、歌の中に身を委ねる感覚というのか、浜田さんのうたう「歌」には余計な雑念も塵もひとつない。「おもいでのアルバム」が聴けるとは思っていなかった。
それから終演までの全曲、唇だけを動かし、一緒にうたいながらしみじみと泣いた。酒がすすむ。おぉ…酒が水のように飲める。
小泉さんの朗読がまた、お酒を深みのある味に変えてくれる。目で読んでいた文章が、こうして語られるとき、読んでいる時には気づかなかった言葉の強度が増す。小泉さんの声が文章をなぞる時にだけ、その瞬間もうこの世にはいない、もちろんお会いしたこともない、久世光彦氏の生身の温度が伝わってくるような感覚があった。marinoさんのサックスが加わってグルーヴが生まれると途端に歌は音楽に変わる。身体が動く。酒がまわる。
アンコール、「U.F.O」を踊る小泉さんがチャーミングで、当時、きっとテレビの前で一緒に踊ったりうたったりされていたんだろうなと思う程、その動きがなんというか、全く知る由もない幼い頃の小泉さんまで見えてくる瞬間があり、心臓がキュンとした。

涙を拭きながら、やはり今回も憑き物がとれたように身体が軽くなっていた。歌の中に意識が没入すると、無心で在れることを知る。歌が世情を映し出す鏡なのだとすれば、私は多分、この夜にうたわれたすべての歌にその時代を懸命に生きた人達の面影を見て、想像し、綺麗事だけではすまないことが常であるこの世のあれこれをいっときの間だけ、綺麗なまま見つめることのできる数分間に涙が止まらないんだなと、あれだけ疲れ切った身体も心も終演後には飲み干した数杯の酒と共に時間の彼方へ流されておりました。

「マイラストソング、私なら何を聴きたいかな。」
帰り道、考えながら電車に乗り、最寄駅に着いて、大ぶりだった雨も小雨に変わり、傘をさすのをやめて、ふらふらと歩きながらふと口づさんでいたのは、江利チエミ「わたしの人生」でした。







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