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天井裏から落ちてきた古文書

東日流外三郡誌という古文書を知っているでしょうか?

津軽地方を中心とした超古代東北王朝の史書とされています。

成立は江戸時代末期と比較的新しいものになっています。

原本は失われ、写本を明治になってから屋根裏に隠したのです。それを和田家の子孫が発見したのです。

神武天皇東征の際に大和地方で激しく抵抗した長髄彦と兄の阿鼻彦の子孫とされる東北の旧家、秋田氏の秋田孝季と婚籍関係にあった和田家の和田長三郎が、津軽地方の古文書や伝承、さらに全国を回り集めた資料を編纂したとされています。

昭和22年、青森県の和田家の改築中に天井裏から長箱ごと落ちてきたのがこの東日流外三郡誌の写本というわけです。

和田氏はその内容に驚愕して公表をためらっていたのですが、思わぬ形で世に出てしまいます。現在の五所川原市から「市浦村史資料編」として出版されたのです。

公的機関からの発行はかなりのインパクトで、その内容が中央政権に対する東北地方からの歴史的な反対理論を主張しているため、大反響となりました。

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長髄彦は、記紀では神武天皇に寝返った義兄の饒速日によって殺されてしまいますが、東日流外三郡誌では、古代の津軽地方には阿蘇辺族(アソベ)という自然と平和を愛する民族が住んでいたが、大陸からやって来た好戦的な津呆毛族(ツボケ)に征服されてしまうのです。そこに神武天皇に敗れた長髄彦と阿鼻彦が落ち延びてくるのです。津軽の住民と手を結び津軽王となった阿鼻彦は彼らの神であるアラハバキに因んで、アラハバキ族と名乗るのです。遮光器土偶はこのアラハバキ神の姿だとされています。

やがてアラハバキ族は大和朝廷に復讐戦を挑み、一時的に近畿地方を奪還するまでになりますが再び敗れました。その後は東北地方を長くにわたり納めたのです。阿鼻彦の血統は安倍氏へと受け継がれ、さらに安東氏へと繋がります。彼らは安東水軍として、十三湊という国際港を建設して世界的に活躍する海洋民族として名を馳せましたが、室町時代の大津波で壊滅してしまいました。

突飛な内容と登場の不自然な経緯もあって東日流外三郡誌は偽書だとされています。和田氏が骨董模造の専門技術者であることや自宅の天井裏には古文書を隠すスペースが無かったことがかなり否定された要因です。

しかし東日流外三郡誌の存在意義はこれまで歴史的に見て西日本より遅れていて少数民族が統治されないまま中央政権に従属する立場と考えられてきた東北地方が、実際には独自の文化を持つ国家だったということ。中央と辺境という固定された関係性の見直しをするいい機会を作ってくれたと思います。歴史は勝者によって書き換えられるというのは、どこにいっても同じなのか?

東北から見た歴史は従来の歴史学では見落とされてきたもう一つの真実ではないでしょうか?

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