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ほぼ30年ぶりに遠藤周作を読んでみた。

初めての遠藤周作

初めて遠藤周作の小説を読んだのは高校生の頃
同級生のT君が遠藤周作にハマっていて「海と毒薬」「あべこべ人間」とこの「沈黙」を貸してくれた。

その頃は遠藤周作の小説を読んでみてなんとなく「大人向けの小説って深いこと書いてるな〜」っていう普段は見ることのない世界観を感じるくらいだった。

なぜだか久しぶりに遠藤周作の世界観に触れてみたくなった。

ここ10年くらい思うところがあって心理学とかカウンセリング系の本を読み漁っていたのですが、「あともう一歩理解が深まらんな〜」と思っていたところ、とある勉強会で知り合いの社長さんに「心理学とか理解しようと思ったら哲学も勉強した方がいいらしい」と教えてもらって、自分でも「とりあえず哲学書って難しそうなので哲学っぽい小説を読もう」と考えてみた。
そこで
【心理学→悩み事→人生で迷うこと→考え方を変えるか変えないか】
と連想してみて「キリシタンが“踏み絵”を踏むか踏まないかの話」と行きつきました。

とりあえず買ってみた

そこで遠藤周作の「沈黙」
すごく簡単にいうと

島原の乱の後の隠れキリシタンと布教に来た神父さんが役人に捕まる話


前半のテーマは人間の弱さ

この小説に書かれているテーマはいくつかあるかと思いますが、その一つに「人間の弱さ」があげられるかと思います。
「人間の弱さ」をテーマにしたお話はたくさんありますが遠藤周作の描き方は結構好きです。
特に‘キチジロー’という登場人物の心の弱さが他の殉教していく人たちとの対比ですごく身近に感じることができた。
それに狡猾な役人の存在も それなりに社会で苦労した経験があれば 余計にリアルに感じることができる(最後まで読むとこの役人は結果的にはやさしいのではないかとも思えてくる)。


後半は

主人公の神父さんが捕まってからはその神父さんの心の葛藤が描かれてある。
葛藤している間はずっとその神父さんの視点は「神父として自分がどうあるべきか」ということばかり考えていたが
隠れキリシタンに対する拷問もこの物語の中では風景の描写でしかないのではと思えるくらいで
先に“転んだ”フェレイラ(元)神父との会話の中で段々とその考えが「人に対してどうありたいか」に変わってくる。




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