見出し画像

今週の聖書

『若者は言った。驚くことはない。あなたがたは十字架につけられたナザレのイエスを捜しているが、あの方は復活なさって、ここにはおられない。御覧なさい。お納めした場所である。』

これは、新約聖書、マルコによる福音書16章1節~8節の『復活する』という題名の中の1節です。

今日はキリスト教でいうイースター(復活祭)で、イエス キリストが十字架につけられて亡くなったのち、3日目によみがえられた日です。

クリスチャンにはクリスマスと同様、とても大切で祝福の時です。

上記の新約聖書の箇所を要約すると、イエス キリストに従っていた婦人3人は、イエス様が入っている墓に弔いのために香油を塗ろうと足早に向かったところ、大きな墓石は退けてあり、亡くなっていたはずのイエス様はおらず、墓の横にいた天使に、イエス様が復活されたと伝えられ、恐ろしくなり逃げたという箇所です。

ここで婦人たちは3つのまさかを体験します。

1つ目は、大きな墓石(1㌧)が動かされていたこと
2つ目は、亡くなったはずのイエス様が墓にいなかった
3つ目は、婦人(マグダラのマリア)の前にイエス様が実際に現れた

3つ目のまさかで婦人は、イエス様に会えたことに喜び、嬉しくて他の婦人や周りの人に伝えます。

そして、たくさんの方がイエス様のことを信じます。

ここで自分事に置き換えると、妻のお母さんのお祈りから、自分の弱さに気づかされ、そしてイエス様を信じるきっかけとなったように

その人の生活や人柄が信仰へと結び付き、なぜあんな風になるのかとの思いから、教会に繋がっていき、そして、イエス様を信じることとなる。

実際に教会に自分から行くよりも、第3者から伝えられたことによってより信じ、教会に繋がっていく。

どこに信じる要素があるかわからないよねと思ったことと、最善な時に信じる時が与えられるなぁと思った今日この頃でした。ありがとうございました。

イースターおめでとうございます。




よろしければサポートお願いします。 サポートについてはすべてエンタメに注ぎたいと思います。 また次のサポートのために使わせていただきます。 あなたのサポートが次のサポートに!連鎖をつなぐサポートの輪!!