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自由に

昼休みになると、唐突に思い出すことがある。

30数年前通っていた小学校は、わりと街に近い場所であったにも関わらず、その一帯は戦後あまり復興が進まなかったせいか高い建物が少なく、四方遠くにそびえるなだらかな山々がよく見えた。
その手前に新幹線の高架橋が長く伸びる。ちょうど真正面に駅があるためか、遠くから走り寄る新幹線の動きはゆるやかに映る。
給食を食べ終わって廊下に出ると、窓越しに新幹線が駅に滑り込もうとする光景がよく目に入った。
そして昼休憩のとある時間、毎日遅れることなく左右から同じ距離で同じような速度で走ってくる新幹線があった。当時だからまだ鼻先は愛くるしい丸い型だったのかもしれない。
あ、ぶつかる。と毎度同じことを思いつつ、しかし当たり前ではあるがそれらは静かに交差し合い、そしてまた当たり前のように別々の方向へ走り去って行った。

私はなぜだかその光景が好きだった。
そのクロスする模型のように小さな新幹線を見るために、わざわざ早く食べ終えることもあった。今で言う鉄道オタクでも鉄女、でもない。物体に興味があるわけではなく"遠くにいける"という鉄道本来の持つ意味合いに惹かれたのだ。小学校という鉄筋コンクリートから眺める我が身がどこか籠の中の鳥なのだと、ひどく気付かされる戒めにも似た気持ちがしたのだ。
彼らは囚われることなく行きたい場所へ向かう。あるものは東へ。あるものは西へ。私は一日中、この四角い建物から出ることも許されないのに。
子供心に"新幹線は自由で己は不自由"という対比は、いつの間に自分の中で位置付けられたのだろうか。

その時期は、人生の中でも確かに辛いことが多かった。学校での人間関係も閉塞感で息が出来なかったし、家族も病気で入院したりと少しナーバスだった。

私は一生ここから出られない。

などと子供特有の早目にきた思春期なのか、それともただの自己憐憫だったのか。ただ、今でも鮮明に思い出すことのできる、山の淵を削るように白く長いものが混ざり合い離れゆく光景は、私の希望に似た何かだったには違いない。

十分大人になった今では、新幹線は自由きままにあらゆる場所へ連れていってくれる便利なものに変わった。彼らが交差する瞬間に何の感慨も持ち合わせることもなくなった。
ただそれでもまだ、なんとなく心に引っかかることは何なのだろう。
果たして私は、どこまでも遠くに行ける自由な大人になったのだろうか。希望に似た何かとはなんだったのだろう。
もしかすると、肘をついて羨望の眼差しで彼らを眺めていたあの頃の私が一番未来を信じ、自由な心を持っていたのかもしれない。



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