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17歳でのアメリカ・シカゴ留学

みなさんこんにちは rinoです!

今日は、私が留学を決断した理由と留学中の生活や思い出について書いていこうと思います!

私の留学のきっかけは、両親からの強い勧めでした。
AFSに応募する前は海外に対して特別な思いは無く、日本を出たくないという気持ちが強かったことを覚えています。しかし、AFSを通してのアメリカ留学は確実に私の17年間の人生で1番充実した実りのあるものでした。

私は、アメリカ三大都市の一つのシカゴに留学していました。多民族国家であるアメリカの中でも観光客が比較的多いシカゴでは、日常的にに英語以外の多くの言語が飛び交い、毎日がとても刺激的なものでした。

ホストファミリーは両親と一つ下の妹、3つ下の弟がいました。妹は私の留学と同時期にAFSと通してのタイ留学をしていたので、1ヶ月しか共に過ごすことはなかったのですがとても良い姉妹になることができました。両親は私を本当の子供のように扱ってくれたおかげで、1年を通してホームシックを感じたことはありませんでした。弟とはバスケットボールをしたり、ドッキリを仕掛け合うなど毎日が忙しかったのがとても懐かしいです。

現地の学校は黒人と白人の割合がほぼ同じの学校に通っていました。様々なクラスを選択し、多くの友達を作ることで毎日が充実していました。
アメリカに来て1番目に壁に衝突したことが先生でした。学校初日に向けて、挨拶など用意していったのですが、多民族国家のアメリカではわたしのようなアジア人は大して珍しくなく、いきなりクラスに入れられたことは衝撃的でした。日本の学校では一般的に留学生は珍しいので、休み時間には留学生を囲んで質問責めというイメージを抱いていたので、期待をしていましたが、クラス間の時間が5分でアメリカでは日本と異なり生徒が教室を移動するので、そんな暇はもちろん無く、私も自分の事で手一杯でした。先生はもちろん生徒も私が留学生ということに気づかず初日が終わってしまい、ここは日本ではなくアメリカだ。自分から行かないと誰も私のことを知ってくれない。と気付かされ、次の日からは積極的に話しかけたり、質問をする事で多くの友達や信頼のできる先生と出会うことができました。

1番心に残っていることは、現地のバスケットボール部に所属したことです。留学前からアメリカで絶対バスケをしたいと思っていて、現地ではversityの1軍でプレーさせていただきました。バスケットボールは冬のスポーツなので、秋季から冬期にかけての短い期間でしたが、地区優勝やリーグ戦で優勝を納めるなど本当に充実したバスケットボール体験でした。そこで作った友達は今でも頻繁に連絡を取っていて、一生の友達に出会えたと思っています。

アメリカでは、日本では中々触れられないホームレスやLGBT、移民問題といった多民族国家であるアメリカだからこそ内包する問題について多く学ぶことができました。留学を通して、今まで日本で学んだ教科書の中のアメリカと、現実のアメリカには多くの違いがあることに驚き、留学前は他人事のように感じていた世界問題が、留学先で実際それらを目にすることで、学んだ知識や情報がより鮮明な事実となって理解を深める事ができたと思います。

私のAFS留学は、多くの人に恵まれ、本当に充実した最高の10ヶ月でした。理解をしているようで出来ていなかった、周りの人への感謝の気持ち、多くの人に支えてもらい自分がいるという事に気付けた良い経験でした。まず、私に留学を勧めて留学の機会を与えてくれた両親、素敵な留学を作ってくれたAFSの皆さん、アメリカで出会うことのできた家族、友達、先生方、そして留学前は笑顔で送ってくれ、留学後にも変わらずおかえりと迎えてくれた日本の友達に感謝しています。
このアメリカ留学は決して一人では成すことができなかった大きな冒険でした。自分は恵まれている事を忘れず、これからも努力を大切に成長していきたいと思います。

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