見出し画像

超ざっくりとフィリピンのことを書いてみました

こんにちは。アセアン進出支援協会の阿部です。今回は、前のnoteで予告した「フィリピン」について、簡単に書いてみたいと思います。

フィリピンってどんな国?

フィリピン概要

フィリピンは首都マニラがあるルソン島、セブ島やミンダナオ島をはじめ、大小さまざまな全7千以上の島々から構成されている島嶼国です。きれいな海と自然に囲まれ、毎年多くの観光客が訪れています。コロナ前の2019年には826万人の観光客が外国から訪れていて、このうちの8%あまりの68万人を日本人が占めていました。


超ざっくり:フィリピンの歴史

紀元前500年頃、マレー系の人たちがフィリピンの島々に流入して、先住民の人たちと溶け込んでいったのが、フィリピン人の祖と言われています。なので、古くはイスラム社会が形成されていました。

しかし、16世紀に入ってスペインがフィリピンを侵攻したことで、長らくフィリピンはスペインの従属地とされてきました。19世紀に入って、キューバを巡って、スペインとアメリカが対立し、この戦争にアメリカが勝利したため、アメリカに主権が移りましたが、フィリピンの街並みがスペイン風だったり、フィリピンの人たちにスペイン系の名前が多い理由は、歴史上の理由だったんですネ。

ミンダナオをはじめとした南部地域に多いと言われるイスラムの人たちとの争いも、こうした歴史が根っこに残っているためであることが分かります。


画像2


フィリピンは、実は日本からもっとも近いアセアンの国です。古くは、江戸時代から交易が行われてきました。太平洋戦争の時代は、日本がフィリピンに侵攻したことでフィリピンの地が戦場となり、多くの生命が亡くなったことは、これからも忘れてはならないことだと思います。

画像3

画像4


出稼ぎ大国って本当?

フィリピンの人たちは英語が堪能だというこということは、多くの人が認めるところだと思います。その認識のとおり、フィリピンは米英に続き世界で3番目に英語を話す人が多いと言われていて、語学力を武器にフィリピン国外で多くの人が働いています。

出稼ぎの人が多かった背景には、かつては政治が独裁的で政情が不安定であったため海外からの投資が積極的に行われず、結果、経済の成長が伸び悩んでいたことがなどがありました。

この独裁体制は1983年にマニラ国際空港で起きたアキノ・ジュニア暗殺事件でピークを迎え、国際空港で暗殺事件が起きたことに、世界がフィリピンを敬遠し、経済が停滞。やがて、世論の圧力が民主派を押し上げ、今のフィリピンの礎が築かれたのです。

その後のフィリピンの経済成長は目覚ましく、2011年に3.7%だった経済成長率は、翌2012年から2019年まで、6%を超える水準で推移していきました。


残る格差

私がフィリピンのマニラを訪れたのは2014年のことなので、もう6年になりますが、首都のマニラでさえも、貧富の差の激しさを感じました。

画像5

マニラの中心部はMRT(高速輸送鉄道)も走り、また多くの車で賑わっていましたが、少し郊外へ行くと写真のようなバラック小屋のような建物がまだ多くみられました。

画像6

東南アジアの国々をみて改めて思うのは、日本のインフラの普及率の高さです。日本では、よくぞこんなところの道路も舗装され、きれいに整備されていると感心することもありますが、東南アジアでは、こうはいきません。このあたりは、日本の素晴らしいところであるとともに、今後東南アジアの国々が、日本のように国の隅々にまでインフラを整備することは不可能なようにも思います。


アジアのラテン

アジアの人々というと、私たち日本人と同じで、どこか生真面目な印象もありますが、そこへいくとフィリピンの人たちは気候も関係しているのか、陽気な人たちが多くみられます。

私もオンライン英会話で、フィリピン人の講師に教えてもらうことが多いのですが、ヨーロッパの人たちと比べると、そのノリはジャマイカなどの南米系の人たちに通じるものがあるように思います。なので、授業もとても受けやすくて楽しい雰囲気をつくってくれるので、フィリピンの人たちがとても大好きです。


今のドゥテルテ政権が誕生したのは、今から4年前の2016年のこと。当初は汚職や麻薬の取り締まりを時に強引に進めたため、治安が悪くなることも憂慮されましたが、以前国内では高い人気を誇っています。

フィリピンでは、かつて長く続いた独裁政治が国を衰退させた反省から、大統領の任期は1期6年と決められています。20200年に行われる次期大統領選挙での国内人気のトップは、ドゥテルテ大統領の長女であることからも、その人気の高さが伺えます。

新型コロナの感染者数は43万人を超え、アセアンのなかでは2番目に高い感染者数となっていますが、1日も早くコロナの感染が収束し、またかつてのように人の行き来が自由に行われる日が来ることを願ってやみません。

そうしたら、今度はセブやミンダナオに行ってみたいなぁ…

画像7


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?