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INTELLIGENCE episode Ⅰ

事件処理の要請を受けた富山県警の刑事達が到着するまでに、深沼はある人物に携帯電話で電話をかけた。

「深沼だ。画像は無理だと思うが、音声は録れてるな。」

「録れてるよ。」

「おそらく盗難車だと思うが、ナンバーをこの後すぐにメールしてくれ。」
「それとブリーフケースの中身は一見本物のレポートに見えるが、"K"が事前にすり替えておいたダミーだ。それと発信器、GPSどちらもOKだ。あと、Nの照会は県警にやらせる。おそらく何台か乗り替える筈だから、かからないかもしれないけどな。」

「うん、わかった。」
「じゃあ、そろそろ仕事もどらなきゃいけないから。」

深沼の電話の相手はそう言って電話を切ろうとした。

「わかった。あっ、ちょっと待て、結婚おめでとう!こっちに帰ってきた早々悪いな。」

「有り難う。偶然今日だもん。仕方ないよ。」

深沼の電話の相手はそう言って電話を切った。

深沼が携帯電話で話していた人物は、深沼の特別協力者であり、一般人で普通に仕事をしている社会人である。
コードネームで"S"と呼ばれていた。

富山県警の刑事達が到着すると、その中の一人に事情を話し雨音を駅の反対側にある総合病院に運ばせた。

事件の概要はかなりふせられてはいたが、JR富山駅内や、その周辺で起きた事件で尚更発砲事件であることから駅内は一時騒然となり、女性警察官が怪我をしたことは一般人の目撃者もいることからきちんと通常どおり報告、処理された。
現場は直ちに保全され、県警から派遣された鑑識班によって薬莢や破損した衣類など押収され、血痕や足痕などかなりの項目を記録することとなった。

しかし、これら全てが富山県警から上へ報告があがることはなかった。
公務執行妨害及び銃刀法違反で現行犯逮捕された朴鄭南、ウブフラスカヤ・コシャンスキーの二名は、一時富山県警に拘留され県警の刑事に取り調べを受けたが、生憎深沼や雨音ほど流暢に韓国語やロシア語を話すことが出来る刑事は居なかった為、形式的な調書内容となった。
地元の国立大である富山大学を卒業した女性警察官が英語で通訳し、なんとか調書を作成した次第である。

ロータリー側から見て駅の反対側にある総合病院に運ばれた"K"である雨音香織は、手術室でオペを受けていた。
幸い骨や大事な神経は損傷しておらず、貫通寸前の弾丸を摘出してオペは成功し事なきを得た。

この時オペを担当した医師や看護師が驚いたのは、雨音香織の身体のいたるところに術後の縫合痕や裂傷痕があったことである。
特に女性看護師が驚きを隠せずにいたのは、雨音香織の左乳房の下側部分が抉り取られたように無くなっており、大きな縫合痕があったことである。
この若さで一体どんな局面を経験すればこんな身体になってしまうのか、"K"こと雨音香織が歩んできた人生がどのようなものであったかを物語っていた。
通常なら全身麻酔のところを雨音は冷静に銃創の状態から判断し直ぐに事後処理が行えるよう、局部麻酔を選択した。
そして摘出された弾丸を見て、金邪趙の拳銃がUSSRトカレフもしくは朴鄭南が所持していたヘイシンであると見当をつけた。

「直ぐに鑑識にまわして結果をうちの二課に報告してください。」
雨音は病院まで同行してくれた男性刑事に事務的に伝えた。
女性看護師が用意してくれたものに着替え、雨音は自分のコートから携帯電話を抜き取り、自販機で野菜ジュースを買いながら深沼に電話をかけた。

「右腕は暫く使えませんが、他は全く問題ありません。」
「金邪趙はどうなりましたか?」

"K"は報告しなければならない事と、質問しなければならない事を手短に伝えた。

「そうか、今はまだ説明できる状況ではない。」

深沼は少し早口に英語で"K"に伝えた。
おそらく近くに県警の刑事達がいて"K"の質問内容に答えづらいのだろう。
"K"は直ぐにその事を察して「わかりました。」と短く答えて電話を切った。

雨音は野菜ジュースにストローを差しながら少し頭の中を整理した。
金邪趙を捕まえることが出来なかったこと。
梶井重政を危険な目にあわせたこと。
金邪趙の逃走経路など…。
《それと、あの梶井重政のブリーフケースに入っている機密文書。あれは組織のかなり上層部の人間でないと本物かどうか判断がつかないはず。そう、私が書き換えたダミー。あれを単独の組織として欲しているのか?ロシアか韓国のIntelligence機関の依頼で動いているのか?》
いずれ何かしらのリアクションがあるだろう。
雨音は病室に戻り、少し休むことにした。

深沼は外事二課にいる自分のチームオペレーターや、"S"から幾つか連絡を受けていた。
先ず、金邪趙や梶井重政を乗せた車は富山駅から車で二十分位の場所にあるコインパーキングで乗り捨てられていたとのことである。
そして梶井重政は手足を縛られた状態で車に残されていて、命に別状な無いものの起きた出来事による精神的ストレスと低体温でかなり衰弱しており、正式には後に重度のPTSDと診断された。
これは自衛官や外事警察に身を置く人間などある程度特殊な訓練を受けた人間でも発症する症状で、回復までに早くても一、二年、長い場合は数年経っても完全には元の状態には戻れないと言われている。

金邪趙と運転手の男は、徒歩若しくは車を乗り換え未だ逃走中である。
JR富山駅は勿論のこと、高岡駅や金沢駅、富山空港まで捜査員を配備したが深沼の考えではおそらく駅や空港には向かわず車を乗り継ぎ逃走をはかるものと思われた。
相手は一時ロシアのFSBに所属し、EU各国とアジア各国のIntelligenceの更にその裏側で暗躍する国際テロリスト金邪趙だ。
逃走も超一流の筈である。
日本の刑事警察による追尾システムが世界的に見てもかなり優秀とはいえ、おそらく彼等の想定内のことであろう。
陸路・空路・海路全てを考慮してアクションするべきだ。
深沼は自分の考えている幾通りかの予測逃走経路を県警のベテラン捜査員数名を前にして話し、出来るだけ短時間で確保するよう指示した。
深沼は先程の事件現場に戻り、頭の中で可能な限り事件の内容を再生してみた。
時系列、事件に関わった全員の位置関係、何を言ったか等を思い起こし自分達が事件現場に居合わせていなかったら恐らく一分とかからずに梶井重政は拉致され、ブリーフケースも奪われていただろうと考えた。
その中でぼんやりとだが、何かが深沼の頭の奥の方で引っかかっていたのだが今はまだ其が何なのか、この時点では深沼といえども全く解らなかった。

県警の捜査員やまだ彼方此方に居る制服警官から離れ、富山駅という一地方都市の何の変哲も無い筈だった真冬の日常に己を溶かしてありとあらゆる可能性の糸を繋ぎ合わせて思考を巡らしたいと考えた深沼は、JR富山駅に隣接するホテルのラウンジでコーヒーを飲むことにした。
事件の緊張と寒さでかたくなった身体が解れるのを感じながら、ラウンジから見える大粒の雪をゆっくりと眺めたのである。
そうしながら深沼は、凡そ県警の刑事などでは想像も出来ないような事件の輪郭や構成される人間関係、組織など様々な事案を頭に描き出した。

「深沼だ。"Q"はいる?」

コートの内ポケットから携帯電話を取り出し、特殊なマイクを繋いで深沼は囁くような声で問いかけた。

「かしこまりました。」

オペレーターは事務的に取りついだ。

「どうしたの?金邪趙は見つかった?」
「シックスとCIAのお坊ちゃんウォッチャーには全部見られてるよ。UK、US、中国、ロシア、韓国はもうこのCASE外務省高官からIntelligenceのトップまで伝わってるよ。しかも君が関わってるってね。クックックッ…。」

オペレーターから取りつがれた男は捲し立てるようにそう言うと、心底嬉しそうに笑った。

「相変わらずだな。でも、やっぱりそうか。」

「"Q" それはそうと、幾つか頼みがある。まず一つは今日を含めてこの二、三日でいい、うちと一課のagent全員のスケジュールを可能な限り調べてくれ。二つ目はCIAとそのウォッチャーは見当がつく、ただシックスは俺の見当違いかもしれない。幾通りか考えられる。そこを調べてくれ。それともう一つ、俺も超小型のカメラが欲しい。タバコのケースより小さいのを頼む。出来るか?」

「誰に言ってんの?」
「スケジュールは後でメールする。たぶん十中八九、一課の釘宮が絡んでると思うよ。カメラは実は完成してるのがあって、しょうがないから君に一番に使わせてあげるよ。受け取り方法は、これもメールする。」

「楽しみに待つよ。じゃあな。」

深沼はそう言って電話を切った。
因みにシックスとは英国のIntelligence機関MI-6のことで、ウォッチャーとは深沼などのagentが独自に発掘・育成した情報提供者などのことを言う。

電話の相手は"Q"といって、外事二課に所属する深沼のバックアップスタッフであり、元special agentである。
病気や怪我など様々な憶測が飛び交うなか突如第一線から退いたが、優秀なagentであったという。
とにかく謎多き人物で、実は深沼も入庁以来一度も実際には会ったことが無く、そればかりか顔を見たことさえ無いのである。
そして何よりも凄いのが彼による数々の発明品だ。
先程も超小型カメラを送ってくれると言っていたが、そんなのは滅多に無いくらいのマ・ト・モな発明品で通常は敵のagentに拘束された時に"楽に死ねるガム"だとか、何を喋っても"てめぇ、やんのか?コラッ!"と英語、ドイツ語、フランス語、中国語、ロシア語、韓国語…順番に十四ヶ国語に翻訳していく自動翻訳機など非常にネガティブかつ全く役立たずの代物ばかりである。
ただ、"Q"の情報収集能力は尋常ではないので、深沼もついついあてにしてしまうのである。

とにかく外事二課、いや警備局には通常の刑事警察の人間が普通の人間に思えてしまうほど癖のある特殊な人間が多い。
深沼も勿論その一人で本人に自覚は無いのだが、外事二課ではなかなかの変わり者だ。
東大法学部を卒業し、二十二歳で入庁。
国家公務員試験Ⅰ種を一発で合格し入庁からわずか五年、二十七歳で警視になると英国の日本国大使館一等書記官として本格的なIntelligenceとしての道を歩むこととなる。
赴任期間は四年弱だがその間に英国ならではの諜報活動を習得し、MI-5や6とのコネクションを深める。
帰国後は警備局外事二課と国際テロリズム対策課を兼任し、若いが豊富な海外経験とIntelligenceの知識、英語、ドイツ語、ロシア語、韓国語など数ヵ国語を操る語学力とで数多の国益損失事案を未然に防いできたのである。
謂わば何の疑念を挟む余地も無く"キャリア"であり、エリートなのだが細かな点に於いて微妙に他の同様のキャリアを歩む者と異なるのである。
まず所謂警察キャリア特有の"臭い"がしない。
あの刑事とも違う秘密めいた独特な暗さが無い。
必要以上に目立ちはしないが、休日に仲間とスポーツを楽しむ若いサラリーマンの様である。
直属の上司と直属の部下、所謂キャリア同士でしか会話をしないというようなことも無い。
必要とあらば、階級が二つも三つも下の制服警官にも指示を出し、だいぶ歳上の部下にも気さくに話しかける。
警察では、こと外事警察に於いては外国人という存在に対し先ず可能性として"自国に損害をもたらしうる存在"であると徹底的に叩き込まれる。
深沼も例外ではない。
特にロシア、中国、北朝鮮、韓国と其々の国の国民性や特有な考え方。
生活習慣、中華思想、事大主義、主体思想、朝鮮総連や民団についてや反日教育の実態まで。
日本の利益を損なう敵国の破壊工作を未然に防ぐ、これこそが国防の最前線であると。
ただ、深沼の場合幼少期や学生時代に海外で暮らした時間が長く性格的にも非常に社交的である為、外国人に対してどこか自然体でフレンドリーな対応をするのである。
得体の知れない人間の巣窟である外事二課に於いて、ある意味深沼が最も得体の知れない存在であるのかもしれない。

二杯目のコーヒーも飲み干した深沼は、ホテルのラウンジから出て先程"Q"と話した携帯電話とは別の電話である者に電話をかけた。

「アルフレッド、僕だけど。」

「お疲れ様でございます。輝明様。」

「ちょっと何人か必要なんだ。今誰か空いてる?」

「ムカイ、ミサト、キタジマ、二時間後にマイカが戻ってまいります。」

「わかった。四人とも寄越して。」

「かしこまりました。直ぐに向かわせます。」

深沼は電話を切ると、県警のベテラン捜査員の一人を呼び出し先程指示してあった幾つかの要件を確認した。
先ず"K"の報告通り、株式会社ユニバーサルテックジャパンのエンジニアである戸塚浩司はCIAの日本人ウォッチャーであった。
所持品が押収され、売店で購入した煙草二箱のうち一つが小型カメラであった。
恐らく売店の店員がCIAのagentなのだろうが、事件直後に姿を消したようで詳細は不明である。
外事二課は一年前から雨音をユニバーサルテックジャパンに潜り込ませていたが、戸塚浩司以外にもCIAの日本人ウォッチャーは数名確認がとれている。
それと、戸塚浩司からの聴取で解ったのが売店の店員以外にも通行人や駅員の中にもCIAやシックスのagentがいたのではないか?とのことであった。

先程とは別の捜査員が少し慌てた様子で深沼の側までやって来て耳元で報告した。

「金邪趙と運転手と思われる男の死体が発見されました。」

「そうか、ブリーフケースはどうなった?」

「只今確認中ですが、駆けつけた捜査員の報告によると中身が空のブリーフケースが一つ残っていたとのことです。」

「わかった。後で現場の写真と検死の報告を頼む。」

「了解しました。」

「それと、現場を実際に見た捜査員と鑑識班の人間とも話がしたい。直接報告するよう伝えてくれ。」

「…。」

「どうした?」

「いえ、かしこまりました。」

何かが深沼の想定内で何かが想定外であるのか、捜査員に伝えた言葉に表情に何時もとは異なった緊張感が漂っていた。

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