沈思黙読会:斎藤真理子さん「スマホを離れ脳に問う」

いよいよ今週末、沈思黙読会の第6回目が神保町EXPRESSIONで行われます。

「新潟日報」(2024年3月4日)に斎藤さんが書かれた沈思黙読会の紹介を一部、ご紹介します。タイトルは「スマホを離れ脳に問う」です。

昨年秋から月に一度、東京で、「沈思黙読会」という変わった名前の読書会をやっている。普通の読書会は読んだ本について話すが、この会では「本を読んでいる間、自分の脳に何が起きたか」を話し合う。土曜日に集まり、午前十時からそれぞれの読みたい本を読み、お昼を食べ、午後四時までまた読んで、その後が対話の時間だ。(中略)

読書中はスマホを切ってもらうことになっている。これをやってみると、ふだん、読書のときにいかにスマホに頼っていたかがわかる。正直、私は自分がそれほどスマホに依存しているとは思っていなかったし、実際、依存度は平均以下だと思う。ところがいざ実行してみると、十分、二十分で手が勝手にスマホを探すので驚いた。(中略)

もともとこの読書会は、「読む」という行為が人によってかなりさまざまだと気づいたことから始まった。参加者は数人から十五人程度だが、皆さんと話し合ってみると、まず、脳の中で一字一句再現しながら読む「脳内音読」タイプとそうではない人に分かれるし、その他にも「3行ぐらいまとめながら読む」とか「声として聞こえている」とか「本の内容を絵としてとらえている」などと、本当に多様で、びっくりする。(中略)

それほど多様なのに、スマホなしで読書をしたら時間があっという間に過ぎたので驚いた、という感想は共通していた。検索をやめ、あえて自分一人の脳で本に向かってみると、本の「わからなさ」がクローズアップされてくる。自分は何がわからないのかがわかってくる。この感覚がかなり久々で、貴重なのだ。(中略)

今や、スマホを切ることは引き算ではなく足し算、「攻め」の姿勢ではないかとさえ思う。

「新潟日報」(2024年3月4日)より。

三宅香帆さんの新刊「なぜ働いていると本が読めなくなるのか 」(集英社新書)は、現代人がスマホばかり見てしまう理由を、「読書史」と「労働史」で読み解く本とのことですが、やはりスマホに支配されている現実と、本を読むという読書との相関は、深い問題があります。沈思黙読会は深く本を読むということを徹底的に追求していきます。

今週末の沈思黙読会(第6回)は4月27日(土)、詳細はこちら
第7回は5月18日(土)、詳細はこちら
基本的に月1で、第3土曜日に神保町EXPRESSIONで行われます。
(斎藤さんのご都合で第三土曜日でない月もあります)
学割(U30)有。オンライン配信はありません。


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