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沈思黙読会:斎藤真理子さん「不安であっても、活字となかよくすることはできますか?」

第6回 沈思黙読会で、斎藤さんがお話になったことのまとめです!

今日で沈思黙読会も6回目です。今回は先月から今日までの時間が短かったように感じるんです。それがなぜか考えてみると、この場所で次回、何を読もうかと考えるのが楽しかったから、ということに気づきました。仕事で読まなければいけない本もあれば、他の参加者の方が読んでいた本が気になって、次はそれを読んでみようかなと思ったり。沈思黙読会で読むために、どんな本を持っていこうか考える、そんな新しい楽しみが生まれてきた。予想もしていなかったことですが、これもまた面白いなと感じます。

本を読むのが好きな人って、出かけるときにも大抵一冊は本を持っていきますよね。それは移動の時間を楽しく潰したいからだと思うんです。できればいい感じで時間を潰したいけれど、読む本によってそこに出来不出来が生まれてしまう。

とはいえその時の自分が、たとえば「中央に乗っているときにどの本を読めば、その間の時間がいい感じに仕上がるか」というのは、そうそう予想がつかない。そんなとき読みかけの本があれば迷わなくていいんだけれど、ないときにはどれにしようか迷って、結局2冊持って出たりするんですよね。

時間潰しなんだから単純に読めればいいし、つまらなかったら途中でやめたっていいのに、どうしてこんなに移動中の本選びにこだわるのか考えてみたら、やっぱりそれは「本を読んでいるときの自分の気持ちの仕上がり」みたいなもの、その満足度が高いと嬉しいんですね。

昨日、用事があって新幹線で遠出をしたんですが、よくある話で、ガスの元栓を閉めたかな的なことあり、それがずっと気になったまま家を出たんですね。絶対に遅れちゃいけない用事なので、今、出ないと新幹線に間に合わない。結果、用事は無事に済んだんですけど、当然ずっと家のガスの元栓のことが頭を離れない。で、こんな気分のときに本は読めないよねって思いながらも、やっぱり本は持って出かけていてですね。無理だろうと思っていたけど、読み始めてみたら読めたんですよ。

その本というのは「ピョンヤンの夏休み――わたしが見た『北朝鮮』」(講談社)という、柳美里さんが2011年に北朝鮮へ行ったときの旅行記で、仕事で必要があって読まなきゃいけなかったので持って出たんですが、これが結構、没頭して読めてしまった。

なぜかというと、北朝鮮に行って帰ってきて、この本を書いているときの柳美里さんの気持ちの置き所が定まっていないというか、不安とか迷いとかいろんな気持ちがあるけれど、心が波打っているままでとりあえず文字にしようとしているのがわかる文章だったんです。そういう柳さんの不安と、私がガスの元栓を閉めたかなっていう心配を重ねては申し訳ないんだけれども、なんとも相性がよくて集中して読めたんです。

そのときに持っていた本が、立ち位置の定まっている状態で書かれた立派な小説みたいなものだったら読めなかった気がするんですよね。結局、家に帰ってきたらここじゃないかなと思うところに鍵はあって、1日、無駄に不安を抱えながら過ごしたわけですが、不安であっても活字となかよくすることはできるんだな、という発見がありました。

要は読書って、読んでいるときの気持ちの問題なんだな、ということをあらためて感じていたところにですね、カフカの翻訳をされている頭木弘樹さんが「WEBみすず」で連載されている「噛んだり刺したりするカフカの『変身』」の前書きに、こんなことが書かれていたんです。

“読書の半分は、本に書いてあることではなく、本を読みながら自分のうちにわきあがってきたことにあると思うからだ。"

読んでいるときの自分の気持ちとか、今までのあらゆる自分が本の中身と同調しながら進行していく。それが読書なんだなと、あらためて実感したわけです。

そう考えると、映画や音楽といった他のジャンルと比べて、やはり読書は少し独特だと思うんです。私たちは「沈思黙読会」という名前のこの場に集まって、それぞれが本を読んでいる。たとえば映画館だって見知らぬ人たちがその場に集まって同じ映画を見るわけで、そこではスマホを切って、おしゃべりも基本禁止。演劇やコンサートなんかも同じで、まったく会ったことのない人たちが集まって、1人1人がそれぞれの作品と向かい合っている。

ただ、映画や音楽はそれを楽しむための時間が一定で決まっているけれど、本だけがちょっと違うんです。本というのは、楽しむ時間を無限に自分自身で調節できる。意志を持って調節することもできるし、不本意ながら伸びたり縮んだりすることもあって、変幻自在なんです。変幻自在だということは、非常に即興性が高いということでもある。つまり、そのときの自分がすごく反映されやすいんだと思うんですね。ここでは、そういう即興性の高いことを、あえて人と一緒の空間でやろうとしてるので、今まで考えてもみなかったような気づきがあるんじゃないでしょうか。

最初からこの集まりのことを「部活」と呼んだりしていましたが、回を重ねるうちに、ますますここが「部室」だなと感じるようになってきました。日々、いろいろなことで忙しくしてらっしゃる皆さんが、わざわざ大事な土曜日を一日使って、ここまで来てくださるっていうのは大変なことだと思いますし、それだけに、この場所で一体我々は何を楽しんでいるのか。そこがいまだにはっきりとしない部活ではあるんですけれど、もう少し続けながら、この楽しみの本質を見極められたら嬉しいなと思っています。

次回の沈思黙読会(第7回)は5月18日(土)、詳細はこちら
第8回は6月15日(土)、詳細はこちら、を予定しています。
基本的に月1で、第3土曜日に神保町EXPRESSIONで行われます。
(斎藤さんのご都合で第三土曜日でない月もあります)
学割(U30)有。オンライン配信はありません。


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