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Hi, government! Thai-Japan 政策提言

■タイ日本提言
タイ王国~この国は温暖な気候を育み“母なる大地”の恩恵を受けて豊かな食材がそろう街,“黄金の国”又は“微笑みの国”と表現される国民性,そして“水の都”と表現される首都バンコク,そこから対比するように存在する北部チェンマイ,パヤオ地域,ここが当プロジェクトの対象地域である.その対象地域の気候は温暖でありながらも,日本における秋に類似した季節があり,北部周辺を包み込むように連なる山々に暮らす人々は,日本に於ける冬をも体験させる地域性を持つ. “四季折々”亜熱帯気候でありながらも四季の“わびさび”が体得可能な地域・・・それらの気候は,日本が体験する吹雪のメンタリティーは体験できなくても,季節という“お金”では買えない四季の移り変わる微妙な感情を人々は有しているのである.それらの感情豊かなメンタリティーと共に,母なる大地からの恵み作物を栽培する広大な敷地が広がり,安価な食材提供を市場経済へ提供している. この食材たちはタイ全国へ提供されタイ国の“台所の守り神”と表現したい重要な役割を担っているのである.
タイ国は“国王の下の平等”この一説が象徴するように国王制が特徴である.またタイ国民に根強く信仰されている2大教義がある.
1) .国王への忠誠,
2) 上座部仏教の教えへの忠誠,


これは学校教育内でも教義伝達が具現化されており,今後も継承されるであろう特徴である. そして実質的政治権力は,民衆に平等に与えられた選挙権が行使され内閣政治主義である.現在愛国党“タクシン首相”が,2000年より農民層の絶大な支持を得て当選し,その主導権が継続されている.そして若手女性議員の活躍も目立ち始めた.しかしながら,女性リベラル議員も見受けられ,女性であるが故の“一脱した想像力の発達”さえ放棄しているかのように思える.この点において危機感を非常に感じてしまうのである. タクシン主相が,公約に掲げた無保険者救済の貯めの30Bスキームは“無能”なシステムとの批判が多い.実質的サービスを行使しているのは“民間”の病院が大きな役割を担っている.その前に特記しなければならない.
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街の薬局屋さん.タイ国内ではどこでも存在する.
大衆は兆候発現を認知した場合,まず“薬局”で投薬し症状の改善を試みる.ここで解決される場合が大多数を占める.日本国民において

“何故病院に行かないのか?”

という疑問がわくが,ズバリ“お金”なのである.風邪を引いたと仮定すれば日本は,病院に行き解熱剤注射をうち各兆候の対応薬を処方され,痛みや熱といったものを静脈注入により即座に消し,ウイルスへの効果的経口投与が可能である.そして個人により保険によって異なるが数千円程度の出費である.
人々は熱と痛みにうなされながら,それに耐え自宅にて安静にし風邪を完治させるのである.日本であれば痛みや熱といった苦しみを伴う症状出現を即効性が高い血管薬物注入により,すぐさま取り除く治療方針を実行するが,タイの人々(貧困層)は不可能なのである.病院に行かなければならない病気が発生した場合,“一か月分の給料~その半分”が最低限必要であり実質的治療を遂行している人々は“街の薬剤師”さんなのである.しかしながら薬局で購入可能な薬剤は,効果が微弱であり医師免許を持つ資格者が処方箋を書かなければ投薬不可能な劇薬は,病院で受診しなければ,投薬不可能であり本来の医療には程遠い,現在の一般的な人々が行っている医療行為は本質的な問題解決にはなってはおらず政策的介入が必要であろう,ここで疑問が発生しないのだろうか?
急性胃潰瘍になったらどうするのか?その場合民間か政府病院に急行するが,医師は患者の経済的負担を一番に考え軽口投与を遂行しそれでも収まらない場合は,レントゲン撮影検査,血管薬物注入などの投薬に遂行し,それでも改善がなければ,転院かそこで手術を行うことになるが,月給の三か月分以上はそれだけの治療で掛かってしまうのである.入院など決して不可能であり自宅静養が一般的である.ほかの文献にもみられたが政府の病院よりも民間の病院ほうが人気が高い.主相が采配したこの政策は,予算の根本的な補填不足とそれらを実質的に遂行する役人達の無能さにより実行出来なのである.また,この医療形態では,“人間的治療”ではない.痛み,熱,これらを即効的に消し安らかに安静期を迎えさせる治療方針を医師は結果的に遂行することが無理なのである.医師は生命倫理・患部の痛みに関する考察能力についての知識を有してるが故,非常につらい“治療方針”しか実行できないジレンマと医師自身の心の痛みを経験するのである.

医療不均等があるのにも関わらずタイ政府は,公共支出予算第一位に挙げられるほど“若年層への教育提供”Yonger Knowledge Enpowerment 若年層への知識のエンパワーメントを推進している.将来的な国力の底上げをしたとしても,今病んでいる人々を放置し,はっきり申しあげておく死亡者も多数発生していることをご報告しておく.いわいるそれらの人々も労働生産層であり現実の労働力殺害しておきながら,未来にかけても何も始まらないのではないだろうか?“ジレンマ”この言葉があてはまるタイの医療情報をお伝えする.HIV/AIDS患者も同じ苦しみの中にいると共に見放される痛み,命があることを現実的な報告と記載する.

さて軍事力(タイ防衛省)は,省枠の中の警察関係者と共同し“権力”を握っておりその力関係はタイ政治へ微妙な綱引きを要し,微妙な力関係が存在する.軍事においても女性自衛官を獲得しようとするメディア戦略も行われるようになってきた.何を意味するのだろうか?女性が戦の中に取り込まれていく前兆であるように思う.またアメリカの軍事力の影響を大きく受けているが上座部仏教という人々に根付いた文化が砦となり,タイの独自性が強調された国民性を息づかせている.
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タイは軍事的側面をアメリカに依存し,経済的側面は中国に依存している.統計値としてタイ族80%,華僑10%と数値が出ているが華僑に関するタイへの影響は非常に大きい.なぜならば経済的市場で主導権を握りその強勢は留まるところを知らない.この躍進は政治的分野にも及んでおり,ある評論家は“顔の白い人々の集団”と国会のことを表現した.福祉的側面において大衆は最も影響を受ける問題である.しかし誇り高きタイ民族はこれらの躍進には微妙な感情をいだかざるを得ない.人々は選挙権が認められているのである.これらのいくつもの問題点をプライドを持ち考え直す時期に来たのかもしれない.
そしてこの地域チェンマイにはナイトバザーと言われる象徴的な観光ストリートが存在している.それらは軍人が管理している.
ナイトバザー 多くの観光客でにぎわう・・・
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“蘭”というのは栽培が非常に難易だがタイは容易にそれらを咲かすことが可能な温暖な気候を持っている.熱帯の国の多くは女性が働き者と言われそれは結果的に“経済”(実質的主導権)財布の紐は,女性が握ることとなる.
タイの96%は仏教徒と言われているが,民衆の支持を得ている宗教でさえも“寄進”で成り立っており“女性”を無視することは出来ないのである.また男性のみ出家が許された仏教であるが,その性別の統一化は上座部仏教の特徴である“教義”の中にセクシャリティーに触れる部分が少なく多様な“性”を認める国民性に繋がっている.王政という政治的局面もタイにおける特徴ではあるが上記の通り経済を握る女性達の“あえて男をたてる”頭の良さで成立している世界的に類を見ない
1)性の自由
2)セクシャリティーの自由
3)ジェンダーの自由
4)実質的女性譲位,
という先進的な文化を維持,継続させている.他国に類を見ない国家である.女性が位置しているその役割は誰もが認める通り非常に大きいのである.これは特筆すべき実際的ニーズなのである.また王政において“王室”は国土の40%前後を所持していると思われ“経済的影響”をプロトコールとした実質的国民への影響力は膨大な力を有しているのである.一方タイ王室が立案するs様々な民衆へのサービス提供は実践的であり国民の信望も厚い.しかしながら,この“王政”という側面文化において他国に見られない素晴らしい文化を継続させている原動力になっているが,経済的側面からそれらを考察した場合“マイナス”的要素が見出される.身分によって“社会的位置=所得”と思い込んでしまい労働意欲を削いでしまう一面もある.そして“王政”は民衆のシンデレラ願望/シンデレラ症候群的思想を持ち合わせていることを倍増させており新たな王室としての戦略,ポピュレーションアプローチ構築が望まれている.国土の40%を有している王室において,特に王妃が主導権を握り民衆へ開かれた“企業”を提案したい.企業とは民間的経済活動ではなく,法人格と経済的両面を併せ持った新しい組織つくりを構築し,女性を対象とした採用を行い,労働的技術指導の他に未だ根強い“プライマリースクールのみ”の低レヴェルの教育受益層へ高度な教育を提供する新しい形の労働形態が必要とされている.母親の為に託児所を完備させることは王妃だからこそ確保する素晴らしい発想であろう.これらは女性のエンパワーメントに繋がると共に“頑張れば自らの努力で王室の近くに行ける”というシンデレラ願望を“否定”する姿勢を形成させ,タイにおいて優れた発展への原動力成り得るであろう.この部分は王妃に最も期待される事業である.

タイ国医療界は,推測ではあるが“感染症科医”の育成に力を注いでこなかったと思われる.ミレニアムを前にして疾病構造の変容が顕在化した.感染症の台頭は全階層の国民に影響を与えている.特に薬局の投薬で症状を抑える対応しかできない下方層の国民にとって,これらの感染症に大きな打撃を受けている.症状に対する根治治療ができないばかりかウイルスが蔓延している地域に居住するしか手立てが無く“結核/HIV/細菌性皮膚炎”などの兆候に対して根治治療が必要であり,長期的モニタリングが必要になる対照群へ医師が介入することを不可能な状態が現象として起こっている.考察するに若き医師たちは経営的にお金になりやすい“慢性疾患である成人病”に関する“科”の専門医になりたがり,経営的に苦しい“感染症科医”は敬遠されている.この現象が医師に不足となり現在タイが抱えている問題“感染症の蔓延”という事象が解決できないのだ.これは国家予算として感染症科医の育成に予算を補填し,育成してこなかった保健省の国家的なミスであったと思われる.医療者が正当な報酬をもらい治療行為を行うこと・・・この当然とされる金銭流通システムを保護しなければ医師は医師事態になりたがらないばかりか,民衆の医師に対する尊敬までも破壊してしまうだろう.これらのことを考えた場合当然の処置と言える.HIV/AIDS問題でもう20年近も問題を抱えながら“気づかないでいた”という言い訳は通らないわけであり,経済的中心国でありながら“結核”という過去の感染症を2005年現在未だ撲滅できないことは,ここに諸根源があるように思われる.
“結核”これらは撲滅は容易なアプローチで撲滅可能であるわけであるし,観光産業で成り立っている(GDP15%,2005‘)タイは、

「これらが各国に定説として告知された場合大打撃を受ける大きな引き金であることを何故気づかないで」いるのであろうか?

“医療と経済-微妙に絡まりあう線と点”この問題は保健省だけの問題ではないようだ.公衆衛生に関する提言として,都市チェンマイであっても,テング熱をの媒介昆虫類の温存地域であり,危険な細菌の繁殖地帯へと化している.この都市部チェンマイ地域において,この状態である.保健省はこれらの対策をなにも考慮していない.人々を病原菌の渦に放置するこの状態を何と表現しよう.タイは排便施設トイレの下水道事業は2000年時点で広範囲に完備されている.しかしながら同じくバンコクなど首都圏と同等の下水道施設で,公衆概念を実施しているのにもかかわらず,チェンマイでは多くのハエが飛び回り,バンコクにおいてはこれらの現象は見られない.この原因はゴミ処理に関する不手際が起因と考察する。なぜならば地方都市チェンマイにおいてハエの繁殖原因となる汚物は日本に於ける1960年代のくみとり式ではなく,水洗下水道工事は完了しており都市部でハエの繁殖が見られるとすれば近隣地域に繁殖原因となる生ごみの山が,そのまま放置されていることが予測される。この地域は30分も車を走らせれば,それらを火力処分できる施設建設が可能であろう問題に対して,これらの問題全く無視し続けた保健省の罪は非常に大きい. 川べりを歩けばゴミが山づみされこれらも街の人々が清掃し健康汚染を受ける原因となっている.1990年代成人病がタイの死因のトップを占めていたが,2000年代ミレニアム時代を期に“感染症”がそれに変わった.これらが死因のトップと躍り出た諸原因は,保健省の怠惰しか言いようがない。この現象に関する考察を市民が早急に行い改善を求めていく姿勢が必要である.“ただのハエ”ではなく諸原因を注意深く観察しその蔓延は自らの感染症症状に繋がっていることを忘れてはならない.“2000年ミレニアムを前にして疾病構造が変容した事実”これは現象ではなく事象であることを記しておきたい.

また清掃業務において実質的功労者は街の貧しい人々であり,それらの人々にウイルスに関する教育そして,それを予防する道具提供,これらを保健省は全く行っていない.もし国民が健康被害にあった場合“公害病”であり,その対策を怠った保健省は告訴されても勝訴の見込みはないだろう.街の人々が証言者なのだ.これらに関する介入を即刻遂行することを提言したい.

迷信的医療信仰を持つ人々は,サブポピュレーションとは言えないほど“マジョリティー群”として存在している.抗HIV薬を否定する,それらを敬遠する地域,民族」は統計値よりもはるかに高いと思われる.これらの対象群に対して,タイ保健省は(MOPH)は教育をしなくてはならないだろう.まずは抗HIV投薬を受け入れる下地を作らなければならない.これらの対象群は教育レヴェルが低く“迷信”を信じる傾向にあり正当な治療機会を得ることが妨げられる.MOPHが主導権を握り,サブポピュレーション/マジョリティー群の教育を早急に開始しなければならない.医師はそれらの地域に3か月に一度程度派遣され,適切な治療提供を提案したい.

多様なDNAを有する多様な民族地帯という特徴が国境を接する北タイを象徴する.HIV/AIDSにおいて北部から感染爆発が起こり未だ流行が衰えない地域性も十分な考慮が必要だ.一方HIV/AIDSという領域問題は立ち遅れていることは否めない.特に女性陽性者への国家的支援の皆無は大きな問題である.特に“母親”の援助に気づかない政府は愚かとしか言いようがない.なぜならば“母親”が死ぬということは孤児の養育費に莫大な扶養が必要になるのである.また母親を亡くした子供たちの心理的影響は計り知れない.これは最上級の幼児虐待と言ってもいいだろう.

タイ北部は“ブラックキャニオン”と表現したい様々な問題を抱えた地域性とHIV/AIDSの流行地域という暗い側面がある.CSWの高感染率も問題視さればければならない.
1)山岳民族との確執
2)山々で栽培・製造される麻薬
3)独自の文化を持つ多様な民族との軋轢.

先進国ではこのような数値減少は具現化されているが,タイは医療発展途上国と言われ経済的に中級ランクに位置出生率の減少が他国より早いのである.“何を意味しているのか”古き良き時代とはいつのことなのか?女性支援のために育児施設,保育所など公共で無料で誰もが利用できる施設は存在しているだろうか?それとも一夫一妻制の超短変換型結婚スタイル自体を管理されたいのだろうか,だとしたならば長年培ってきた文化はどうなるのか?矛盾やジレンマがここにもいくつも存在しており,この連鎖反応の悪循環は人々の営みすべてに関係する大きな問題と言える.“女の性欲は行為そのものだけではない”DNAを残したい.自分の子供を産むことにもある.そして頭の良い女性達はDNAを少なく維持しそのDNAへよりフォーカスした教育や生活レヴェルを与え,DNAを高めること選択したのか?たくさんの子供を養育するにはタイ独自の結婚スタイルには限界があるのか?女性は出産の道具なのか・・・そしてである子供を作らないことを選択した最も高い高レヴェルの知能群は人間の欲求さえも管理し何かを告げようとしているのではないだろうか・・・

もう一つ女手一つで育て上げてきたタイ文化は,その女性達を援助する政策/扶養/雇用/制度などを,作って来ただろうか?皆がDNAをフォーカスし子育ての自分と“個である自分”としての自分の時間も楽しめるように1つのDNAを養育することを選択すであろう.なぜなら男性が子育てに参加しない(金銭的・人的)文化があり,なおかつ公共援助などなにも存在しなのである.実質的ジェンダーニーズとしてこれを選択する女性が増加した結果である.
タイの合計特殊出生率は1960年代に6.2を超えていた.しかしながら1990年すでにである,10年前には2.2前後に落ち込み現在2000~2005年には,2.0を下回ると予想されている.2004年度最近の統計値ではタイ国総人口63,465,000人であるのに対し女性15才~49才(性生活活発な時期)のみの総合計値は36,225,000人となっており男女比57.0%となっっている.タイの総女性人口を換算すれば,65%近くなることが予想され男女比の大きな不均等が読み取れる.種の保存という観点からこれらの数字を考察したとき,1つのDNAは6配列値プロトコール保存されていたが現在1配列値になろうとしている.少子化の減少は親子間における扶養関係を血縁で補っていた社会文化が破壊され福祉扶養の構築が必要とされる時代になった.これらのも莫大な予算が必要になり,これらの対策に全く手をつけていない政府の姿が“老人の層の独居”という形となり顕在化している.これらの老人たちは北タイにおける“古き良き時代”の近所間における互助作用により孤立せずに生活を営み,その安否をモニタリングする関係構築を女性間において維持しているが痴呆等の老人特有の高度な医療が必要とされる疾病が出現したならば,福祉の力しか頼るものが無いのである.しかしながらタイ政府は“コミュニティー福祉”戦略を打ち出し地域間で老人介護を目指しているようであるが2005年現在においても全く機能しておらず近所コミュニティー間のポピュレーションヒューマニズムが支えているのである.そう大衆の優しさなのである.政府は予算不足などの様々な原因が予測されるが,“金銭がなければ”不幸な老人層の一部は見捨てられる“姥捨て山”物語を辿るのである.いわいる呆け老人は安らかに殺される,または放置される運命にあり“命の尊厳”というものをもう一度考えなければならないことを,これらの事実は大衆へつけられているのである.15年前にはもう2.2という数値が出ていたのだから,これらの対策を予測出来たはずである.今一度考えるべき問題ではないだろうか?なぜなら明日は我が身だからである.そして特記する.“なぜ出生率がこのように下がったか?”を政府そして,それを選んだ国民は根本的要因から考えなければならないことをご忠告したい.“なぜ女性が子供を産まなくなったのか?”ここから考えるのが得策と言える.

また,女性HIV陽性者の“子づくり”に対する議論にも触れておこう.健常者の女性でも数パーセントの障害児を出生してしまうのである.先進的なドナー制度によりタイでは“母子感染”予防の研究が他国より早く,長く継続されてきた.これらの実績と共にPMTCの技術進歩により出生児の感染率は,健康な女性が障害児を出生してしまう確率と同じなのである.なぜ女性HIV陽性者の妊娠を否定することが出来るだろうか?

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