誰が分離の法則を間違えたか?(その3)

メンデルの分離の法則と名付けたのは誰か?

 さて、(1)「雑種第1代の自家交配の子孫では、優性形質と劣性形質が3:1の割合で分離する」は誤解で、(2)「1対の対立遺伝子は配偶子(花粉や卵)に1つずつ別々に分離して入る」が正しい分離の法則だというのが現在の趨勢ですが、その根拠はどこにあるのでしょうか?Kさんからのメールにもありましたし、実際にメンデルの論文を読んでみて確認できたことは、この論文には遺伝の3法則につながるモデルはすべて(完璧に!)書かれているものの、彼はそれぞれを法則としてきちんと定義していないということ。law of segregationという言葉はもちろん彼の言葉ではなく、論文中にsegregationという単語すら見当たりません。
 では、いつ誰が分離の法則と呼び始めたのか。この点に関しては、歴史学者が詳細に調べて論文を書いてくれています。

On the origins of the Mendelian laws.  Monaghan and Corcos (1984),  J. Heredity
 メンデルによるとされている2つの法則は彼が考案したものではない。最初の法則(law of independent segregation)はメンデルの論文に推論もしくは仮説として登場し、これをメンデルにより発見された法則としてde Vriesが言及した(「メンデルの法則」と書かれた最初)。de Vriesはその現象に関わる物質については言及しておらず、law of the segregation of charactersをlaw of the segregation of anlagen として記述したのはCorrensである。第二法則であるlaw of independent assortmentは、メンデルの論文ではまだ萌芽的な段階にある。
The construction of Mendel’s laws. Marks (2008) Evolutionary Anthropology
メンデルの法則(laws; 複数形)はsegregationとindependent assortmentからなる。文献として最初に出てくるメンデルの法則は単数形で書かれており(Bateson, 1902)、その内容は雑種同士の交配により顕性(優性)と潜性(劣性)の形質が3:1で出現するというものである。その後、Castle (1911)がメンデルの法則を3つのprincipleとしてまとめた(unit characterの存在、違うunit character間のdominance、両親から来たunitの配偶子形成の際のsegregation)。Castleによる1916年発行の教科書には再度この記述があり、そこではde Vriesによるlaw of the splitting of hybrids (雑種分割の法則)が言及され、「この法則はメンデルにより発見されたものと同じであり、現在この法則はメンデルの法則(law)と呼ばれている」と書かれている。
 メンデルの法則(laws)の考案者であるMorganは、「メンデルの第一法則はlaw of segregation、第二法則はlaw of independent assortment of different character pairsである」としている(1916)。Morganがメンデルの法則をこの2つに教育的に分けた理由は、第二法則が遺伝子と染色体に関するMorganの研究結果を支持するものだったからである。Morganによる教科書「遺伝の物理学的基盤」(1919)では、メンデルの第一法則-遺伝子の分離および、メンデルの第二法則-遺伝子の独立組合せ、が別々に章立てされている。


 遺伝単にあった、“我が国ではメンデルの法則は「分離の法則」「顕性の法則」「独立の法則」の3セットで教えられることが多いが、海外ではこのような扱いをすることは少ない。これらの中で、もっとも重要なのは分離の法則であり、…”の記載通り、海外ではメンデルの法則(laws)は分離、独立の2つとされていることが多く、その2つの区分けを最初にしたのはMorganということになります。Morgan が命名した分離の法則はそもそも遺伝子の分離に関する法則ですから、中身は当然(2)。一方で、Morganとほぼ同時期にメンデルの法則(law)として呼ばれていたものがあり、これはde Vries命名の雑種分割の法則と同じもので、内容はまさに(1)です。splitting(分割)が、どこかのタイミングで分離という日本語に置き換わり、Morganが定義したlaw of segregationと中身が混同されてしまった、というのが我が国の教育現場での誤解の原因だったと思われますが、さて最初に間違えたのは誰だったのしょうか?


真犯人に迫る!

 とある夜、大学の図書館で、蔵書検索でチェックした古い遺伝学のテキストを順番に確認することに。犯人がいよいよ見つかるとちょっとワクワクしながら。

メンデル遺傳學 宇田一 1948年(メンデルの論文の解説書)
エンドウの雑種が形成する卵細胞と花粉細胞とは、交雑によって結びつけられた形質の組合せから生ずる總ての固定型に相當し、かつ數に於て相等しいという假定が實験的に確證されたわけである註30。
註30 メンデルのこの假定こそ、實に所謂メンデリズムの根抵をなすものである。この假定をいひかへれば、両親から受けた對立形質は子孫の生殖細胞内で互に分離するといふ事になるので、普通、分離の法則(law of segregation)とよばれてゐる。そして、既に述べた支配の法則及び獨立の法則と、この分離の法則との三つを總括してメンデルの三大法則と呼ぶ人もある。

旧仮名遣い!記述内容は(2)ですね、では次。

遺傳(現代の生物学 第1集)木原均、岡田要編 1949年 (新制大学及び新制高等学校程度の参考書)
 メンデルの法則は支配、分離、独立の3法則からなっていることは周知のことであるが…
 第2は最も重要な分離の法則で対立要素の雑種の体の中では一緒になっているのではなくして、雑種が生殖細胞を作るときに別れて別々の卵なり花粉なりに入る。そのために卵と花粉とはそれらの要素のあらゆる組み合わせの数だけ出來ると説明した。

Dominanceを支配と訳していた時期があったことを知りました。分離の法則の内容は(2)。これ以降に出版されたものからも該当ページを抜き出してみると、

一般遺傳学 スルブ=オーウェン 松浦一、明峯俊夫訳 1954年
 これらの粒子は個體内では「對をなして」存在している。對の一方は精子によって父親から來、もう一方は卵を通じて母親から傳えられる。個體が生殖細胞をつくるとき、父方と母方とに由来する1對の粒子は、それぞれお互に影響を及ぼすことなく、はつきりと分かれて、別々の生殖細胞に入つてゆく。従って遺傳的に同じか相異なるかは、生殖液の混合の問題ではなく、生殖質中のある単位の分離と組合せの問題である。

この本の目次にある「二對以上の對立ゲン」という項目に一瞬ハテナとなりましたが、geneのことですね。

基礎遺伝学 田中義麿 1960年
 (メンデル)が発見した遺伝の法則としては通常優劣の法則、分離の法則、独立の三つの法則があげられる。F1同士の交配によって生じた個体が雑種第二代がすなわちF2である。F2になると優性と劣性とが3:1の割合で分離してくる。…以上によって分離は表現型的にはF2において初めて見られるが実際遺伝子分離の行われるのはF1配偶子形成の減数分裂の時である。このことはいかなる生物でも証明できるとは言えないが、特別の場合には顕微鏡で見ることができる。たとえばウルチ稲とモチ稲との雑種のF1植物の雄蕊から花粉をとって、これをヨードで染めて鏡検すると、…
 分離の法則において特に大切なのは次の2点である。その一つは遺伝子が体細胞や減数分裂前の性細胞では複数すなわち二重であり、配偶子では単数すなわち単一であるということである。これは染色体の所でも強調したことであるが、メンデルが理論的にこの核心をつかみ得たことは、彼の頭脳の非凡さを物語る何よりの証拠である。もう一つの点は、Aaなるヘテロの個体の性巣(精巣または卵巣)内に形成される配偶子はAかaの遺伝子を受け取るが、この遺伝子は最初の交雑に用いられたAA個体のAまたはaa個体のaと本質的に同じものであるということである。すなわち、Aa個体の細胞の中ではA遺伝子とa遺伝子とが同居していたのに、双方とも少しも汚染(変化)を受けることなく、元のままのA、aとして分離してくることである。
遺伝の科学 エンドウマメから生化学まで アウエルバハ 長野敬訳 1962年
 この章で論じてきたことがらが、いわゆるメンデルの第一法則あるいは分離の法則の骨子をなすのです。これを現在の術語でのべれば、つぎのようにいってよいでしょう。異型接合体が配偶子を作るとき、それらのうちの半分は、2種の対立遺伝子のうちの一方を含み、半分は他方を含む。遺伝子の分離の基礎は、減数分裂のさいの染色体の分離である。
 もちろんメンデルその人は、自分の結果をそのようなことばで表すことはできませんでした。しかし彼は、自分のえたデータ、ことにあまりにも有名な3:1の比が、この種のしくみからきていることを、はっきりと仮定していました。しかしこの特殊な比は、むしろ間接の結果で、その基礎にあるのは配偶子が1:1の比に分離することなのです。

 結局、出版されたのが高校教科書が間違っていた時期あるいはそれ以前の時期であっても、遺伝学の専門書における分離の法則に関する記述は調べた限りすべて正しいという結果となりました。少なくとも、日本の学会全体に分離の法則の内容に関する誤解があったということではなさそうで、あまり専門でない誰かの勘違いに端を発し、その誤りが運悪く教科書に載ってしまったために広まってしまったのではないかと想像します。犯人特定にまで至らず残念。ちなみに、岩波生物学辞典初版(1960年刊行)の遺伝の項目は田中信徳先生が監修しているようなので、少なくとも田中先生のチェックはすり抜けてしまった、ようです。


終わりに:メンデルは偉い人、そんなの常識♬

 倍数性も配偶子形成も、もちろん遺伝子も何もわかっていなかった当時、交雑結果から「メンデルの法則」の元となるモデルを理論的に作った彼には改めて感服させられました。モデルを作って、それを実証する戻し交雑まできちんとやっているのですよ。遺伝する実態に関しては何も言及しなくとも、起きていることを全て説明できるモデルを組み立てられる、理論家としての彼の能力の高さは凄いものです。
 一連の調査結果をカミさんと話していて、実態がわかっていない時期にその物の存在を予言することと、その後技術的に工夫してその物の存在を実証することの、どちらが大変か(偉いか)ということになりました。前者ができるのは、選ばれし者のみという感じで、あるとわかっているのものを必死に探す才能とは全く別の能力が必要であるように思います。実験科学者からは、理論科学者は常に尊敬の対象

(完)


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