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「梶原一騎とタイガーマスク」(「昭和40年男」2016年2月号・特集“今よみがえる猛虎伝説”より)

 マンガ『タイガーマスク』の連載が始まった1968年は、原作者・梶原一騎にとって“勝負の年”であった。
 その前年に連載1年目を迎えた『巨人の星』の大ブレイクによって“スポ根ブーム”が巻き起こり、梶原一騎の名前は広く世間に知れ渡るようになっていた。遅れて連載が開始された『柔道一直線』(※1)、『夕やけ番長』(※2)も一躍雑誌の看板作品となり、新たなヒットメーカーとして注目された梶原には次々と原稿執筆の依頼が舞い込むようになっていた。「梶原一騎原作のマンガは必ずヒットする」という期待に応える作品を生み出し続けることで、ようやく掴んだ劇画原作の第一人者としての地位を、確たるものにしなければならなかった。
 そうした状況のなかで迎えた68年初頭から連載をスタートさせ、見事にヒットした作品のひとつ(※4)が『タイガーマスク』なのである。“勝負の年”に挑んだ本作が、梶原一騎にとってどのような存在であったかについて、幾つかの考察を交えながら語ってみたいと思う。

(※1)作画・永島慎二、週刊少年キング・1967年23号より連載
(※2)作画・荘司としお、冒険王・1967年9月号より連載
(※3)同時期に連載開始された作品には『あしたのジョー』を筆頭に『甲子園の土』『男の条件』などがある。


児童向けなのに壮大な愛のストーリー

 『タイガーマスク』はプロレスを題材にした作品であり、自らブームを起こしたスポ根マンガにするという方向もありえたはずだが、梶原はそうはしなかった。また掲載誌『ぼくら』の読者層(=小学生低学年)を考えれば、正義のヒーローが悪の組織から送り込まれる奇怪なレスラーたちと戦うという単純なストーリーでもそれなりに人気が出そうにも思える。だが、梶原は全国の孤児たちの幸せを願い、正体を隠して文字どおり“血みどろの戦い”を続けるタイガーマスク=伊達直人の無償の愛の物語として読者に送り出した。人間が正しく生きることの厳しさ。見返りを求めない善意の気高さ。梶原はこのように難解で壮大なテーマをなぜ幼い読者たちへ訴えようとしたのだろうか?この疑問が筆者の脳裏に浮かんだ時、それを解きほぐした先に梶原一騎が『タイガーマスク』に込めた思いを知るための糸口が見えてくるのではないかと思い当たったのである。
 初期の梶原作品を数多く読んでいくと、彼の人間に対する姿勢や見方には隔たりがないことがわかる。たとえ相手が誰であれ、よいことはよい、悪いことは悪い、ダメなものはダメといった感じだ。わかりやすい一例が『巨人の星』の星一徹にある。彼は息子の飛雄馬が幼い頃も、子供だからと甘やかしたりはせずに、自らの信念のもと厳格に接している。そうしたことを考えれば、幼い読者へ壮大なテーマを投げかけた理由も見えてくる。
 逆に言えば『読者が未熟だから単純でわかりやすい話でいいだろう』などというマンガは、決して梶原マンガ足り得ない!たとえ幼くてもひとりの人間として真っ向からテーマをぶつける。今はよく理解できなかったとしても、作品から感じる“何か”があれば、やがて成長していくなかで真の意味を理解してくれるだろう。梶原はそう考えたのではないか。
 マンガ界でもあまり例をみない、ストーリー性の高い作品を児童誌で描くことに、もしかしたら担当編集者から再考を迫られることもあったかもしれない。しかし自身の才能を信じ、劇画原作者のパイオニアとしてマンガで表現できることの可能性を追求するためにも“勝負”をかけたのではないか。筆者にはそんな妄想が思い浮かぶ。

伊達直人と重り見えた原作者の姿

 梶原一騎の評伝を書いた斎藤貴男の名著『梶原一騎評伝 夕やけを見ていた男』(文藝春秋)に、本作がアニメ化された頃のエピソードが掲載されている。稼いだ金を何に使うのかと聞かれた梶原は「自宅にプールを造って、近所の子供を泳がせたい」と語ったという。また、大下英治の『日本ヒーローは世界を制す』(角川書店)によると、番組宣伝のため開催されたショーにゲスト出演した梶原が、サービス精神旺盛のあまりに舞台上で子供に技をかけあって肩を痛めた微笑ましいエピソードも語られている。
 こうしたエピソードを知るにつけ、筆者には梶原と伊達直人の姿が重なって見えてきてしまう。原作者としての成功によって富と名声をつかんだ梶原は、自身の将来像として『タイガーマスク』の主人公が頭にあったのではないだろうか。つい、そう考えてしまうのだ。短絡的過ぎる想像かもしれないが、もしその推測が正しいならば自ずと梶原一騎とっての『タイガーマスク』とは何か?という問いの答えは出る。
 “勝負の年”を勝利で飾った梶原一騎。その地位は確たるものになり、全ては順風満帆のように見えた。だが、数多くの週刊誌連載を抱え続ける忙しさと、広がっていく各界の交流関係の流れのなかで数年後には“映画製作”や“格闘技興行”に乗り出していくようになるのはご存知のとおり。仕事の比重もされらが大半を占め、やがて原作者としての仕事はビジネスの一環のようになっていく。そして83年の逮捕騒動と栄光からの転落。歴史にたらればはないが、もしも、あの頃マンガ原作者として描いていた自身の理想の実現に努めていたなら、梶原の後半生はもっと違うものになっていたと、筆者は残念でならない。
 その意味でも梶原一騎にとって『タイガーマスク』とは、彼がまだマンガ原作者という存在でしかなかった青い時代の自身の理想や夢に燃えていた証たる作品であったと言えるだろう。

【タイガーマスク雑学】

●梶原の証言(真相は定かではない)によると、力道山存命の頃に二人で板橋にある療護園にサンタクロースの扮装をして慰問に行ったことがあるそうだ。少年ファンを大切にしていた力道山の行動に同行したであろうこの経験が『タイガーマスク』の設定に活かされているのかもしれない。
●「白いマットのジャングルに~」というタイガーマスクの歌といえばテレビアニメのオープニング曲を思い浮かべるが、その放送以前に梶原一騎自身が作詞を手がけたタイガーマスクの歌が存在する。作曲はいずみ・たくでキングレコードから発売された現在までCD化されていない幻の1曲である。
●覆面のデザインを虎にした理由については諸説あるが、梶原によるとかつて英国はマンチェスターに実在し、ビル・ロビンソン、カール・ゴッチをはじめ、数々の名レスラーを輩出したレスリングジムであるビリー・ライレージム、通称・スネークビット(蛇の穴)に由来する。同ジムのような、レスラー養成所の存在を作品設定に盛り込む際に、「虎穴に入らずんば虎子を得ず」の格言を絡めて「虎の穴」とし、そこから卒業した覆面レスラーということで虎に決めたと語っている。
●レスラー・タイガーマスクの誕生については、その背景に複雑な駆け引きがあったとされる。その経緯を元ネタにして梶原が弟の真樹日佐夫とコンビを組んで手がけた小説に『覆面レスラーぶるうす』(サンケイノベルズ刊)がある。人気レスラー・ジャガーマスクにまつわるプロレス界の暗部を描くミステリーだ。

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