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最終回「あしたのジョー」(その3)(2018年8月号より本文のみ再録)

 「燃えたよ...まっ白に...燃えつきた...まっ白な灰に...」
 1973年4月。世界チャンピオン、ホセ・メンドーサとのタイトルマッチにて己のすべてを燃焼し闘い抜いたジョーは、リング上で真っ白な灰となって燃え尽きた。約5年4ヶ月に及ぶ長期連載で本作に集中するために途中から連載を1本に絞り込んだちばも同様だ。登場人物に強く感情移入しすぎて体調を崩し、いく度か休載を重ねながらも最後まで描き終えた彼もまた、燃え尽きることができたであろう。紀子とのデートシーンで彼女がジョーに問いかけたセリフを引用して、ちばは当時の心境をこう語っている。
 「なんでそんなに、サンドバッグ叩いたりして、黙々と生きるの」「普通の青年なら、海に行ったり山に行ったり、ああいうところで青春を謳歌しているのに」っていうセリフ、あれは僕自身の問いでもあったんです。毎日毎日締め切りに追われて漫画ばかり描いてきましたけど、これではたしてよかったんだろうかと?そういう心情を紀子に言わせてみたわけです。でもジョーは、その辺の連中みたいな中途半端な生き方はしたくない。真っ白に燃え尽きるような生き方をしたいのだと答えます。このシーンを描いた時、自分なりの答えを見つけて納得したんです。「俺はこういう一生でいいんだ」と吹っ切れた。(※1)
 そこまでの決意と想いを込めて必死に取り組んだ作品を担当編集やスタッフの協力の下、あのラストシーンで幕を下ろせたことで、ちばは見事に完全燃焼を果たしたのだ。

※1 『ちばてつやとジョーの闘いと青春の1954日』(ちばてつや・豊福きこう著/講談社刊)より。

※『あしたのジョー』の作品データとあらすじ


梶原一騎は燃え尽きることはできたのか?

 連載期間のほとんどを『あしたのジョー』に費やしたちばとは対照的に、梶原の本作に対するパワー配分は、年を追うごとに減退していくこととなる。連載開始当初は、原作者としての勝負を賭け、これまでにはなかった文学的な劇画にすべく意欲を持って取り組んでいた。原作の改変も認め、ちばとのコミュニケーションを重ねることで互いの長所がストーリーに上手く反映されてもいた。梶原にとっての本作における頂点は、70年に社会現象を巻き起こした力石徹との最後の勝負とその死にあったのではないだろうか。
 『巨人の星』も併載されていたこの時期の『週刊少年マガジン』の発行部数は、150万部を突破。そのけん引役を果たした梶原のステイタスは、単なるヒットメーカーという枠を大きく超えたものとなる。梶原のもとにはこれまで以上の大ヒットを目論んだ原作依頼が次々と舞い込み、『あしたのジョー』を継続しながら、そうした期待にも応えなければならなかった。翌71年にはかねてより親交の深かった極真カラテの創始者・大山倍達の一代記『空手バカ一代』(※2)の企画を梶原自らが売り込み、その連載を実現されている。これを機に、極真の拡大発展に関わるようになり、大山と共に幾度となく海外へ出向くことが増えていった。
 この時期の梶原は、もはや『あしたのジョー』に費やす時間も労力も、そして意欲さえも失いかけていたように思えてならない。数年後、芸能界や映画界とのコネクションを得て、映画製作や格闘技プロモーターなどへと活躍の場を広げてゆく一方、マンガ原作からは遠のいていく。そのキッカケが大山との交流にあったと筆者は推測している。
 そんな梶原の変化を、ちばは原作原稿から感じ取っていた。
 「以前と同じ、鉛筆書きの太い字で、原稿用紙のマス目をはみ出しながら書いてくる原作なのに、感情があまりこもっていないというか、ストーリーのシノプシスを立てているような感じが気になりました。梶原さんはあんまり仕事を抱え込みすぎて、ちょうど子供が多すぎると一人一人に目が行き届かないのと一緒だったのかもしれません。今度はなぜ、前みたいに話を聞きに行かなかったか、ですって?現実的にもう会うのも難しいし、聞いても無理だろうなという、諦めの気持ちもあったからでしょうね」(※3)
  この回想からは、作品を挟んだ両者の距離感のズレが読み取れて興味深い。とどのつまり、いくら頭を捻って書いても100%その通りには描かれない作品に対し、モチベーションを維持できなかった側面は無視できないだろう。ただ、非情な現実として、梶原はちばの才能を思い知らされたのではないか。もしそうであるなら、マンガ界の伝説となったラストシーン誕生の経緯で、それは決定的となる。
 「ラスト、変えますよ」最終回の原作に納得できないちばの言葉に梶原も「任せる」と答えた。そして作品のフィナーレに相応しい展開をスタッフを交え締切ギリギリまで試行錯誤した末、ジョーが吐露した「燃え尽きたい」というセリフをヒントに、あの美しく崇高なラストシーンが描かれた。連載完結後、ちばに会った梶原は「いいラストだった。ありがとう」と礼を述べたとされる。完結翌週の『マガジン』に、梶原はこんなコメントを寄せている。「ちばてつや氏との真の意味で共同作品だからだ。彼なかりせばこの作品の成功もなかった」(※4)
 だが、ちばを賞賛する裏側で、実は複雑な感情を抱いていた事実を、梶原を敬愛する作家・小池一夫が後に回想(※5)している。梶原と臨んだとあるトークイベントにて、梶原作品のどれを評価するかと問われた小池は、即座に『あしたのジョー』を挙げ、そのすばらしさを熱く語った。すると梶原は表情をにわかに曇らせ「あれは、ちばてつやの才能だよ...」とだけつぶやいたと言う。誰もが認める少年マンガ屈指の名作は、その原作を手がけた梶原にとって愛憎入り交じる苦い作品であったのだ。
 しかし、この件で原作休筆を考えた梶原に、担当編集が持ちかけた提案が、かの名作『愛と誠』を生み、高森朝雄としてのリベンジ魂が次作『紅の挑戦者』に繋がっていったのだ。

※2 1971年〜77年『週刊少年マガジン』連載(画・つのだじろう・影丸譲也)
※3 『夕やけを見ていた男』(斎藤貴男著/新潮社刊)。
※4 『週刊少年マガジン』1973年22号掲載 完結記念特集より。
※5 講談社漫画文庫『あしたのジョー』7巻より。 

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 梶原とその作品にまつわる考察はまだまだ尽きないが、今号で一旦筆を置かせてもらう。長年の愛読に感謝を込め、『昭和40年男』諸君!今こそ梶原作品を一騎に読め!(完)

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