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BMW的懸賞生活さんときさくさんの結婚10周年(3)-10年前の幸せオフ会での乾杯発声

こんばんは。今日もお疲れ様です。

10年前の今日、2010年10月3日に挙行された、BMW的懸賞生活さんときさくさんの結婚パーティこと幸せオフ会の続きです。

前回の内容は、こちら。

第1回目を読み逃した方は、こちらからどうぞ。

この(1)でちらっと書きましたが、当日に会に行ってみるまで、100%確実ではなかったのですが、午前中実は他に用事が発生しており、もし開始時間ぎりぎりに到着できたら、乾杯の発声をお願いしますね、とふじこさんに依頼されておりました。

事前に言う内容を決めておかないと、こればっかりはアドリブで行う訳に行きません。

しかぁし、そんな重要な役割を引き受けたのに、私はお二人の馴れ初めしかしらず、お二人の経歴とかも知らず、新婚旅行はどちらに行くのかすら聞きもしなかったのでした。

でも、そもそも発声の機会がもしかするとないかも知れないなか、いかんせん直前のお話しでしたのでそれを聞いてる時間もなく、しかし出来る限りのことはさせて頂こうと、以下、用意してみました。

もし間に合うようなら、行きの電車の中でも手直しを加えるつもりでしたので、あくまでも初稿でしたが。

「11:21AM 今、電車に飛び乗りました。間に合いそうです」、と当時の食日記に記載してました。
ところが、間に合うどころか、平日は2時間かかるところが1時間半足らずで到着してしまい、手を入れる時間がなくなって逆に焦りました。

以下、当日しゃべった内容と全く同一ではありませんが、10年後の追記も含めて展開します。

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本日はBMW的懸賞生活さん、きさくさんの結婚をお祝いする会に多数ご参集頂き、幹事に代わりましてまず御礼申し上げます。

私の乾杯の発声は、(当時書いていた食日記の文字制限である)5,000文字以内に留めますが(笑)、少々長くなりますので、いったんご着席ください。

私の認識が正しければ、お二人が最初に知り合い、直接面と向かったのは、忘れもしません2009年7月10日、「おケイはんを囲む会2009」という、ぐるなびのオフ会の場ではなかったかと存じます。

著者注: この会の出席者、および当時の私の食日記を読んでくださってた読者の方が、全員「おケイはん」が誰かを知ってるので説明を省略しましたが、滋賀県在住の当時の私達と同じ株式会社ぐるなびのボランティアレビュアーさんで、時々東京に来る機会があったのでした。

一次会は、滋賀の女帝おケイはんが自ら幹事を務めておりましたが、二次会とそれ以降、三次会、四次会、五次会(笑)は私が幹事を務めさせて頂きました。

一次会での要点だけ申しますと、きさくさんとBMW的懸賞生活さんとは、たまたま、向かい合わせの席になったのでございます。
(きさくさん達がうんうん頷いたのを確認してから話を進めました。)

そして、その横に、私はたまたま座らせて頂きました。

BMW的懸賞生活さんはオフ会初参加だったそうです。

ちなみに、彼の勤務先には、私の従妹の旦那も勤務しておりまして、かつ私も以前の会社で取引がありました関係で、お仕事の内容はすぐにピンときました。

きさくさんとは、2008年に草加のじもんじゅさん(著者注その2:ご夫婦で経営してらっしゃる美味しい焼き肉屋さん)とこでのミニオフ会に参加させて頂き、その後きさくさんとこでミニオフ会もさくっと開催させて頂きました。

・・・今にして思えば、参加するもんですよねぇ〜、オフ会。

そのオフ会では、私がBMW的懸賞生活さんのハンドルネームを

BMW的懸賞生活さん
BMW的懸賞生活さん
BMW的懸賞生活さん

とフルネームで連呼しておりまして、「良く、ちゃんと言えますね」ときさくさんに褒めてもらった事を覚えております。

いえね、フルネームで連呼してると、自分も忘れなくなる効果が、あるものですから〜。

今にして思えば、こうしてせっせとBMW的懸賞生活さんのお名前を、きさくさんに刷り込みしてたんですよね〜。

それだけ連呼しておくと、「あぁ、この人はBMW的懸賞生活さんなんだぁ」と、酔っ払いちゃん(笑)の記憶中枢にも、はっきり刻み込まれたことでしょう。

一生懸命、愛の矢を射るキューピッドでございました。(笑

今後、うん十年経った時、「あのとき、のぞえさんが余計な事しでかしてくれたおかげで」という状態になるより、「あのとき、のぞえさんにせっせと名前連呼してくれたおかげだね」と陽だまりの庭先で二人でお茶でものんびり飲んでる間柄を、維持して頂きたいと思います。

で、この日、2009年7月11日に日がまたがるのですけれども、BMW的懸賞生活さんはなんと四次会までお付き合いしてくれたのですが、きさくさんは...いつ帰られたのか、あいにく当日の足取りが不明(笑)ですが、この日以来1年足らずでお二人は愛をはぐくみ、この度見事ゴールインされたのでございました。

...それ以上のお二人のゴールインまでの過程の詳細はのぞえは承知しておりませんので、詳しくはご両人に根ほり葉ほり伺ってください。(笑

また、すでにブログのコメントに残しておりますが、お二人が神前挙式を挙げられた明治神宮のお神酒は、私の高校の1年上の先輩が社長をしているメーカーが造ってる『金婚』といいます。

著者注その3:明治神宮で提供されるお神酒は、この金婚一択なのです。

これも、浅からぬ縁を感じます。

お酒と言えば、きさくさんは(以下、個人情報なので宴会場でだけ言います。途中省略)

そして、もう一つ。

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今こうして皆さんの目の前に注がれているワイン、これはチャントンス・ロゼと言うのですが、

私がKIKUCHIさん(著者注その4: この幸せオフ会の会場となった、横浜は山手にある素敵なフレンチレストラン)を初めて訪問してディナーを頂いた際、ボトルで飲ませて頂いたものです。

私の食日記のトップページや、ツイッターの画像に、以来ずっと使わせて頂いておりました。

トップ画像は、それまではだいたい3か月で変更させて頂いていたのですが、このボトルの画像にしてから1年以上変更してなかったのは、ちゃんと意味があります。

当時インターネットで検索しても、チャントンス・ロゼの2007年・2008年物を売ってる業者さんが2人くらい居て、在庫もそれぞれ1本ずつあるくらいで、私がKIKUCHIさんとこで頂いた記事がブログではトップの方に出てくるくらい、希少なお酒なんです。

イタリアのワイン界で「北の巨人」と言われたジャン=フランコ・ガッロ氏のワイナリー、ヴィエ・ディ・ロマンスで生産される希少なワイン。

KIKUCHIのご主人に最初メニューを見せて頂いたときに、「2007年ものは6,000本くらい生産されて、俳優のロバート・デ・ニーロやローマ教皇のヨハネ・パウロ二世も愛飲してるものです。2006年ものは、まず見つかりません」と、説明を受けました。

ローマ教皇だけでなく、イタリアのベルルスコーニ元首相も、行き付けのお店にボトルをあらかじめ準備させて置いてるとか。

ロバート・デ・ニーロはケース買いして、ハリウッドの自宅に友人を招いて「私の故郷イタリアには、こんなに美味しいワインがあるんだ」と紹介してるとか。

KIKUCHIワインリストの、ロゼワインのところの一番下に書いてありまして、ボトルxxxxxx円。←席では言いません、これ。

KIKUCHIには、もっと高い赤とかもありますが、ロゼでは一番お高い銘柄でする。

ぶどう品種としては、メルロー100%です。

そうした情報はともかく、この日本で、チャントンス・ロゼをこれだけ一気に開栓するチャンスは、今後もおそらくないかも知れません。

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一口飲んで頂くとすぐに判るかと思いますが、このロゼの美味しさは、抜きんでています。

ロゼワインは、甘味で飲みやすいのが特徴ですが、チャントンス・ロゼは、葡萄特有の甘味が、味にも香りにも顕れてきていません。

甘味の代わりに、旨味、とでも言ったものが抽出され、凝縮され、熟成が始まっている、という味わいです。

これなら、魚料理も肉料理も、いずれも美味しく頂けるのは間違いありません。

そして、本日頂ける料理の数々。

ロバート・デニーロや、イタリアの元首相も、イタリア料理では本場の抜群のシェフが作る料理を日々味わってるでしょうが、

KIKUCHIのご主人やふじこさんが日本全国からかき集めてくれるこれだけの食材にかなうものは、おそらく彼らも口にできますまい。

あいにく、在庫とお値段の関係で、チャントンス・ロゼはおひとり一杯ずつしかご提供できかねるのですが、私はこの一杯、大事に大事に飲みたいと思っております。

13度くらいに冷やして飲むのが美味しいとされておりますので、グラスに注いでしまうとそうそうはキープできないですけどね。

さて、ここまで説明させて頂きますと、皆さんお気づきになるかと存じますが、世界最高峰のお酒と、世界最高峰の食材から造られる料理の組み合わせは、これは世界のどこを探してもここ、KIKUCHIにしか存在しないものです。

世界の人口は現在70億人程ですが、私たちは、その人類70億人の中で、今日一番最高の食卓に付いている、と言えます。

こんな、素晴らしいテーブルを用意してくれたKIKUCHIご夫妻に感謝しつつ、お二人の門出を祝福したいと思います。

では皆様、ご起立ください。

ご唱和願います。

かんぱ~い!!!

(以下の感想は、乾杯発声の際には言いませんでしたが、原稿用意しながら自分の内側から、溢れ出てきた思いでする)

世界の片隅日本で、こんな素晴らしい席が用意できるのも、戦後日本が築きあげてきた社会秩序が成せる成果および技のひとつだと思います。

当時の私の国会議員秘書としての仕事は、日本の国益であるこの秩序・文化を維持し、発展させる方策を考えることに他なりません。

個人ができることには限りがあるかも知れませんが、あと10年は頑張る所存です、と当時の食日記に書きました。

結局、それはその後3年で挫折してしまうのですが、志まで挫けた訳ではありませんので、引き続き自分に与えられた手段と環境で頑張る所存です。


そして、私は少なくとも当日までは知らなかったと思うのですが、(あいにく画像はちょっと見当たりませんが)KIKUCHIの入り口に出された看板を見るまで、何故、10年前の今日が幸せオフ会の日取りとして選ばれたのか、その後、きさくさんがFacebookにアカウント登録して、今日の日を迎えたことで気付いた一番大切重要な事実に気が付きました。

今日は、きさくさんのお誕生日だったのです!

もう、今日という日もあと1時間を切りましたが、きさくさん、お誕生日
おめでとうございます!!

やはり、記録はちゃんと残しておかないといけませんです。

今日の日記も4,000文字を1割以上オーバーしておりますので、続きをアップするまで少々お待ちください。

さて、次回は乾杯が終わってから、私がチャントンス・ロゼで試したみた料理とのマリアージュと、その後の会の盛り上がりぶりをご紹介したいと思います。

では、また明日。

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