見出し画像

東日本大震災を忘れない(13)-再び石巻へ

こんばんは。今日もお疲れ様です。

最初に、大震災で亡くなられた方々に対し、心より哀悼の意を表するとともに、ご冥福をお祈りします。

2011年の4月に初めて被災地に入り、翌月のゴールデンウィークにも自分達で運転して被災地を回り、それでふっきれたように被災地入りを重ねました。

前回、宮城県亘理郡山元町に行った翌月、2011年の6月になりますが、ゴールデンウィークに自分で回った被災地のうち、石巻に行くボランティアツアーを民主党内で募集しましたので、応募して行って参りました。

それが、朝日新聞の日曜版の片隅に、のぞえらが行ってるボランティア活動の事がちょこっと掲載されてしまいました。

団体名も個人名も、伏されてましたけど。

一般の人の活動は、どんどん取り上げるべきだけど、限られた字数の中で断片的な情報を伝達してもらっても意味ないですね...。
それが一体誰の役に立つのか、全く微妙です。

次回、同じ朝日新聞で、同じ活動内容が、全く違う取り上げられ方をされてしまったことについて書きますが、記事に匿名性を持たせると、同じ新聞社なのに、匿名じゃない報道とダブって2回使える、ということを朝日新聞はやらかしていました。

一方、福島に行った時、ホテルで読んだ地元紙・福島民報の被災地での丁寧な取材振りには感心させられました。

人々が、悲しみ苦しみ、それぞれの運命と向き合い、頑張ってるいちいちの記事が、涙なしでは読めません。

当時、被災地に行くと、ネットにもマスコミにも出てこない、そうした記事に接することができるのは、特典だと思っていました。

全国紙は、その情報を取りまとめる事をしてくれても、バチは当たらないと思いますけどね。

他紙と差別化ができなくなるから、それはやらないんだろうな。。。

石巻に再び行って来ました。
一回目はご報告した通り、2011年GWに仲間と。
今回は、2011年6月に入ったばかりのタイミングで、いつもの民主党でチャーターした夜行バスに乗って。

金曜日の晩に出発し、東京から6時間で、福島県と宮城県の境界の国見SAまで到着しました。

この日の作業場所は、現地に着いてから交渉するそうです。

朝日新聞にも、現地に到着してから作業開始までに2時間かかることがあり、課題だと書かれてしまいましたが、現地のボランティアセンター等、受け入れ機関はその日何人ボランティアが集まってくれるか見えないので、どうしてもその場で割り振りせざるを得ず、計画的な要員配置ができないのです。

他人事のように「課題だ」なんて書いてないで、もっとちゃんと正確な取材をするとか、その新聞社が人を出してくれて現地でボランティア配置をしてくれても、全然かまわないのですけどね。。。
マスメディアである東京の新聞社はどこも、記者を被災地に派遣して二次被害が出ると保険の対象外になってしまう、を理由に、それはしていませんでした。

石巻市に到着しました。

画像1

場所により、瓦礫撤去が全く進んでない場所があります。

画像2

この日は、そんなところにボランティアの手を入れる事によって、全体の作業を早めるようにする場所が見つかりました。

途中、道が大渋滞してしまってましたが、復興が始まっているために、土曜日の朝も混雑してるなら、結構な事です。

石巻市内の私立大学に到着し、そこで受け入れ先の交渉と、運んできた支援物資の引き渡しをまず行いました。

のぞえらのような週末だけボランティアではなく、泊まり込みで作業してくれてる人達のテントが山ほどありました。

画像3

みんな、ありがとう!

ボランティアセンターから、作業中身に着けてね、と名札を渡されます。

画像4

そこからさらに15分程で、作業現場に到着します。

潰れてしまったお風呂屋さんの駐車場にバスを停めたのですが、東京だけでなく、新潟やら福井やら石川から、会社ぐるみで駆けつけてきてくれたボランティアさん達が集結しました。

画像5

感動しました。

これだけ集まると、数時間だけの作業でもどれくらいの事が出来るようになるか、身をもって体験してきました。

現地でスコップやら手押し車を借り、作業場所に徒歩で向かいます。

申し合わせにより、作業中は撮影してませんが、海に近いところは無人の家ばかりです。

町全体を、津波が押し流し、別の場所からありとあらゆる物を運んできたものがヘドロと一緒に堆積してるのですが、ここは行政機能がまだ生き残っていたので、市の委託業者がブルドーザーを持ち込んで、片付けられる場所の瓦礫はどんどん片付けてくれてます。

まだ水道も電源も復旧していないので、綺麗に片付いたけど無人の街並みが続きます。

ボランティア隊が向かったのは、一番厄介な場所。

入り組んだ長屋に自家用車まで突っ込み、ブルドーザが入れません。

家と家の間に車が突っ込んでるのを見ても、別に驚かなくなった自分がちょっと怖い気もする...。

まずは大きなゴミを、一列縦隊を作って運びだし、トラックが入れる場所に積み上げます。

2時間かけて、ようやく自動車が運び出せるよう、周囲のゴミを除去しました。

大家さんが、「この地域で最初に水道が通じた」と言って、ボランティア隊に提供してくださいます。

助かります。

この日は、大学生のボランティアが結構参加してくれてました。

力を出してくれるので助かるのですが、結構簡単にすり傷やキリ傷を作ってくれちゃいます。

グループの中に、MRの資格を持った女性が居るので、入念に消毒してあげます。

長期にボランティアに入ってくれてる人で、破傷風にかかる人が存外多いのです。

作業の合間に、昨晩コンビニで買ってきたパンやらおにぎりを各自食べますが、アルコール噴霧で消毒する前に泥は落としておきたいもの。

巡回の5トントラックが来て、ボランティア隊が2時間かけて運びだし、分別したごみを、ブルドーザが運び上げてあっけないほど一瞬のうちに運んでいきます。

その後、市の委託業者さんが、ブルドーザで自家用車を長屋から引っ張りだします。

次は、ヘドロを処分する番です。

リーダーが、「あと2時間頑張ろう」とメンバーに声をかけ、今度は一斉にスコップでヘドロに取り掛かります。

のぞえ一人でも、土嚢を数十個は作りましたよ。

遠方からドライブしてきたらしい茶髪と金髪の若いお兄ちゃんとお姉ちゃんがやって来て、「僕らもなんか手伝えますかね〜」と言ってきました。

正しくは、ちゃんとボランティアセンターで登録し、保険に入ってもらうのですが、現地のリーダーが「じゃあ、試にちょっと手伝って」と、軍手を渡して土嚢の結び方を説明します。

長屋の中も、汚泥と荷物で滅茶苦茶でしたが、中は住んでる人が見てる前でないと作業ができないので、そこは触れずに残して置きます。

ゴミの中にも、アルバムやら貴重品があるのを目ざとく見つけ、そちらはボランティアセンターのお兄さんのバイクに積み込みます。

土嚢も、トラックが運び出せる場所に積み上げます。

またまた大家さんに水道を借りて、泥まみれの手を洗います。

近所に戻ってきたおばちゃん達が、4時間前まで瓦礫と汚泥の山だった場所を見て、「凄い」と感激してくれてました。

「臭くなくなって、助かるわぁ」

バスの集合場所に戻り、そこで改めて長靴やらゴム手袋に付いた泥を水で流します。

と言ってもタンクの水を大事に汲んで使うので、ちょっとかけてはブラシでこする、という作業になります。

この日も、天気が程々に良くて、助かりました。

雨は降らず、かといって陽光も強くなく薄曇りで。

例によって、女性陣はバスのカーテンを閉め切って中で着替え、男性陣は堂々とバスの陰で着替えです(笑)

さぁ、帰りましょう。

まだ日の高いうちに石巻を離れ、終電に間に合うように帰らないといけません。

さすがに疲れたので、帰りには外の風景は撮影しませんでした。

福島のSAに到着し、名物の桃のジュースで生き返ります。

画像6

宮城に行ってたのですが、家族へのお土産も福島のままどおる。

画像7

前回は、萩の月でしたけどね。

またまた羽生SAで、晩御飯。この日はカツ丼セット620円にしてみた。

画像8

仲間内のルールで、これ食べちゃったら、実は自白しないといけないんですよね(笑)
被災地に、また行きます、と。

同じ週末、陸前高田に事務所の若い同僚がゼロ泊三日で行ってきてくれましたが、陸前高田は市役所も消防も警察も全部流されてしまったので、瓦礫もまだまだ手つかずの状況だそうです。

暑くなると、屋外での作業は厳しくなりますが、炊き出しを手伝うとか、お店などで集めてくれた義捐金を直接届けに行くとか、まだまだやることはいくらでもあります。

東北が被災地なので、雪が降り出す前までが勝負だ、と、この頃から意識し始めていました。

では、また明日。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?