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連載「私と女優と人生と」

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女優の姿を通して、「ホンモノの大人とは?真の女性の美しさとは?」をお伝えしていきます。
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#私と女優と人生と

編集なし。自分の眼で脚で口で。トットちゃんの好奇心の先

 「上手くできなくてもいい。でも、心の底からやりたいと思った事は気のすむまで続けよう」とは、常に私が思っていること。いや、そう考えて生きてきた訳ではないが、振り返ってみるとそんな風に思う。“心の底からやりたいこと”に正面から向き合えているのか。続けていくうちに起こる数々の問題を解決すること自体がやりたいことなのだ、と思えるのか。  34回目となるこの女優コラム。日本の女優第一号が、川上貞奴(1871~1946)。そしてテレビ女優第一号が、今回の女優・黒柳徹子さん。 テレビ放

“わがまま”がチャーミングになる日 越路吹雪の“ヒトタラシ力”

ある日書店で、少女向けの本に目がとまった。日本の時代を切り開いてきた女性たちを紹介するものである。女性の社会的な活躍の場が今よりもっともっと狭かった時代に、学問を続ける、医師になる、政党の代表になるなど、その“はじめの一歩”が無かったら今日の女の命は違っていただろうと思われる人物ばかりで、熱心に立ち読みをしてしまった。その中に今回の越路吹雪もいた。  初めて名前を知ったのは、ベルばらブームにのって宝塚歌劇に夢中になり、歴代のスター年鑑を読みまくった時だ。当時のスターの舞台化

眼は心と知識でみえている ジュリー・アンドリュースの眼

真実のみえる眼がほしい、これは二十歳ごろの私がよく口にしていた言葉。今でもその時の心の感覚や体温を、鮮明に覚えている。親元を離れて自立しようとしていた頃だ。   なぜそんな事を思い出したのか、それは『偉大なワンドゥードル 最後の一匹』(1974年ジュリー・アンドリュース著)の翻訳を読んだからだ。忘れもしない女優ジュリー・アンドリュース主演『メリー・ポピンズ』(1964年ビル・ウォルシュ監督)は、私が映画館で観た初めての映画だ。途中、アニメと実写が合成されて、子供時分には夢のよ

自らの経験を基に思考せよ 高峰秀子の場合

 自分の考えは自分のものであるはずだ、と当然のように思って生きてきたが、どうやらそうでも無さそうだ、と感じる今日この頃。生まれた時からスマートフォンのある世代が、すでに高校も卒業しようという世の中なのだから、生まれたときには家にテレビなんてなかった私世代の脳みそでさえ、何らかの意図をもって無料で流れてくる情報に操られていたりするのである。その中にいて、“如何に自分らしく生きるか”という問いは、毎日の服を選びきるのと同じくらい日常的で大切なことなのだ、と思う。  フリーになっ

“自分の顔”はいつ完成するのだろう ロミー・シュナイダーの場合

“20歳の顔は親からの贈り物、50歳の顔は自分の価値がにじみ出るもの”という言葉がある。若い時はすでに存在する価値を知るしかなく、己から湧いてくる自信などあったとしても強がっているか、世間知らずなだけかもしれない。しかしそこから30年以上、“自分の顔”を引っ提げて生身で生きてきたならば、そろそろ周囲と比べない顔を持ちたいものだ。 女優ロミー・シュナイダー、彼女の日記で構成された本がある。「音楽、お芝居、映画、旅行、芸術 この五つの言葉を耳にするとどうしようもなく血が騒ぐ」と

そうだ、私はアンナ・カリーナになりたかったのだ

9月13日、ジャン=リュック・ゴダールが亡くなった。一番好きな映画監督かと聞かれればそうではないのだが、そのニュースを目にしたときの喪失感は、思いもよらず大きなものだった。 ゴダール監督が好きだなんて言えるはずもないのは、彼の映画を理解することなんて私には不可能だから。唯一わかることがあるとすれば、映画の中で女優アンナ・カリーナが、他に感じた事のない魅力に溢れているということ。 デンマークはコペンハーゲン生まれ、本名ハンヌ・カレン・ブレーク・ベイヤー。アンナ・カリーナとい

本来の感性にもどって恋を メリル・ストリープの眼

すごく久しぶりに恋におちた気分を味わっている。映画『マディソン群の橋』を観なおしたせいだ。これには不意な導入があった。ある時、ラジオから流れる邦楽に心を掴まれ、集中していたはずの作業をやめて曲目を調べ(これができる今っていい!)、その日は寝るまで繰り返し流してその歌の世界に浸った。 翌日目覚めると驚くことに、朝イチの行動が変わっている自分がいた。このところの私といえば、起床と共にニュースが気になり、それも自分の目で真実を確認できないものばかりだから、ひたすらスマートフォンで

~今、マイルールをつくるとき。ティルダ・スウィントンの魅力~

ルールを守っていればいいという時代は完全に終わった、と思っている。世間のルールに隠れた無意味な悪循環にのみ込まれる前に、すべきことは何か。それは今日という日がもたらしてくれた時間の中で、本当に素直な自分の心が感じたルールに従うこと。けれど、そんなマイルールと供に自信を持って生きるのは、かなりハードルが高い。でも、試すなら今でしょ、とも思うこの頃。そこで今回は、長く憧れ続けたけれど一歩も近づけなかった女優、ティルダ・スウィントンに迫ってみる。 まず引っ張りだしたのは、大事にし

努力から自然体へ。人生を意味のあるものにする為に“シャーリー・マクレーン”の声

毎週2本、映画をDVDで観る事を楽しみにしている。新作でもなく、周囲で話題になっている作品でもなく、自分が今普通に生活している中で、ふと興味を持ったものを選び何度も観る。ある女優に魅了された後はこのコラムの為に選ぶこともある。そしてコラムは、日常の感性の中で気になっている事と同目線上に存在するよう気をつけているつもりだ。 そんな中で最近お気に入りの2本、それは『八十日間世界一周』(1956)と『あなたの旅立ち、綴ります』(2017)。その両方に出演しているのが、今回の女優シ

真実って、普通は複雑なもの”ジョディ・フォスターの知性“

私は今、過去にも未来にも興味がない。正確には、「過去」と「未来」に価値が感じられなくなったのではなく、それに興味を持つ余裕がないほど、「現在」を正しく理解することに集中したい、という意味だ。習得したければ、まず懸命に打ち込んでみよう。‘信じて欲しければ、まず信じよう。という風に私は、新たな物事や人間関係を受け入れ肯定するところからスタートするやり方で生きてきたのではないか、と思ったりするのだが、57年生きてきて今、その時々の「現在」を間違って理解しながら生きてきたのではないの

深読みを必要としない世界へ ブリジット・バルドーの魅力

 ついに!選んでしまった女優、ブリジット・バルドー。同じ仏映画でも、私が好きそうな(自分でいうのも変だが)“わかりにくく魅力的な、だからこそ意味を探ろうと何度も観てしまう”タイプの映画ではなく、その対岸に堂々と位置するフレンチアイコンの代表だ。くしゃくしゃ無造作風に盛り上げられたブロンドヘア、赤いけれど少女風のリップが塗られたぷりぷりの唇からは、可愛い不満が自由に飛び出し、素晴らしくまっすぐな脚は、バレエの気品を持ちつつも、ラテンダンスが一番似合う。ミニがまだ登場していない時

“群れ”から“他を認める個”へ。ジャンヌ・モロー的自己実現とは

昨年からの緊急事態によって、我が国でもいよいよ『個性』に焦点があたってきた。今さら?という声もあるだろうが、考えてみて欲しい。ファッションの「何をどう着るのか」でも、仕事場で「どう動くのか」でも、SNS上で「どう見られたいのか」に対しても、果たして“本当の意味で解放された己の判断に基づいた選択”を、私達はしてきたであろうか。それは他のそれを見るときの自分もそうだ。かなり自由に生きてきたと思っている私でさえも、「本当に?」と問い直すと多々疑問が見えてくる。自分の中にある差別意識

どこまでも柔軟に高く ジュリエット・ビノシュのように

2020年はいつもと同じ365日だったのに(いや、オリンピックは延期になったけれど閏年だったから366日だ!)、人や物との“関係性”や“価値”を大きく変えた。今まで、考えるに値しない程普通だと思っていたことや、揺るぎないと思っていたものまでが、根底からひっくり返ることも。この騒動を「思考の停止」なんて言う言葉で表す文章をたびたび目にしたが、私は違うと思っている。2020年は柔軟に思考を重ねた日々だった、と。 「柔軟な思考」、これは私の好きな言葉で常に持っていたい軸のひとつ。

皆の上にある真の幸せの形を カティ・オウティネンの姿に見る

今置かれているこの状況はいったい、“本当は”いつから始まっていたのだろう、とふと考えてみる。コロナ騒動のことだ。初期の頃は、「予想外の惨事」が「急にやってきた」と思っていて、だからこそ「すぐに収まる、今だけの騒動」と信じ、外出しないことでコトが収まるのならば、「お家でのんびりを楽しもう」とさえ、私は思っていた。それがどうだ。全くそんな「今だけ」のことではなく、相当な年月を費やして、それでももう元には戻らず、もしかしたらもうずっと前から、人類行動脳の大変革を『地球』や『宇宙』、